在郷町
日本の都市の形態のひとつ
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定義
在郷町の定義は先に述べた通りであり、門前町・宿場町・港町も一般的に在郷町の一種である。
しかし在郷町をさらに細分化することもあり、『国史大辞典』は、法的に農村として把握された町場のみを在郷町とする立場と、三都や城下町のような大都市以外の在方における都市・町場を広く含める立場の双方を紹介し、これに加え、関東に多い「農民経済の拠点である町場」を在郷町、畿内に多い「中世の都市が在方に分類されつつも存続したもの」を在町として区別する見解があることも指摘している[3]。
呼称は地域によってさまざまである。加賀藩・肥後熊本藩・伊予大洲藩では「在町」が[4][5]、畿内では「郷町」「町分」が多く用いられた[2]。
特徴
在郷町の住民は一般に、農業と商工業を完全に分離しておらず、商工業者であっても農地を保有する者が多かった[1]。在郷町を拠点とする商人は「在郷商人」と呼ばれ、18世紀後半以降、城下町や三都の問屋や株仲間と対立することもあり、摂河泉では自由販売を求める大規模な国訴が幾度なく勃発した[6]。特に大規模な例として、在郷町ではなく在町であるが平野商人(平野綿屋町)と船場商人(大坂平野町)との間に起きた対立が挙げられる。平野綿屋町と大坂平野町には双方とも繊維の問屋街があったことに加え、平野が江戸など東国まで繊維を輸送するための廻船を運航していたために、大坂の問屋街とはしばしば対立していた。
在町・在郷町の規模にはかなりの幅があり、富田林は江戸中期に人口約3000、今井町は約4000を数え、一般にはこのような戸数200から1000、人口1000から6000程度のものが多かった[2]。ただし大規模な事例も存在し、摂津平野や和泉佐野のように人口1万に達する在町・在郷町もあった[1]。
在郷町の扱いとしては、領主が在郷町の歴史的性格を尊重して商業活動を黙認する場合もあれば、領内経済の拠点として積極的に在方における町の存在を公認する場合もあった[3]。伊予大洲藩は、城下に準ずる町(新谷町・長浜町など)と、在町(内之子町・中山町・五十崎町など)を区別し、在町においては取扱商品に制限を設けた[5]。商業を営む者には商札の交付と運上銀の納入が義務づけられ、札の等級(30匁札・15匁札・3匁札)に応じて取り扱える商品に差が設けられた[5]。また熊本藩では城下町の「五ヶ町」とは別で、領内各所に「在町」を設けていた[4]。また江戸時代後期に平野を治めた古河藩も、平野を西国支配の拠点都市とみなし、平野陣屋を設けている。
都市構造
在郷町の構造は、城下町と比較すると小規模かつ単純であったのが一般的である。多くの場合、街道や河川沿いに町家が一列ないし二列に並ぶ短冊形の地割を基本とし、城下町のような武家地・町人地・寺社地の機能別配置は見られない[7]。しかし、寺内町や中世都市を起源とする在町は環濠・土居に囲まれた計画的な町割を持っていることもあり、たとえば富田林の六筋七町、今井町の碁盤目状の町割のように、整然とした空間構造を備えていた在町があった[8][9]。特に大規模であった天王寺や平野には「綿屋町」などの職業町名も見られ、平野においては碁盤目状の街衢が1キロメートル四方に及んでいた。
経過
畿内
豊臣政権が太閤検地や兵農分離政策によって「町方(都市部)」と「村方(農村部)」を分離して以降、商工業者は城下町など公認の都市に集住するのが原則であり、農村部に商工地(町場)が存在することは制度上想定されていなかった[3]。ところが現実には、戦国時代以来の都市が近世の再編過程で農村扱いを受けたまま都市としての実態を維持する例や、経済の発展に伴い新たに商工地が形成される例があった[1][3]。
脇田修は、経済的先進地域である畿内では戦国末期にすでに各地に都市が成立していたことを指摘する[1]。豊臣秀吉が大坂城の城下町を建設する過程で周辺の既存都市から商工業者を集住させ、さらにそれら旧来の都市を法的に在方(農村部)として扱ったため、商工業都市としての実態を維持しながら制度上は在方となった都市、すなわち在町が多数生じた[1]。
平野はその代表的かつ大規模な事例である。堺と同様に中世以来の自治都市・環濠都市であったものの、大坂の外港として重要視された堺と異なり内陸にあり、豊臣秀吉による船場・上町の両平野町への強制移住策などもあって、在方に分類された[1][10]。しかし江戸時代初期に復興されて以降は繊維業の栄える商都であった。平野と同様の事例は、より規模は小さいながら畿内の寺内町でも顕著で、河内富田林[8]・摂津富田[1]なども同じような経緯をたどっている。
上述した在町に対して、畿内における農村経済拠点としての在郷町の発展は、17世紀後半に顕著となっていく。大坂や平野に近い摂河では棉花をはじめとする商品作物の生産が活発化し、数キロメートルおきに町場が成立していた[1]。大坂に近い河内国の場合、寺内町以来の在町として久宝寺・八尾・大ケ塚・富田林が、在郷町として枚方・柏原・国分・古市があった[11]。
東国
畿内以外の地域では、在郷町の形成は総じてやや遅れ、農村における商品経済の発達にともない元禄から享保にかけての17世紀末 - 18世紀前半ごろに全国的に形成が進んだ[2]。特産品の流通拠点を核として在郷町が成長し、しだいに後進地域へと拡大していった[1]。東北地方では紅花・青苧の集散地として最上川舟運沿いの大石田・谷地(現河北町)・左沢(現大江町)などが在郷町に発展した[12]。19世紀に入ると、マニュファクチュアの形成や開国の影響を受けた結果、商品生産・流通の拠点としての在郷町も生まれている[1]。
近代以降
明治維新に際して旧来の町方・在方の法的区別は撤廃され、在町・在郷町はその実態に即した町村に改編されることとなり、さらに鉄道交通の発展によって都市地位を維持・強化したものと、交通路から外れて停滞したものとに分かれた。特に後者の場合、歴史的建造物が多く残存し、風致が維持されたものが多かった。
20世紀後半以降、こうした旧在郷町の町並みが文化遺産として再評価されるようになり、文化庁の伝統的建造物群保存地区に選定されるなどして保存・活用が進められている[13]。
おもな在町・在郷町の一覧
- 太字は最盛期の人口が8000人を超えていたもの。
- 重伝建は文化庁の重要伝統的建造物群保存地区に選定されているもの。
畿内
- 平野(平野郷・平野郷町・摂津平野・摂州平野/住吉郡・大阪府大阪市平野区):もと自由都市。大坂平野町への強制移住策や大坂の陣での全焼(平野焼き討ち)を経験したのち、商都として繊維業を軸に復興した。このため、久宝寺・柏原などほかの在郷町にも影響を与えている。最盛期の人口は約一万。
- 伊丹(伊丹郷・伊丹郷町/川辺郡・兵庫県伊丹市):猪名野神社の門前町。伊丹酒を代表に酒造で繁栄したが、灘五郷の台頭により衰退した。最盛期の人口は約八千。
- 池田(豊島郡・大阪府池田市):もと池田城の城下町。江戸時代以降は池田炭や池田酒の生産地として発展した。
- 富田(摂津富田/島上郡・大阪府高槻市):普門寺の寺内町。酒造が盛んであったが高槻藩から冷遇を受け、やはり灘五郷の台頭で衰退した。
- 茨木(島下郡・大阪府茨木市):もと楠木正成が建設した茨木城の城下町。隠れキリシタンの里であった。
- 瀬川(豊島郡・大阪府箕面市):瀬川宿
- 枚方(交野郡・大阪府枚方市):枚方宿
- 久宝寺(渋川郡・大阪府八尾市):顕証寺の寺内町。平野と同様、河内木綿の栽培・集散で栄えた。
- 八尾(渋川郡・大阪府八尾市):大信寺の寺内町。平野や久宝寺と同様に河内木綿の栽培・集散で栄えた。
- 柏原(安宿部郡・大阪府柏原市):平野商人の末吉吉康・長方父子が大坂 - 平野 - 柏原間に設けた柏原船航路の終着港であり、水運市場が設けられていた。
- 国分(河内国分/安宿部郡・大阪府柏原市):柏原と同様、大坂までの国分船航路が設けられていた。
- 古市(古市郡・大阪府羽曳野市)剣先舟航路の船着場が設けられ、河内木綿の集散地でもあった。
- 大ケ塚(石川郡・大阪府南河内郡河南町):顕証寺の寺内町。河内木綿の集散地であったが、明治時代以降は富田林が中心地となり廃れた。
- 富田林重伝建(石川郡・大阪府富田林市):富田林興正寺別院の寺内町。
- 長野(河内長野/錦部郡・大阪府河内長野市)
東海道
東山道
- 増田重伝建(出羽国平鹿郡・秋田県横手市)
- 大石田(出羽国村山郡・山形県北村山郡大石田町):もと最上川の河港町。
- 谷地(出羽国村山郡・山形県西村山郡河北町)
- 左沢(出羽国村山郡・山形県西村山郡大江町):もと最上川の河港町. 在郷町。
- 東根(出羽国村山郡・山形県東根市)
- 小田付重伝建(陸奥国耶麻郡・福島県喜多方市)
- 村田重伝建(陸奥国柴田郡・宮城県柴田郡村田町)
- 登米(陸奥国登米郡・宮城県登米市):もと仙台藩支城の城下町。
- 嘉右衛門町重伝建(下野国都賀郡・栃木県栃木市)
- 栃木(下野国都賀郡・栃木県栃木市):もと巴波川の河岸町。
- 佐野(下野国安蘇郡・栃木県佐野市)
- 小布施(信濃国高井郡・長野県上高井郡小布施町)
- 須坂(信濃国高井郡・長野県須坂市):もと須坂藩の陣屋町。
- 成相新田(信濃国筑摩郡・長野県安曇野市)
- 千国(信濃国安曇郡・長野県北安曇郡小谷村):千国街道の宿場町。
- 岩村重伝建(美濃国恵那郡・岐阜県恵那市):もと岩村藩の城下町。
- 日野(近江国蒲生郡・滋賀県蒲生郡日野町):もと日野城の城下町。
- 近江八幡重伝建(近江国蒲生郡・滋賀県近江八幡市):もと近江八幡城の城下町。近江商人発祥の地。
- 八日市(近江国神崎郡・滋賀県東近江市)
- 安土(近江国蒲生郡・滋賀県近江八幡市):もと安土城の城下町。
北陸道
- 吉久重伝建(越中国射水郡・富山県高岡市)
- 小須戸(越後国蒲原郡・新潟県新潟市秋葉区):信濃川の河岸町。
- 新津(越後国蒲原郡・新潟県新潟市秋葉区)
- 吉田(越後国蒲原郡・新潟県燕市):三国街道の宿場町。
- 燕(越後国蒲原郡・新潟県燕市)
- 柏崎(越後国刈羽郡・新潟県柏崎市)
- 武生(越前府中/越前国南条郡・福井県越前市):もと陣屋町。
- 今立(越前国今立郡・福井県越前市)
- 鯖江(越前国今立郡・福井県鯖江市):もと鯖江藩の城下町。
- 金津(越前国坂井郡・福井県あわら市)
- 丸岡(越前国坂井郡・福井県坂井市):もと丸岡藩の城下町。
- 三国(越前国坂井郡・福井県坂井市)
- 佐柿(若狭国三方郡・福井県三方郡美浜町)[14]
- 本郷(若狭国大飯郡・福井県大飯郡おおい町)[14]
- 高浜(若狭国大飯郡・福井県大飯郡高浜町)[14]
山陽道
山陰道
南海道
西海道
- 甘木(筑前国夜須郡・福岡県朝倉市)
- 吉井重伝建(筑後吉井/筑後国生葉郡・福岡県うきは市)
- 黒木重伝建(筑後黒木/筑後国上妻郡・福岡県八女市)
- 城島(筑後国三潴郡・福岡県久留米市)
- 草野(筑後国御井郡・福岡県久留米市)
- 行橋(豊前国京都郡・福岡県行橋市)
- 浜庄津町浜金屋町重伝建(肥前国藤津郡・佐賀県鹿島市):鹿島藩の港町。
- 白石(肥前国杵島郡・佐賀県杵島郡白石町)
- 日田(豊後国日田郡・大分県日田市)
- 戸次(豊後国大分郡・大分県大分市)
- 犬飼(豊後国大野郡・大分県豊後大野市):大野川の河港町。
- 三重町(豊後国大野郡・大分県豊後大野市)
- 高田(豊後高田/豊後国国東郡・大分県豊後高田市)
- 玉来(豊後国直入郡・大分県竹田市)
- 佐敷(肥後国葦北郡・熊本県葦北郡芦北町)
- 矢部(矢部郷/肥後国上益城郡・熊本県上益城郡山都町)
重要伝統的建造物群保存地区
文化庁が重要伝統的建造物群保存地区(重伝建)として選定した地区のうち、種別に「在郷町」の語を含むものは以下のとおりである(2025年4月現在)[13]。
| 名称 | 所在地 | 種別 | 選定年月日 |
|---|---|---|---|
| 横手市増田[15] | 秋田県横手市 | 在郷町 | 2013年(平成25年)12月27日 |
| 喜多方市小田付[16] | 福島県喜多方市 | 在郷町・醸造町 | 2018年(平成30年)8月17日 |
| 桜川市真壁[17] | 茨城県桜川市 | 在郷町 | 2010年(平成22年)6月29日 |
| 嘉右衛門町 | 栃木県栃木市 | 在郷町 | 2012年(平成24年)7月9日 |
| 吉久[18] | 富山県高岡市 | 在郷町 | 2014年(平成26年)12月18日 |
| 富田林寺内町 | 大阪府富田林市 | 寺内町・在郷町 | 1997年(平成9年)10月31日 |
| 今井町 | 奈良県橿原市 | 寺内町・在郷町 | 1993年(平成5年)12月8日 |
| 吉良川町[19] | 高知県室戸市 | 在郷町 | 1997年(平成9年)10月31日 |
| 卯之町[20] | 愛媛県西予市宇和町 | 在郷町 | 2009年(平成21年)12月8日 |
| 津島町岩松 | 愛媛県宇和島市津島町 | 在郷町 | 2022年(令和4年)11月10日 |
| 筑後吉井[21] | 福岡県うきは市 | 在郷町 | 1996年(平成8年)12月10日 |
| 筑後黒木 | 福岡県八女市 | 在郷町 | 2009年(平成21年)6月30日 |
| 浜庄津町浜金屋町 | 佐賀県鹿島市浜庄津町 | 港町・在郷町 | 2006年(平成18年)7月5日 |
このほか、重伝建の種別としては「商家町」「製蝋町」「醸造町」「製塩町」などに分類されている地区のなかにも、歴史的実態としては在郷町であったものが多数含まれる[22]。