狗邪韓国
From Wikipedia, the free encyclopedia
三国志
『三国志』「魏書」東夷伝韓条には、
とあり、韓は南方では陸続きに倭と接すると述べている。
とあり、狗邪韓国を倭国に含めている[4]。
後漢書
『後漢書』[6]東夷伝(列伝第七十五)は三韓の位置関係をより具体的に、
馬韓は西部に在り、54国を有し、その北は楽浪郡と、南は倭と接する。辰韓は東部に在り、12国を有し、その北は濊貊と接する。弁辰は辰韓の南に在り、また十二国を有し、その南はまた倭と接する[7]。
と述べ、「韓」の西部に馬韓54国が、東部に辰韓12国が、南東に弁辰12国があると述べられている。馬韓は北が楽浪郡に接し、辰韓は北が濊貊に接しており、馬韓と弁辰が各々その南方で「倭と接する」と述べられている。記述から辰韓と弁辰は違う地域を指しているが、混同している解釈をしているのも見掛ける。
『後漢書』東夷伝倭人条では、
とあり、「大倭王」が住う邪馬台国は楽浪郡から「一万二千里」、倭国の西北の境界である狗邪韓国は楽浪郡から「七千里」と記されている。