大木武

日本のサッカー選手・監督 From Wikipedia, the free encyclopedia

大木 武(おおき たけし、1961年7月16日 - )は、静岡県清水市(現静岡市)出身の元サッカー選手、サッカー指導者。

カタカナ オオキ タケシ
ラテン文字 OKI Takeshi
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1961-07-16) 1961年7月16日(64歳)
概要 大木 武, 名前 ...
大木 武
名前
カタカナ オオキ タケシ
ラテン文字 OKI Takeshi
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1961-07-16) 1961年7月16日(64歳)
出身地 静岡県清水市
身長 170cm[1]
体重 64kg[1]
選手情報
ポジション MFFW
ユース
1977-1979 日本の旗 清水東高校
1980-1983 日本の旗 東京農業大学
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1984-1991 日本の旗 富士通
監督歴
2002 日本の旗 ヴァンフォーレ甲府
2003 日本の旗 清水エスパルス
2005-2007 日本の旗 ヴァンフォーレ甲府
2011-2013 日本の旗 京都サンガF.C.
2014 日本の旗 ジュビロ磐田U-18
2017-2019 日本の旗 FC岐阜
2020-2025 日本の旗 ロアッソ熊本
2026- 日本の旗 愛媛FC
1. 国内リーグ戦に限る。2007年12月16日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj
閉じる

来歴

選手時代

静岡県立清水東高等学校(高校の同級生に望月一頼)、東京農業大学を経て、富士通に入社。MF/FWとしてプレー。1991年に現役引退した。

富士通・清水コーチ時代

母校である東京農業大学からコーチの依頼を受け、次の可能性にトライしてみようと現役を引退し、富士通に勤めながら指導者としての道を歩み始めた。1993年には富士通を退社し清水エスパルスのユース監督兼ジュニアユースコーチに就任。その後サテライトコーチを経て、1999年にはスティーブ・ペリマンが一時帰国した際には代行監督としてナビスコ杯2回戦で指揮を執った。

第一期甲府監督時代

2002年J2所属のヴァンフォーレ甲府の監督に就任。当時の甲府は3年連続最下位の状態であり、ようやく経営危機から脱出したばかりで予算も限られた状態であったが、藤田健倉貫一毅石原克哉水越潤といったメンバーが台頭し、また鶴見智美影山由高によって得点力が向上した。守備についても清水からアライールをレンタル移籍させるなどして安定化に努めた結果、12チーム中7位にまで引き上げる事に成功した。

清水監督時代

2003年に、清水の監督に就任。前年の2ndステージ(当時のJ1は2ステージ制)12位からの巻き返しを図り、1stステージは序盤前年までの3バックから4バックへと変更したが、結局ステージ後半は3バックに変更する。後半戦は巻き返したが5勝7敗3分と負け越して11位に終わる。降格こそ逃れたものの負け越したため、シーズン終了後に解任された。

第二期甲府監督時代

川崎フロンターレのユース監督を経て、2005年より甲府の監督に復帰。

この年甲府は大宮アルディージャからFWバレーの獲得に成功し、同時に長谷川太郎が成長したことにより藤田とともに得点を量産。一時は2位につけるもその後得点力が落ち、前半戦は6位で折り返す。後半戦開始まで期日があったためミニキャンプを張ると同時に石原をFWにコンバートする3トップを画策し、30節のコンサドーレ札幌戦より実践。42節の札幌戦で後半ロスタイム3得点を挙げて逆転勝利。そして最終節の京都パープルサンガ戦で2-1に勝利し3位でシーズン終了。入れ替え戦でもバレーのダブルハットトリックなどの活躍もあり柏レイソルに2戦2勝。チームをJ1昇格へ導いた。

2006年もこのスタイルを継続。調子を落とした長谷川に代わりこの年より加入した宇留野純、そして途中加入の茂原岳人を起用し、横浜F・マリノス鹿島アントラーズなどの強豪チーム、さらには前年度王者のガンバ大阪に勝利しJ1残留を果たした。

しかしこの年を最後にバレーが退団すると翌2007年は開幕4連敗を喫するなど低迷。33節の柏レイソル戦で1-2で敗れたためJ2降格決定。同時に大木は責任を取り今季限りでの退任を発表した。

日本代表コーチ時代

2007年12月、日本代表の監督に就任した岡田武史に誘われコーチに就任。2009年6月11日2010年南アフリカW杯アジア最終予選、対カタール戦において、前の試合で退席処分を受け、1試合の出場停止となった岡田に代わり指揮をとった。2010 FIFAワールドカップ本大会を終了後に退任。

京都監督時代

2010年12月、京都サンガF.C.の監督に就任。2011年シーズンは序盤に出遅れて、昇格争いに絡めずJ2で7位の成績。なお、第91回天皇杯全日本サッカー選手権大会では準優勝に導いた。2012年シーズンはJ2リーグ3位の成績を収めたが、J1昇格プレーオフ準決勝で敗退してJ1昇格は果たせなかった。2013年もプレーオフで敗れ昇格を逃し、12月11日に退任した[2]。2014年ジュビロ磐田U-18監督を務め、2015年から2年間はFC今治アドバイザー、バニーズ京都SCMonolith FCのスーパーアドバイザーを務めた。

岐阜監督時代

2016年11月29日にFC岐阜の監督に就任[3]

2019年は序盤から低迷[4]、6月18日、成績不振によりFC岐阜と契約解除[5]。岐阜は同年J3降格。

熊本監督時代

2019年12月12日に、2020年からJ3のロアッソ熊本の監督に就任することが発表された[6]。2020年はJ3で8位、2021年はJ3で優勝に導きチームは2018年に降格して以来のJ2に復帰。

2022年もチーム過去最高位となる4位の成績を収める。J1参入プレーオフでは決勝まで駒を進めたものの、京都に引き分け敗退しJ2に残留となった。

2023年はキャプテンの河原やチーム得点王の高橋ら主力が多く退団し、三島や石川などの怪我人が多く出たこともありJ2残留争いに巻き込まれるが14位でシーズンを終えJ2残留へと導いた。天皇杯ではクラブ史上初のベスト4まで導き、準決勝で柏に敗退した。

2024年は石川の得点力を武器に戦ったが、シーズン中盤までで降格の危機にあった。夏の移籍シーズンで唐山を獲得し、以降は勝点を伸ばし12位でシーズンを終えた。

2025年シーズンは開幕前からけが人が多発し、持ち前の球際での勝負強さが活きる場面は少なかった。多くのチームからロアッソ対策をされたことで得点を奪えず失点数が増加し勝点を伸ばせなかった(熊本日日新聞、11月30日)。最終節で17位だった熊本は甲府と0-0の引き分けだった一方、18位の降格圏にいた富山が秋田を相手に土壇場で4-1の快勝。この結果、勝ち点で並ばれただけでなく得失点差をひっくり返されて18位に転落しJ3降格となり、同日に退任が発表された。なお、クラブは続投要請をしていたが、大木監督が固辞したとのこと(熊本日日新聞、11月29日)。

愛媛監督時代

2025年12月7日、熊本と共にJ3に降格した愛媛FCの監督に就任したことが発表された[7]

所属クラブ

現役時代

指導者時代

個人成績

さらに見る 国内大会個人成績, 年度 ...
国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本リーグ戦JSL杯天皇杯期間通算
1984富士通JSL2部
1985
1986
19871012221
1988-8918210
1989-9030310
1990-9123220
1991-920000
通算日本JSL2部
総通算
閉じる

監督成績

さらに見る 年度, チーム ...
年度チームリーグ大会名試合数勝点順位Jリーグカップ天皇杯備考
2002甲府J2-44161018587位-3回戦敗退
2003 清水 J1 1st155371811位ベスト4ベスト4
2nd156362110位
年間30116133911位
2005甲府J2-44191213693位-4回戦敗退
2006J1-34126154215位予選リーグ敗退ベスト8
2007-3476212717位ベスト85回戦敗退
2011京都J2-3817714587位-準優勝
2012-4223514743位-3回戦敗退J1昇格PO準決勝敗退
2013-42201012703位-3回戦敗退J1昇格PO決勝敗退
2017岐阜-421113184618位-3回戦敗退
2018-42119224220位-2回戦敗退
2019-1833121222位-2回戦敗退
2020熊本J3-3416612548位--
2021-28159454優勝-2回戦敗退
2022J2-42181311674位-3回戦敗退J1参入PO決定戦敗退
2023-421310194914位-ベスト4
2024-38137184612位2回戦敗退1回戦敗退
2025-38910193718位1回戦敗退2回戦敗退
J1通算-97301849
J2通算-476173109190
J3通算-62311516
J通算-597225132236
閉じる
  • 2003年のJ1は2ステージ制。
  • 2003年は途中退任(但し公式戦は全日程指揮をとっている)。
  • 2019年は途中退任。

タイトル

指導者時代

クラブ

ロアッソ熊本

個人

  • J2リーグ優秀監督賞:1回(2022年
  • J2リーグ月間優秀監督賞:2回(2022年7月、2022年9月)
  • J3リーグ優勝監督賞:1回(2021年)
  • J3リーグ月間優秀監督賞:1回(2021年9月)

参考文献

脚注

関連項目

外部リンク

Related Articles

Wikiwand AI