飯田精太郎
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山口県出身。陸軍士官・飯田俊助、マサ夫妻の長男として生まれる[1][2]。1907年(明治40年)京都帝国大学理工科大学電気工学科を卒業[2][3]。父・俊助の死去に伴い、1914年(大正3年)4月23日、家督を相続し男爵を襲爵した[1][4]。
1908年(明治41年)臨時台湾工事部嘱託に就任[3]。以後、臨時台湾工事部技師、鉄道技師、鉄道省新橋電力事務所長、同東京電気事務所長、同電気局長、運輸通信次官、技術院参与、鉄道電気工業 (株) 相談役、鉄道電化協会会長、鉄道会議議員、工作機械製造事業委員会委員、帝都高速度交通営団評議員、産業設備評価中央委員会委員などを務めた[2][3]。
1935年(昭和10年)12月7月、補欠選挙で貴族院男爵議員に選出され[5]、公正会に属して1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任した[3]。
戦後、1947年4月、第1回参議院議員通常選挙に全国区から立候補し当選(任期3年)[3]。緑風会に属し、参議院電力問題に関する特別委員長を務めた[3]。次の第2回通常選挙には立候補せず、参議院議員を1期務めた[3]。
