伊坂秀五郎
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三重県河曲郡、のちの河芸郡若松村(現鈴鹿市)出身[2]。慶應義塾で学ぶ。
若松村長、三重県会議員、三重県参事官、三重県議会副議長を経て、三重県会議員議長(26代)を歴任。鉄道会議員となり、伊勢鉄道会社社長、その後の伊勢電鉄株式会社取締役。1920年(大正9年)第14回衆議院議員総選挙に立憲政友会からの推薦を受けて当選(以降3回当選)。のちに昭和会の結成に参加し、所属する。
他には、「開国曙光碑」の発起人となる。
五私鉄疑獄事件で贈賄罪で公判に付される。一審の東京地方裁判所の判決は無罪であった[3]が、1934年(昭和9年)に二審で懲役四ヶ月・執行猶予3年の判決を受け[4]、1936年(昭和11年)の大審院判決で確定した[5]。
