東山玲士
日本の野球選手
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経歴
プロ入り前
5歳ごろにテレビで阪神タイガースの試合を見ると「金本(知憲)さんが格好良くて」と親にグラブとボールを買ってもらい、小学校入学までは連日「親に止められるまでやってましたね」と日が暮れるまで壁当てをしていた[3]。
坂出市立川津小学校1年生のときに『川津野球スポーツ少年団』で本格的に野球を始め、投手兼捕手。坂出市立坂出中学校では軟式野球部に所属して投手。3年春の県大会で準優勝し、四国大会では1回戦敗退であった[4]。
丸亀高校では投手・三塁手・外野手としてプレーし[2]、1年夏から背番号18でベンチ入りした。2年夏は背番号9[4]ながら主戦投手として香川大会ベスト4入りに貢献[2]。同年秋から背番号1を付けたが[4]、3年時は右肩を故障して思うような結果を残せず[2]、3年夏は香川大会3回戦敗退であった[4]。甲子園出場経験はなし[5]。
同志社大学へ進学すると、2年秋にリーグ戦デビュー。3年時から主戦投手として活躍し[3]、3年秋のリーグ戦ではリーグ1位の防御率0.74でベストナインに選出された[5]。関西学生リーグでは通算39試合の登板で4勝8敗・防御率2.04[4]。
大学卒業後はENEOSへ入社し、1年目は日本選手権で2試合に登板[3]。2年目は都市対抗で1試合に登板した[5]。

(2024年10月31日 京セラドーム大阪)
2024年10月24日に開催されたドラフト会議にて、オリックス・バファローズから5位指名を受けた[2]。指名後に出場した日本選手権ではミキハウスとの初戦に先発し、4回を投げてソロ本塁打の1失点のみに抑えたが、チームは敗退した[5]。11月15日にオリックスと契約金3500万円・年俸800万円(金額はいずれも推定)で仮契約を締結[5]。同29日には新人選手入団発表記者会見が行われ、背番号は45と発表された[6]。担当スカウトは佐野如一[5]。
オリックス時代
2025年はリリーフとして期待されオープン戦に2試合登板するも、右肘の不調により治療に入り、5月19日に右肘側副靱帯再建術(トミー・ジョン手術)を受けたことが球団から発表された[7]。術後、9月下旬にネットスローを開始した[8]。10月29日に球団から戦力外通告を受けるとともに、育成選手としての再契約が打診されたと報じられた[9]。12月10日に推定年俸700万円で育成契約を締結した。背番号は129[1]。
2026年は5月22日の社会人野球・三協クリエイトとの練習試合(杉本商事BS)で実戦復帰し、6月14日の広島東洋カープ戦(むつみスタジアム)で二軍公式戦に初登板した[8]。二軍では僅差の場面で起用される中で結果を残し[8]、支配下登録の期限間近の7月30日に支配下登録復帰が報じられた[10]。同日中に正式に支配下復帰が発表され、背番号は54となった[11]。