六十一人叛徒集団事件
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1935年、中国共産党は天津に省党委員会(中央北方局の前身)を設立したもののまもなく国民党に潰され、多くの幹部が逮捕され人員不足に陥った。このため、獄中の党員を監獄規定の釈放手続きに基づき釈放するよう劉少奇(当時中央北方局書記)と柯慶施が張聞天(当時党中央総書記)に提案し、党中央は承認をした。政治的、組織的全責任は党中央が負うことを保証し、獄中の党員にはこの決定に従って反共声明(転向)を地元紙に掲載させ、出獄させると党の業務に就かせた。この工作で薄一波・劉瀾濤・安子文・楊献珍・周仲英ら61人が出獄し、1945年の第7回党大会ではこの中から代表として選出された12人について代表資格に問題はないと認め、中華人民共和国の建国後も文革以前にこの工作が問題とされたことはなかった。