妙香寺 (横浜市)

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所在地 神奈川県横浜市中区妙香寺台8
位置 北緯35度26分01.3秒 東経139度39分02.2秒 / 北緯35.433694度 東経139.650611度 / 35.433694; 139.650611座標: 北緯35度26分01.3秒 東経139度39分02.2秒 / 北緯35.433694度 東経139.650611度 / 35.433694; 139.650611
山号 本牧山
宗旨 日蓮宗
妙香寺みょうこうじ
本堂
所在地 神奈川県横浜市中区妙香寺台8
位置 北緯35度26分01.3秒 東経139度39分02.2秒 / 北緯35.433694度 東経139.650611度 / 35.433694; 139.650611座標: 北緯35度26分01.3秒 東経139度39分02.2秒 / 北緯35.433694度 東経139.650611度 / 35.433694; 139.650611
山号 本牧山
宗旨 日蓮宗
創建年 814年[1][2]
開山 空海(東海寺として)、日高上人[1][2]
開基 日能
中興 日英
公式サイト 本牧山妙香寺
法人番号 2020005000933 ウィキデータを編集
妙香寺の位置(横浜市内)
妙香寺
妙香寺
妙香寺 (横浜市)
妙香寺の位置(神奈川県内)
妙香寺
妙香寺
妙香寺 (神奈川県)
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妙香寺(みょうこうじ)は、神奈川県横浜市中区妙香寺台にある日蓮宗の寺院。山号は本牧山。旧本山は大本山中山法華経寺(中山門流)。日本国歌君が代』発祥の地および「日本吹奏楽発祥の地」として知られる[3][4]

弘仁5年(814年)、真言宗の開祖・空海により本牧山東海寺として創建され、薬師如来を本尊としていた[1]

文永元年(1264年)、住職の法印昌香が日蓮聖人に帰依して日能と名を改め、日蓮宗に改宗し寺号は連昌山妙香寺となった[1]。当地の地名「妙香寺台」は、当寺の寺号に因んで名付けられたものである[5]。当時は八町四方の広大な寺領と四十九の末寺を有していたが、改宗時に末寺は堀之内宝生寺(横浜市南区)へ転属され、寺領も没収となった[1]

応永20年(1413年)頃には十世・日英が中興を果たし、近世以降は徳川家の庇護のもと本牧の地十石を拝領した[1]。その後、横浜開港後に山号を本牧山と改称した[1]

明治時代になるまで、妙香寺は広大な寺領を誇り、現在の山手公園一帯もかつては妙香寺の敷地に含まれていた[6][7]。山手公園は、寺の境内の一部を充てて造成され、明治3年(1870年)6月に日本最初の西洋式公園として開園した[8][9]

大正12年(1923年)の関東大震災昭和2年(1927年)1月10日の火災、昭和20年(1945年)5月29日の横浜大空襲によって三度にわたり伽藍を焼失。昭和56年(1981年)に現在の本堂が再建された[1]

1935年(昭和10年)10月、『横浜貿易新報』の読者投票で県下名勝史蹟四十五佳選に選定された[10]

歴代住職

他、公式HPに初代から現代までの歴代住職が記録されている[1]

境内

本堂、山門、鐘楼、大黒堂のほか、「日本吹奏楽発祥の地」と「国歌君が代発祥の地」を示す石碑が所在する[11]

君が代・吹奏楽発祥の地

明治2年(1869年)、薩摩藩は洋式軍楽隊を創設するため、藩士32名を横浜に派遣した[6][12]。彼らは「薩摩バンド」と呼ばれ、当寺に合宿して、当時駐屯していたイギリス軍第10連隊軍楽隊長のジョン・W・フェントンから吹奏楽の指導を受けた[2][6]。これが日本の吹奏楽の始まりとされている[2][4]

翌明治3年(1870年)には山手公園で英軍軍楽隊と合同演奏を行い、同年の天覧操練(東京・越中島)でフェントン作曲の礼式曲「君が代」が初演された[3]。この曲は、現在の国歌と旋律が異なる[4][6]

1989年、日本吹奏楽指導者協会(JBA)は境内に「日本吹奏楽発祥の地」記念碑を建立[2][4]。碑の文字は薩摩藩主の島津忠秀によるもので、演奏する薩摩藩士たちの姿も彫刻されている[4]。記念碑建立以降、JBAは毎年、体育の日(現在はスポーツの日)に、フェントン作曲の『君が代』を聴ける記念演奏会を開催しており[6]、2019年10月14日には日本吹奏楽発祥150年の記念行事が行われた[2][3][13]

アクセス

脚注

関連資料

関連項目

外部リンク

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