これに対して、天正9年にクーデターによって南部信直が家督を継いだとする熊谷隆次は晴継について次の疑問を提示する。南部晴政の「晴」は将軍足利義晴から授けられた偏諱であるため、晴継も義晴からの偏諱を得たと考えざるを得ないが、そうした記録がない。晴継は「夭折」したと記されているが、既に元服して晴継と名乗っている。死亡した経緯が複数伝えられるなどの様々な不自然な点があるとして、晴継は天正9年よりも以前に夭折したか、そもそも実在しない架空の人物と考えざるを得ず、南部家の家督は恐らく実力(信直側のクーデター)によって晴政から信直に移されたものである、つまり晴継の家督継承は後世の創作であったとしている[4]。