日本の大規模古墳一覧

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大仙陵古墳は、日本最大の古墳にして前方後円墳の代表例。宮内庁百舌鳥耳原中陵もずのみみはらのなかのみささぎと呼び、仁徳天皇陵墓(別名:仁徳天皇陵)と治定じじょうしている。
画像(2007年撮影)
国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成

日本の大規模古墳一覧(にほん の だいきぼこ ふん いちらん)では、古墳時代日本列島で造営された大規模な古墳を一覧形式で記載する。墳丘長を基準としてランキングし、墳丘長200メートル以上のものだけを扱う。

なお、全長120メートル以上の古墳の都道府県別の分布などの表も合わせて記載する。

補説1

以下に示す表は、白石太一郎の原表をもとに、和田萃(1992)[1]広瀬和雄(2003)[2]などを参照して作成したものである。陵墓の治定は宮内庁によるもので、当該人物が実際にその古墳に被葬されているかどうかを示すものではない。また、備考に掲げた「古墳群」「古墳集団」の範疇は、その多くを和田(1992)に拠っている。

古墳時代の日本列島で造営された200メートル以上の巨大古墳は、下記のとおり全部で37基である。いずれも、王・大王級の首長の墳墓と考えられるが、大阪府羽曳野市墓山古墳(第23位)は同市に所在する誉田御廟山古墳(第2位)の陪塚である。

順位古墳名所在地旧国時代時期墳丘長(m)高さ(m)治定陵墓名備考
1大仙陵古墳
(大山古墳)
大阪府堺市和泉中期5C前・中652539.8仁徳天皇百舌鳥古墳群
2誉田御廟山古墳
(誉田山古墳)
大阪府羽曳野市河内中期5C初642536応神天皇古市古墳群
3上石津ミサンザイ古墳
(石津ヶ丘古墳)
(百舌鳥陵山古墳)
大阪府堺市和泉中期5C前536527.6履中天皇百舌鳥古墳群
4造山古墳岡山県岡山市備前中期5C前36029吉備政権
5河内大塚山古墳大阪府松原市・羽曳野市河内後期?6C後933520古市古墳群(異説あり)
6見瀬丸山古墳奈良県橿原市大和後期6C後1031821欽明天皇堅塩媛陵説が有力
7渋谷向山古墳奈良県天理市大和前期4C後330225景行天皇柳本古墳群オオヤマト古墳集団
8土師ニサンザイ古墳大阪府堺市和泉中期5C後7288?百舌鳥古墳群
9仲津山古墳大阪府藤井寺市河内中期5C前528626.2仲姫命古市古墳群
9作山古墳岡山県総社市備前中期5C中28624吉備政権
11箸墓古墳奈良県桜井市大和前期3C中・後127630倭迹迹日百襲媛命卑弥呼説あり、纏向古墳群(オオヤマト古墳集団)
11五社神古墳奈良県奈良市大和前期4C後・5C初327627神功皇后佐紀盾列古墳群
13ウワナベ古墳奈良県奈良市大和中期5C中6265?佐紀盾列古墳群
14市庭古墳奈良県奈良市大和中期5C後5250?平城天皇佐紀盾列古墳群
15行燈山古墳奈良県天理市大和前期4C前3242?崇神天皇柳本古墳群
16室宮山古墳奈良県御所市大和中期5C前?5240?葛城襲津彦葛城古墳群
17岡ミサンザイ古墳大阪府藤井寺市河内後期5C後8238?仲哀天皇古市古墳群
18西殿塚古墳奈良県天理市大和前期4C前2234?手白香皇女萱生古墳群(オオヤマト古墳集団)
19メスリ山古墳奈良県桜井市大和前期4C前3230?鳥見山古墳群(オオヤマト古墳集団)
20市野山古墳大阪府藤井寺市河内中期5C後7227?允恭天皇古市古墳群
20太田茶臼山古墳大阪府茨木市摂津中期5C前6227?継体天皇三島野古墳群、真の継体陵は今城塚古墳とされる
22宝来山古墳奈良県奈良市大和前期5C初4226?垂仁天皇佐紀盾列古墳群
23墓山古墳大阪府羽曳野市河内中期5C前6224?古市古墳群、誉田御廟山古墳陪塚
24佐紀石塚山古墳奈良県奈良市大和前期4C後・5C前4220?成務天皇佐紀盾列古墳群
25ヒシアゲ古墳奈良県奈良市大和中期5C前7218?磐之媛佐紀盾列古墳群
26太田天神山古墳群馬県太田市上野中期?210高さ(m)毛野政権
27佐紀陵山古墳奈良県奈良市大和前期4C後・5C初4208?日葉酢媛佐紀盾列古墳群
27桜井茶臼山古墳奈良県桜井市大和前期4C初2208?鳥見山古墳群(オオヤマト古墳集団)
27築山古墳奈良県大和高田市大和中期4C末・5C前4208?馬見古墳群
30コナベ古墳奈良県奈良市大和中期5C前5204?佐紀盾列古墳群
30巣山古墳奈良県北葛城郡広陵町大和中期4C末・5C前5204?馬見古墳群
32津堂城山古墳大阪府藤井寺市河内中期4C後・末4202?古市古墳群
33新木山古墳奈良県北葛城郡広陵町大和中期5C前6200?馬見古墳群
33摩湯山古墳大阪府岸和田市和泉前期4C後3200?久米田古墳群
33西陵古墳大阪府泉南郡岬町和泉中期5C中5200?西陵古墳群
33神明山古墳京都府京丹後市丹後中期5C200?丹後政権
島の山古墳奈良県磯城郡大和前期4C末200~?馬見古墳群
  • 時代」は白石太一郎の原表によった。前期・中期・後期の3区分は慣用的に使用されており、それぞれ前期(3世紀中ごろから4世紀後半)、中期(4世紀末から5世紀後半)、後期(5世紀末から6世紀末)に相当する。「時期」は和田萃(1992)[1]その他 URL なども参照して充当した暦年代である。「時代」と「時期」は研究者の編年観の相違により若干の食い違いがみられる。これ以外に、広瀬和雄の10期編年を掲げた。それが「」である。10期編年と慣用的3区分の関係は、1-4期が前期、5-7期が中期、8-10期が後期に相当する。広瀬(2003)による言及のない古墳については空欄とした。広瀬の10期編年の暦年代を以下に記す。
1期(3世紀中ごろ-3世紀後半ごろ)、2期(3世紀末ごろ-4世紀初めごろ)、3期(4世紀前半ごろ-4世紀中ごろ)、4期(4世紀後半ごろ)、5期(4世紀末ごろ-5世紀初めごろにかけて)、6期(5世紀前半ごろ)、7期(5世紀中ごろ-5世紀後半ごろ)、8期(5世紀末ごろ-6世紀初めごろ)、9期(6世紀前半ごろ-6世紀中ごろ)、10期(6世紀後半ごろ-7世紀初めごろ)。
  • ※島の山古墳は、1996年度の橿原考古学研究所発掘調査では全長190メートルとされた[3]が、その後の精査により墳丘全長200メートル以上におよぶ規模であることが確認された[4]

古墳時代における日本列島の首長墓・王墓は、前方後円墳前方後方墳円墳方墳など同時代の同一地域において多様な墳形が並存しており、その点で同じ時代の朝鮮半島の首長墓・王墓とは著しい対照をなしている。

上に掲げた37基の古墳の形状は、すべて前方後円墳である。

広瀬和雄によれば、おおむね前方後円墳、前方後方墳、円墳、方墳の順に優位性をあらわす墳形秩序をもっていた[5]としており、このことより、上記の墳丘長200メートルを超える大規模な前方後円墳は「大王級の首長の墓」とみなされていたことがわかる。全長200メートル超の古墳の分布は、岡山県の2基、群馬県、京都府の各1基の計5基を除くとすべて大阪・奈良の2府県に集中しており、大阪府下では太田茶臼山古墳(第20位)が令制の摂津国に属するほかは、すべて河内国・和泉国に分布する。すなわち、大阪平野のなかでも大和川流域の南部に濃密な分布傾向を示している。

前方後円墳は、3世紀中葉の日本列島で生まれた古墳形式である。3世紀から7世紀初頭にいたるまで、約5,200基造営されたといわれるが、前方後円墳の特質として広瀬和雄は、全体における可視性、形状における画一性、墳丘規模における階層性の3点を掲げている[6]

なかでも、大仙古墳と誉田御廟山古墳は、中国の代における始皇帝陵中華人民共和国陝西省西安市郊外)と並んで世界最大規模を有する陵墓である。朝鮮半島最大の古墳が、5世紀代後半の新羅の双円墳皇南大塚古墳大韓民国慶州市)であり、その墳丘長が約120メートルであることからも、日本列島で造営された古墳がいかに大規模なものが多かったかがわかる。そのいっぽうで、広瀬の指摘した前方後円墳の規模の階層性を考慮すると、古墳時代の日本では、規模それ自体が重要な政治的意味を有していたと推定できる。

全長120メートル以上の古墳の都道府県別分布

全長120メートルを超える巨大古墳の都道府県別分布は以下の通りである。和田(1992)の原図[7][8] [9]などを補正して作成した。

地方都道府県300m以上200-300m150-200m120-150m合計
東北宮城県00101
東北福島県00011
関東茨城県00213
関東栃木県00011
関東群馬県[注 1]01(+1)4813(+1)
関東埼玉県00033
関東千葉県00044
中部山梨県00112
中部愛知県00101
中部岐阜県00011
中部三重県00123
近畿滋賀県00112
近畿京都府01337
近畿大阪府488828
近畿奈良県21851035
近畿兵庫県00134
中国岡山県113813
中国山口県00011
四国香川県00011
九州福岡県00022
九州熊本県00011
九州宮崎県00235
九州鹿児島県00022
合計7基29基(+1)33基65基132基(+1)

表より、古墳時代の日本列島では墳丘長120メートル以上の古墳が132(+1)基もつくられ、そのうちの過半数が大阪府と奈良県、つまりヤマトの支配地域に分布していることがわかる。ヤマトに次いで大規模な古墳が数多く作られたのは吉備であり、全国で4番目に大きい造山古墳が吉備で最も巨大な古墳である。また規模の点において、ヤマトと吉備の支配地域の古墳が全国第45位までを占めており、ヤマト政権吉備政権の盛強を物語る。そのいっぽうで大規模古墳は、同じ地方でも多数つくられた地域、ほとんどつくられなかった地域があり、偏在傾向が指摘できる。

墳形の面でみてゆくと、総計132基のうち、前方後円墳が128基、前方後方墳が4基である。このことより、前方後円墳は大王および地方の王の墓として卓越した地位をあたえられていたことがわかる。前方後方墳もまた同様であるが、年代的には前期に偏っており、両者の墳形の違いはヤマトを中心とする畿内王権との関係の相違などによることが示唆される[注 2]。全長120メートル以上の前方後方墳4基はいずれも前期の大和(奈良県)の古墳である。前方後方墳は、日本列島全体からすれば、前期・中期に築造されたものが多く、長崎島県から宮城県までの各地域に分布するが、とくに島根県東部の意宇平野、北陸の加賀能登地方、濃尾平野関東地方のとくに那須地方などに多い。前期後半から中期以降(4世紀後半以降)は、前方後方墳の造営が激減し、以前にもまして前方後円墳が畿内の王あるいは各地の地域政権の王として定型化していったものと思われる。

なお、前方後円墳は韓国栄山江流域を中心に全羅道地方から13基が見つかっており、年代的には5世紀後半から6世紀初めにかけてに多く位置づけられる。

補説2

『前方後円墳集成』によれば、100メートルを超える古墳は303基におよんでいる。墳形の内訳は前方後円墳が291基、前方後方墳が11基、円墳が1基である。築造時期では前期112基、中期93基、後期57基となっている[11][12]。地域別では、大和73基(24.2%)、河内30基(9.9%)、和泉14基(4.6%)、山城12基(4.0%)、摂津11基(3.6%)、上野27基(8.9%)、下総15基(5.0%)、武蔵10基(3.3%)、吉備13基(4.3%)、日向12基(4.0%)などとなっている。畿内全域では140基であり、46.2%を占め、全体の半数近い割合となっている。また、上位10国・地域で204基で67.3%に及び、それ以外に2桁におよぶ地域はない。

墳丘要素の国際比較

要素倭国新羅伽耶百済高句麗
墳形前方後円墳、前方後方墳、円墳、
方墳、造り出し付き円墳など
円墳、一部に双円墳円墳円墳方墳
墳丘規模最大525メートル最大120メートル10-30メートル10-30メートル最大63メートル
周濠一重、二重、外堤なしなしなしなし
陪塚衛星型などなしなしなしなし
外部の装飾円筒埴輪列、壺形埴輪列、段築葺石基本的になし基本的になし基本的になし基本的になし(積石塚の伝統あり)

上表は、5世紀代を中心にした周辺諸国との国際比較である。ヤマト王権においては、墳丘の規模が重大な意味をもっていたことがうかがえるとともに、広瀬和雄が指摘する「見せる王権としての可視性」が随所に確認できる。なお、中国の魏晋南北朝時代の王墓では南北の地域差が顕著であり、黄河流域の北部では方丘墓が主流であるのに対し、長江流域の南部では円丘墓の伝統があってさかんに造営されていたことが知られている[13]

脚注

参考文献

関連文献

関連項目

外部リンク

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