平野区

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日本の旗 日本
都道府県 大阪府
ひらのく ウィキデータを編集
平野区
杭全神社
日本の旗 日本
地方 近畿地方
都道府県 大阪府
大阪市
市町村コード 27126-8
面積 15.28km2
総人口 184,505[編集]
推計人口、2026年3月1日)
人口密度 12,075人/km2
隣接自治体
隣接行政区
大阪市東住吉区生野区
東大阪市八尾市松原市
区の花 ワタ
平野区役所
所在地 547-8580
大阪府大阪市平野区背戸口三丁目8番19号
北緯34度37分16.2秒 東経135度32分46.1秒 / 北緯34.621167度 東経135.546139度 / 34.621167; 135.546139座標: 北緯34度37分16.2秒 東経135度32分46.1秒 / 北緯34.621167度 東経135.546139度 / 34.621167; 135.546139
平野区役所(2007年8月)
外部リンク 大阪市平野区
平野区位置図
ウィキプロジェクト
大阪府下最大の木造建築物である[注 1]大念仏寺
渡来系の鞍作氏によって栄えた加美鞍作にある旧辻元家住宅
全興寺(平野薬師)地獄堂。全興寺は平野の町づくりを考える会の中核としても知られる

平野区(ひらのく)は、大阪市を構成する24行政区のうちの一つ。区の名称は、戦国時代安土桃山時代とともに知られた「先進自由都市[1]平野が由来である。

2020年の統計時点では市内24区で最多の人口を有していたが、人口減少により2024年に淀川区に抜かれたことにより、現在は市内2位の人口を擁する。

大阪市の南東端に位置する区で、東側は東住吉区、北側は生野区、西側は東大阪市八尾市、南側は松原市に接する。面積は大阪市の中でも住之江区此花区に次ぐ広さで、区内にはそれぞれ性格の異なる平野喜連加美瓜破長吉などの地域が存在する。平野区にあたる地域は古代渡来人との交流が盛んであり、当時の中華王朝の文化や技術がいち早く導入された。

平野は歴史的建造物の多いエリアであり、大阪市内で最も古い市街地として知られ、飛鳥時代から続いている。地名は渡来人東漢氏から続く坂上氏軍事貴族である坂上広野麻呂[2]杭全荘を下賜されたことによる。中世にはと並び称された自由都市の代表格として知られ、広野麻呂の末裔と伝わる平野七名家による合議制が敷かれて独立性を堅持した。平野総鎮守杭全神社や坂上氏氏寺長寶寺など社寺も多く、特に融通念仏宗総本山・大念仏寺の本堂は大阪府で最大の木造建築として知られる。また文化面でも、江戸時代初期の朱印船貿易を一手に担った平野七名家の末吉吉安(末吉孫左衛門)や杭全神社に残る日本唯一の連歌所、日本初の民間学問所である含翠堂など、数々の蓄積があった。現在でも、歴史的景観を活かした平野町ぐるみ博物館などの取組みが行われている。

喜連は平野の南側に位置しており、中世の環濠集落として知られ、かつては集落全体が「喜連城」という一つの城郭であった。現在は隣接する瓜破とともに、喜連瓜破駅を中心とした歓楽街を形成している。瓜破は歴史が古く、地名は飛鳥時代の僧・道昭が名付けたという伝説がある。北東に位置する加美には古代寺院・鞍作寺畠山政長居城・正覚寺城などの史跡が多い一方、現在は隣接する東大阪市と同様に工場など中小企業が多く集まる工業地域でもある。対して長吉は南部に位置する比較的新しい市街地である。戦後の急速な人口増加に対応するため、団地などの宅地造成が高度経済成長期に集中して行われたことで、区内有数の人口集積地となっている。

現在の平野区は昼夜間人口比率が93.3と低く、基本的には大阪都市圏ベッドタウン住宅都市である。

地理

大阪府のほぼ中央に位置する。区内のうち北西部は上町台地の南部に当たるが、全体的に見ると平坦な地形である。南部の端を大和川が流れるが、瓜破南1丁目・2丁目と長吉川辺4丁目は、大和川より南に位置する。

区域は、摂津国河内国に大別できる。

大阪市内を本拠とするカプコンや、高槻市に本社を置くサンスターは、この平野区が発祥地である。

河川

歴史

平野の地名は平安時代末期にまで遡ることが可能で、古くは摂津国住吉郡杭全荘(平野荘)と呼ばれた。征夷大将軍坂上田村麻呂の次男で杭全荘の開発領主となった坂上広野麻呂と、その子孫である坂上氏宗家を「平野殿」と呼んだ。

中世の平野は、市街を二重の濠と土居で囲んだ環濠都市として独自の自治を確立し、坂上氏の庶流である平野七名家による合議制が機能した自由都市でもあった。このために会合衆との平堺同盟によって織田信長の圧力に対抗した。大坂夏の陣では徳川家康の本陣と定められ、真田幸村による家康暗殺未遂の舞台ともなったとして知られている。豊臣秀吉派、徳川家康派に分かれたと記載もある。末吉氏である末吉勘兵衛利方は江戸幕府征夷大将軍の徳川家康派だったので死後高野山の奥の院に墓があると記載がある。

江戸時代以降は紡績業に特化した商工地として発展し、日本初の民間学問所である含翠堂など文化面でも影響力を保った。

大阪市編入後

  • 1925年大正14年)4月1日:大阪市第2次市域拡張により、東成郡平野郷町喜連村が新設の住吉区に編入される。
  • 1943年昭和18年)4月1日:区の再編により、東住吉区が設置される。
  • 1955年(昭和30年)4月3日:大阪市第3次市域拡張により、加美村、瓜破村、長吉村が東住吉区に編入される。
  • 1974年(昭和49年)7月22日:東住吉区からの分区により、平野区が設置される。新区名は投票の結果1票差で「平野区」が「大和川区」を上回り、新区名に決定した。区役所は東住吉区から引き継いだ。
  • 2001年(平成13年):区役所を現行の新庁舎に建替。

分区の経緯

現在の平野区は、元々東住吉区であった地域を分区して作られた。1955年の第3次大阪市域拡張により、従来の東住吉区にはなかった加美瓜破矢田長吉を編入。非常に広大な区となっていた事もあり、分区自体については地元住民からの歓迎の意向を示されていたが、新しい東住吉区との区境界をどこにするかで論議が巻き起こった。境界の案としては、今里筋で分ける案や、大阪内環状線で分ける構想があったが、これらについて「同じ町村を分断する」として、今里筋案では育和から、大阪内環状線案では瓜破から、それぞれ強い反対意見が出された。 この修正案として、現行の複雑な区境界が策定され、満場一致で本決定となった経緯がある[3]

区名の由来と経緯

先述の通り、平野区の名の由来は、坂上広野麻呂が住んでいた場所が平野殿と言われていた事から広野のひろのからひらのとなり平野となり平野区になったと言われている。

分区にあたっては、東住吉区内での生活区域が、戦前より田辺と平野に分かれていた[注 2]こともあり、元の区名である「東住吉」をどちらに残すかで論争となった。結果的に、住吉区の東隣であるという理由から田辺側を東住吉区に選定し、平野側の新区域名を考えることになった。500名を対象にアンケートを行った結果、大和川区、南住吉区、長吉区などの案も挙がったが、80%近くの回答が平野区であった。 この結果を踏まえ、区名決定にあたって区政協力会[注 3]を開催し、一旦は平野区へ決まりかけた。 しかし、第3次大阪市域拡張で編入した瓜破・長吉の村民が歩調を合わせ、区政会議会にて改めて「大和川区」を主張。この結果、平野区派と大和川区派が同一票数になったが、加美エリアからの投票の結果、1票差で辛うじて平野区に決定することになった経緯がある[4]

人口

平野区(に相当する地域)の人口推移
世帯数 人口 人口増減率
(前回比)
1950年(昭和25年) 13,054 59,128
1955年(昭和30年) 13,974 64,588 +9.23%
1960年(昭和35年) 20,942 90,289 +39.79%
1965年(昭和40年) 38,495 147,225 +63.06%
1970年(昭和45年) 51,785 188,977 +28.35%
1975年(昭和50年) 58,395 202,645 +7.23%
1980年(昭和55年) 61,100 198,880 1.86%
1985年(昭和60年) 64,188 196,203 1.35%
1990年(平成2年) 71,351 198,550 +1.20%
1995年(平成7年) 76,676 200,556 +1.01%
2000年(平成12年) 80,874 201,722 +0.58%
2005年(平成17年) 83,688 200,490 0.61%
2010年(平成22年) 200,205 0.14%

※2010年は9月1日現在の推計人口

地名

平野区中心部の空中写真(中央の建造物密集地が平野)

平野区は大きく分けると、平野喜連加美瓜破長吉の5地区から成り立っている。平野・喜連が摂津国、加美・瓜破・長吉が河内国にあたる。

住居表示にあたり、町名に東西南北をつけて整理されたケースが多いが、長吉エリアは旧長吉村だった歴史を後世に残すため、町名の前に「長吉」を冠する命名方法となっている[4]

交通

鉄道

西日本旅客鉄道(JR西日本)
関西本線Q大和路線[阪] 加美駅 - [阪] 平野駅
Fおおさか東線 新加美駅
衣摺加美北駅(東大阪市衣摺)は駅舎の一部が加美北に跨っている。
大阪市高速電気軌道 (Osaka Metro)
T 谷町線 平野駅 - 喜連瓜破駅 - 出戸駅 - 長原駅

※ かつて平野区には路面電車として南海平野線が走っており、区内には西平野平野の2ヶ所の電停があった。しかし、人口急増により路面電車では輸送力に限界が生じ、1980年(昭和55年)11月の地下鉄谷町線延伸により地下鉄に引き継がれ廃線となった。

バス

大阪シティバスが区内で21の系統を運行。出戸バスターミナルもある。かつてあった旧大阪市営バス長吉営業所は、2013年3月31日をもって廃止された。過去には近鉄バスも乗り入れていた。

道路

高速道路
国道・その他一般道

教育

芸能文化科をもつ東住吉高校。

区内には大阪教育大学附属の高校・中学校・小学校がある。また区西部に位置する東住吉高校には、芸能文化科が全国で唯一設置されている。

大学

短期大学

高等学校

中学校

小学校

(閉校となった小学校)

  • 大阪市立大和川小学校 - 団地建設などによる児童増により1974年に長原小学校より分離開校。しかしその後の児童減少に伴い1989年に長原小学校へ再統合されて閉校[5]
  • 大阪市立長吉六反小学校 - 2016年長吉東小学校に統合し閉校[5]

特別支援学校

名所・旧跡・観光スポット・施設

集合住宅

大規模マンション

  • メガロコープ平野
  • 平野コーポ

住宅団地

  • 都市再生機構エステート喜連東
  • 大阪府住宅供給公社喜連団地
  • 大阪市住宅供給公社コーシャハイツ喜連西
  • 大阪市住宅供給公社コーシャハイツ瓜破
  • 大阪市住宅供給公社コーシャハイツ中野
  • 市営瓜破2丁目住宅
  • 市営瓜破西住宅
  • 市営瓜破東住宅
  • 市営加美北住宅
  • 市営加美絹木住宅
  • 市営加美正覚寺住宅
  • 市営加美神明住宅
  • 市営加美長沢住宅
  • 市営加美東住宅
  • 市営加美南住宅
  • 市営喜連住宅
  • 市営喜連北池住宅
  • 市営長吉住宅
  • 市営長吉川辺住宅
  • 市営長吉出戸住宅
  • 市営長吉出戸西住宅
  • 市営長吉出戸南住宅
  • 市営長吉長原住宅
  • 市営長吉長原北住宅
  • 市営長吉長原西住宅
  • 市営長吉長原東住宅
  • 市営長吉六反住宅
  • 市営長吉六反北住宅
  • 市営長吉六反東住宅
  • 市営西喜連住宅
  • 市営東喜連住宅
  • 市営平野住宅
  • 市営平野市町住宅
  • 市営平野東住宅
  • 清水電気社宅
  • 西濃運輸社宅
  • 万福運送社宅
  • JR西日本平野社宅

出身有名人

歴史上の有名人

現代の有名人

平野区に本拠を構える企業

脚注

関連項目

外部リンク

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