国鉄DD50形ディーゼル機関車
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| 国鉄DD50形ディーゼル機関車 | |
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ECAFE(国連アジア極東経済委員会)鉄道展覧会にて展示中のDD50 | |
| 基本情報 | |
| 運用者 | 日本国有鉄道 |
| 製造所 | 新三菱重工業 |
| 製造年 | 1953年 - 1954年 |
| 製造数 | 6両 |
| 主要諸元 | |
| 軸配置 | Bo-Bo |
| 軌間 | 1,067mm |
| 全長 | 11,800mm |
| 運転整備重量 | 60.0t |
| 軸重 | 15.0t |
| 動力伝達方式 | 電気式 |
| 機関 | 三菱重工製8LDA25形(直列8気筒、4サイクル、単動過給式)×1基 |
| 機関出力 | 1,050PS/800rpm |
| 主電動機出力 | 130kW/730 rpm×4基 |
| 歯車比 | 1:4.56 (16:73) |
| 最高運転速度 | 90km/h |
| 出力 | 520kW |
DD50形ディーゼル機関車(DD50がたディーゼルきかんしゃ)は、かつて日本国有鉄道(国鉄)に在籍した電気式ディーゼル機関車である。
構造
エンジンはスイスのスルザー社と新三菱重工業の技術提携により製造された、縦形(直立シリンダー)直列8気筒、直噴式で1,050ps(1時間定格)の新三菱スルザー・8LDA25である。このエンジンは1930年代に開発された直列6気筒の6LDA25を基本に、8気筒化して出力の増強を図ったもので、日本への導入当時既にフランスの植民地向け機関車などで多数の製造実績があった、スルザー社の標準設計品の一つである。構造自体は手堅く堅実であったが、工作精度の基準が高く、新三菱側は苦労したという。日本での国産化に当たっては後のDF50でも、三菱重工業が製造を担当した0番台に採用されている。動力伝達方式は幹線用機関車の世界的な標準である電気式を採用した。
本形式は運転台が片側にしかなく、常に2両を背中合わせに連結して重連運転することを前提として製造された。そのため事実上は「DH50」とも言える。単機でも列車牽引に使用することは可能であったが、折り返し時に転車台による方向転換が必要なことや、非力で牽引力が不足ぎみであることから単機での列車牽引には制約があった(単機での出力は520kWであり、昭和初期に製造されたモハ53形電車とほぼ同じだった)ため、実際の運用では重連で使用されることが殆どであった。重連で使用した際の性能は、D52・C62並みとされている。
運転台側の前面形状は80系電車とよく似た2枚窓半流線形のいわゆる「湘南形」である。特に1次型は車体幅が狭く、天地寸法の大きめな前面窓と、連結器付近まで延びた前面外板による面長でのっぺりとした印象から、「海坊主」なるあだ名を当時のファンからもらっていた(当時のディーゼル機関車の標準塗装である茶色塗装も海坊主のイメージに拍車をかけていた)。2次車では前面窓の比率が横長となって、窓隅のRも小さくなり、前面に排障器が装着されたこともあって、1次型より垢抜けたスタイルとなっている。
外部塗装はぶどう色2号に白色の帯であったが、1964年(昭和39年)ごろに上半が朱色4号、下半がねずみ色1号のツートーンカラーで、間に白帯を配した塗装に変更された。
