愛知交際2女性殺害事件
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1999年8月15日、愛知県海部郡蟹江町において、K(当時41歳)は借金の返済資金を調達できなかったことで不倫関係にあったパート従業員A(当時43歳)から詰られてビールの缶を投げ付けられたことに腹を立てた[1]。そのことがきっかけで、借金とともにAを消し去ろうとしてAに殺意をもって、頸部を両手で絞めて窒息死させた[1]。殺害後、Aの遺体を小牧市高根の焼却炉で焼却した[10]。
2003年5月25日には、愛知県一宮市において、不倫関係にあった清掃管理会社社長B(当時49歳)も窒息死させた[2][5]。KはBから結婚を求められており、不倫関係を妻に暴露するといわれており、また、Kの行っていた会社との背信行為についても公表すると言われていた[2]。その後、カッターナイフで四肢などを六つに切断し、黒色ビニール袋にいれて岐阜県柳津町(現・岐阜市)の境川に遺棄した[2]。27日にも河川敷の雑木林の土に埋めるなど損壊・遺棄した[2]。
犯人・死刑囚K
K・Y | |
|---|---|
| 生誕 | 1957年10月30日(68歳)[13] |
| 国籍 |
|
| 職業 | 逮捕当時は外食チェーン店社員[注 1][5] |
| 罪名 | 殺人罪・死体遺棄罪・死体損壊罪[6] |
| 刑罰 | 死刑[11] |
| 犯罪者現況 | 死刑囚として収監中[14] |
| 動機 | |
| 有罪判決 | 岐阜地方裁判所・2007年2月23日(2011年11月29日確定)[11][12] |
| 死者 | 2人[15] |
逮捕日 | 2003年7月16日[5] |
| 収監場所 |
名古屋拘置所( |
犯行に至る経緯
A殺害事件
Kは1957年(昭和32年)10月30日[13]に生まれ、1987年(昭和62年)ごろに保険会社の代理店研修を通じて夫と子がいるAと知り合い、不倫関係となった[6]。その後、1989年(平成元年)ごろから結婚仲介業を始め、Aの助力もあって1990年(平成2年)に結婚仲介業務を行う株式会社を設立し、代表取締役に就任した[6]。また、KはAとの結婚を望んだが、Aが子供の存在と夫が離婚を拒否したことを理由に断ったため、結婚できなかった[6]。
1992年(平成4年)7月、Kは別の女性と婚姻したが、その直前にAが自宅に押しかけて自殺するふりをし、結婚をやめさせようとしたことがあった[6]。そういった中でKはAとの交際を継続しつつ女性と結婚し、1994年(平成6年)9月には双子の子供をもうけた[6]。
しかし、同年11月に設立した株式会社が倒産したため、Kは債権者の取立てから身を隠すために自宅を出ていき、妻とも連絡を絶ってAと生活するようになった[6]。1995年(平成7年)2月ごろからスーパーで勤務し、Aも同年3月ごろから銀行でパート従業員として勤務していたが、パチンコにのめり込んで浪費しており、Kも破産手続中であったため、消費者金融等が利用できなかった[6]。また、自分の給料は全額妻に渡し、自由になる金は小遣いだけであったため、生活費や遊興費等を補填するためにA名義のクレジットカード等で借金を重ねるなど自転車操業の生活を送るようになった[6]。同年10月に別の会社に転職し、Aに告げることもなく妻子と共に生活するようになったが、間もなくAとの不倫関係を再開した[6]。
そういった中で1996年(平成8年)11月ごろ、Aからアルバイト先のスナックのマスターと恋仲にある旨告げられたため、1997年(平成9年)1月ごろ、親戚からの借金で愛知県海部郡蟹江町のビルを借り、同年5月ごろからAと2人で生活を開始したが、収入がKの小遣いとAのパート代しかなかったため、家賃等の生活費や遊興費に窮するようになったため、会社の同僚等から借金をして補うようになった[3]。また、1998年(平成10年)5月ごろにクレジットカードの返済が滞ったことに気づいたAはKに金銭感覚に関する文句や愚痴を言うようになった[3]。
これを受けたKは妻に嘘を言うなどして会社からの給料の大半をAとの生活費等に使えるようにしたが、KとAがパチンコで浪費したことや会社の同僚等から借金できなくなり、金銭的に困窮したため、1999年(平成11年)6月ごろから寿司の宅配のアルバイトも兼ねるようになった[3]。しかし、同年7月上旬ごろに同僚等からKが借金していたことを知った会社の上司から退職を促されたため、7月25日付けで退職し、転職活動を開始した[3]。
Kはアトムの幹部社員募集に学歴詐称して応募し、同年8月9日、役員面接を経て本社経営企画室に採用された[3]。入社後にKは、出世して借金まみれの生活から抜け出して成功するために絶対に失敗できず、全力で仕事を頑張ろうと思ったが、これまでのようにアルバイトをして妻子とAの両方の生活費を賄うような二重生活はできないから多額の借金を負ったAとの生活の方を終わらせようと考えるようになった[1]。そういった中で8月10日はクレジットカードの決済日であったが、返済資金を調達できなかったため、帰宅後、Aに打ち明けたが、Aは「女1人囲えんのに、大きな顔をせんといてよ。こんなんなら、マスターのとこ行こうかな」と詰られたため、Aと借金が消えれば一石二鳥であるのでAを殺害しようと考えるようになった[1]。
B殺害事件
Aを殺害後、1999年(平成11年)11月に開発部部長に昇進し、順調に出世したが、2000年(平成12年)12月に系列店店長に異動となり、左遷されたことから退職し、焼肉店等の外食チェーン店の経営等を業務とする会社に転職した[1]。転職先では2001年(平成13年)2月に開発本部開発1部部長に抜擢されるなどこちらでも順調に出世していった[1]。
そのような中、2002年(平成14年)3月ごろ、異業種交流会で知り合ったBと肉体関係を伴った交際を開始し、同年11月には愛知県一宮市のマンションを借りて交際を続けていたところ、次第に夫と離婚していて独身であったBから強く結婚を迫られるようになったが、2003年(平成15年)3月ごろから別の女性とも交際をするようになった[1]。
この時、Kは開発部長としての地位を利用し、取引先からバックリベートを得たり、取引にKが設立した有限会社等を介在させるなどの方法により、Kなどが利益を得るという背信的取引をしていたところ、2003年(平成15年)2月ごろにBに一連の取引が発覚したため、Bから不正行為を公表しないことと引き替えに結婚を迫られていると感じ、別の女性と交際を始めたこともあってBを疎ましく思うようになった[4]。
捜査
2003年(平成15年)6月22日、京都府に住むBの長女から家出人捜索願が提出されたため、岐阜県警察捜査一課は羽島警察署に特別捜査本部を設置して捜査を開始した[5]。その後、7月2日に長良川で黒色ビニール袋に入った左脚が発見されたため、DNA型鑑定を行ったところ、Bの血液型と一致した[5]。これを受けて捜査一課と特別捜査本部はBの交友関係を調べたところ、捜査線にKが浮上した[5]。
2003年(平成15年)7月16日、捜査一課と特別捜査本部はKをBに対する死体遺棄・死体損壊容疑で逮捕した[5]。取り調べでKはBの殺害について認めた上で「別れ話を切り出したところ口論となり、『殺してやる』と言われたため、かっとなって首を絞めて殺した。遺体を運びやすくするためにバラバラにして川に捨てた」と供述した[5]。これを受けて捜査一課と特別捜査本部はBに対する殺人容疑でKを追及した[5]。
その後、特別捜査本部はKの供述に基づき愛知県祖父江町(現・稲沢市)の木曽川河川敷を捜索したところ、供述通りBの頭部と両腕を発見した[16]。これを受けて捜査一課と特別捜査本部はKをBに対する殺人容疑で再逮捕した[17]。
2003年(平成15年)8月5日、岐阜地検はKをBに対する死体遺棄罪・死体損壊罪で起訴した[9]。その後、Bに対する殺人罪でも追起訴した[18]。
2003年(平成15年)11月8日、捜査一課と特別捜査本部はKをAに対する殺人容疑で再逮捕する方針を固めた[19]。再逮捕にあたって、1999年(平成11年)8月29日に小牧市高根の焼却炉から焼損した身元不明の頭蓋骨が発見されており、長らく未解決事件となっていたが、初公判後にKがAの殺害を認める供述をしたため、DNA型鑑定を行ったところ、Aの血液型と一致した[19]。
刑事裁判
公判で弁護人は捜査段階で認めていたB殺害事件について、自白には証拠能力がないと主張、A殺害事件についてはAが自殺したと述べて捜査段階の自白調書はいずれも信用性がないと主張した[21]。
第一審・岐阜地裁
2003年(平成15年)10月27日、岐阜地裁で初公判が開かれ、罪状認否で被告人Kは、B殺害事件について「間違いありません」と述べて起訴事実を全面的に認めた[22]。
2004年(平成16年)2月23日、追起訴後の公判が開かれ、罪状認否で被告人Kは、A殺害事件について「間違いありません」と述べて起訴事実を全面的に認めた[23]。
2004年(平成16年)11月8日、A殺害事件についてKは「Aは自殺した」と述べ、一転して否認に転じた[24]。また、弁護人も「Aが浴槽で手首をカミソリを切って死んでいた」と述べてAは自殺したと主張した[25]。
2006年(平成18年)10月25日、論告求刑公判が開かれ、検察官は「4年に満たない間に2人を殺害し、遺体を切り刻むという犯行は、人間性のかけらも見られない」として死刑を求刑した[26]。
2007年(平成19年)2月23日、岐阜地裁(土屋哲夫裁判長)は「交際していた女性を時を異にして1度ならず2度までも殺害したなどという本件各犯行が社会に与えた衝撃は容易に推察することができ、本件各犯行の社会的影響は大きいものがある」として検察官の求刑通り死刑判決を言い渡した[27]。
争点となった自白調書の信用性について岐阜地裁は、B殺害事件について、取り調べの過程に一部問題[注 3]があったとしたが、捜査の進捗状況や事案の性質や重大性等、Kの年齢や経歴、取り調べの際の対応状況等を考慮した上で「任意捜査として許容される限界を越えた違法なものであったとは言えない」と判断した[28]。また、調書についても「内容にはその供述の任意性に疑いを生じさせるような不自然、不合理な点は全くなく、むしろ、被告人が自ら供述したのでなければ備えることができない具体性、迫真性を備えている」として自白調書は十分信用できると結論付けた[29]。また、A殺害事件について「自白はその起訴から1か月半以上が経過した同年10月28日以降にされたものであり、しかも、同年10月27日にはB殺害事件の第1回公判期日を経ているのであるから、このような経過からみて、そもそもB殺害事件での取調べの影響が、それから相当期間が経過した後に行われたA殺害事件の取調べにも及んでいたとは到底考えがたい」として自白調書は十分信用できると判断した[30]。
以上の内容を踏まえた上で量刑について「被告人は、自ら会社を経営したり、入社した会社で部長に抜擢されるなど、豊富な社会経験を有し、分別を持ってしかるべき年齢であるのに、2度にわたって凶悪な犯行に及んだものである」としていずれの事件も計画性が認められないことなどを考慮しても死刑をもって臨むのはやむを得ないと結論付けた[31]。弁護人はこの判決を不服として控訴した[32]。
控訴審・名古屋高裁
2008年(平成20年)9月12日、名古屋高裁(片山俊雄裁判長)は、一審・岐阜地裁の死刑判決を支持して控訴を棄却した[33]。控訴審で弁護人は新たにB殺害について包丁を持ち出されたことによる身を守るための正当防衛だったと主張していたが、判決では捜査段階の自白調書は信用でき、控訴審になってようやく重要な事実を供述するなど不自然だと判断した[33]。弁護人はこの判決を不服として上告した[34]。
上告審・最高裁第三小法廷
2011年(平成23年)11月1日、最高裁第三小法廷(那須弘平裁判長)で上告審弁論が開かれ、弁護人はA殺害事件について「殺害ではなく、自殺だ」と主張、B殺害事件については「刃物を持って襲ってきたため首を絞めた。正当防衛か過剰防衛が成立する」と主張した[35]。一方、検察官は上告棄却を求めて結審した[35]。
2011年(平成23年)11月29日、最高裁第三小法廷(那須弘平裁判長)は「殺害後に遺体を解体するなど冷酷かつ残忍な犯行で、被害者に特段の落ち度もなく死刑はやむを得ない」として弁護人の上告を棄却する判決を言い渡したため、Kに対する死刑判決が確定した[36]。