養老3年(719年)に泰澄が入山し、薬草が多いことから唐の育王山にちなんで育王仙と名づけたとされる。養老6年(722年)元正天皇が大病にかかり、泰澄がこの山の薬草を献上したところ快癒された。天皇は大いに喜ばれ、泰澄に神融法師の称号を賜わり、育王仙は医王山と命名されたという。
医王山は中世には白山・石動山と並んで北陸の修験道場の一大拠点として隆盛し、48寺・約3,000坊もあったと伝わる。医王山の伽藍諸坊は、文明13年(1481年)に瑞泉寺一向宗の門徒との戦いに敗れ、全山が焼き払われてしまったという[1]。