碑文谷

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碑文谷
町丁
カトリック碑文谷教会(サレジオ教会)
北緯35度37分17秒 東経139度41分10秒 / 北緯35.621328度 東経139.685975度 / 35.621328; 139.685975
日本の旗 日本
都道府県 東京都の旗 東京都
特別区 目黒区
人口情報2025年(令和7年)3月1日現在[1]
 人口 17,596 人
 世帯数 9,256 世帯
面積[2]
  1.03549052 km²
人口密度 16992.91 人/km²
郵便番号 152-0003[3]
市外局番 03(東京MA[4]
ナンバープレート 品川
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碑文谷[5](ひもんや)は、東京都目黒区の地名。現行行政地名は碑文谷一丁目から碑文谷六丁目。住居表示実施済区域。

地価

地区内には東京都道318号環状七号線(環七通り)および東京都道312号白金台町等々力線(目黒通り)の2つの重要幹線道路があり、両者が交差する柿の木坂陸橋は、重要な交通要所になっている。

六丁目には、立会川の水源の一つである碑文谷池がある[6]。三丁目の碑文谷八幡宮前から西小山駅にかけては立会川を暗渠あんきょ化した緑道があり、桜並木を楽しめる[7]。暗渠化しているが浸水リスクは高く、大雨の際には、立会川緑道と碑文谷公園の間を中心に最大で0.5メートルから1メートル(局地的に1メートル以上)の浸水が想定されている[8]

公共交通の面では、目黒通りを中心とするバス路線網が充実しており、山手線目黒駅方面への便は非常に良い。最寄りの鉄道駅東急東横線学芸大学駅都立大学駅および東急目黒線西小山駅。他に徒歩で利用可能な駅として、東急大井町線・東急目黒線大岡山駅等がある。

住宅地の地価は、2025年令和7年)1月1日公示地価によれば、碑文谷4-12-14の地点で100万円/m2となっている[9]

歴史

碑文谷は、かつては東京府荏原郡にあったである[5]1889年明治22年)の碑衾村成立、1927年昭和2年)の町制施行を経て1932年(昭和7年)に東京市目黒区に入りその町名となる[5]。かつてはタケノコの産地として有名であったが、次第に宅地化された。

地名の由来

かつての荏原郡碑文谷郷、後の碑文谷村に由来する。応永32年(1425年)に記された『日運記』の中には既に「碑文谷」という地名が著されている。碑文谷の由来には碑文谷八幡宮内稲荷社に保存されている梵字を刻んだ「碑文石」のある谷(里)ないし秘文の谷(里)(「世田谷城名残常磐記」)が起源とするもの、鎌倉・室町期からの加工品「檜物(ひもの)」作りが盛んであったことに由来するなど、諸説ある[10]

町名の変遷

東京市編入時の町名の変遷[11]
編入後(東京市目黒区) 編入年月日 編入前(荏原郡碑衾町大字碑文谷)
碑文谷一丁目 1932年10月1日 字門前・門前町・寺西町
碑文谷二丁目 字田向・本郷後・本郷・本郷前・寺西・西池下
碑文谷三丁目 字八幡町・安藤山・上ノ台
住居表示実施前後の町名の変遷[12]
実施後 実施年月日 実施前(各町名ともその一部)
碑文谷一丁目 1966年3月1日 碑文谷1・3、清水町
碑文谷二丁目 碑文谷2・3
碑文谷三丁目 碑文谷3、宮ヶ丘
碑文谷四丁目 碑文谷2・3
碑文谷五丁目 本郷町、柿ノ木坂
碑文谷六丁目 三谷町
鷹番一丁目 碑文谷2、鷹番町、本郷町、清水町
目黒本町二丁目 碑文谷2、清水町
目黒本町四丁目 碑文谷1、月光町、向原町、清水町
目黒本町六丁目 碑文谷1、向原町

世帯数と人口

2025年(令和7年)3月1日現在(目黒区発表)の世帯数と人口は以下の通りである[1]

丁目世帯数人口
碑文谷一丁目 1,952世帯 4,224人
碑文谷二丁目 1,620世帯 3,212人
碑文谷三丁目 1,147世帯 2,252人
碑文谷四丁目 1,370世帯 2,606人
碑文谷五丁目 2,129世帯 3,458人
碑文谷六丁目 1,038世帯 1,844人
9,256世帯 17,596人

人口の変遷

国勢調査による人口の推移。

人口推移
人口
1995年(平成7年)[13]
14,680
2000年(平成12年)[14]
15,388
2005年(平成17年)[15]
16,456
2010年(平成22年)[16]
16,733
2015年(平成27年)[17]
17,037
2020年(令和2年)[18]
17,703

世帯数の変遷

国勢調査による世帯数の推移。

世帯数推移
世帯数
1995年(平成7年)[13]
6,823
2000年(平成12年)[14]
7,635
2005年(平成17年)[15]
8,116
2010年(平成22年)[16]
7,934
2015年(平成27年)[17]
8,449
2020年(令和2年)[18]
8,899

学区

区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる(2025年4月現在)[19]

丁目番地小学校中学校
碑文谷一丁目全域目黒区立碑小学校目黒区立目黒南中学校
碑文谷二丁目
碑文谷三丁目目黒区立大岡山小学校目黒区立目黒西中学校
碑文谷四丁目
碑文谷五丁目目黒区立鷹番小学校目黒区立目黒中央中学校
碑文谷六丁目

交通

鉄道
路線バス

目黒駅や都立大学駅を起点とした東急バスの路線網が発達している。特に、碑文谷線(黒01系統)は東急バス全体の中で一番本数が多い。詳しくは以下を参照。

経済

事業所

2021年(令和3年)現在の経済センサス調査による事業所数と従業員数は以下の通りである[20]

丁目事業所数従業員数
碑文谷一丁目 111事業所 659人
碑文谷二丁目 71事業所 735人
碑文谷三丁目 49事業所 276人
碑文谷四丁目 114事業所 1,684人
碑文谷五丁目 147事業所 1,364人
碑文谷六丁目 70事業所 534人
562事業所 5,252人

事業者数の変遷

経済センサスによる事業所数の推移。

事業者数推移
事業者数
2016年(平成28年)[21]
482
2021年(令和3年)[20]
562

従業員数の変遷

経済センサスによる従業員数の推移。

従業員数推移
従業員数
2016年(平成28年)[21]
4,060
2021年(令和3年)[20]
5,252

産業

農業

古くは農業が盛んであった[22]。現在でも一か所農園が残っており、枝豆ジャガイモ大根などを育てている[23]

日本紳士録』や『人事興信録』によると、碑文谷では安藤、菅田、角田、富岡の人物が農業を営んでいた[24][25][26][27][28]

商工業者

『日本紳士録』によると、碑文谷の商工業者は保険代理業の安藤[24]白米商の角田[26]、貸地業の角田[29]、荒物商・貸金業の角田[26][29]、荒物商の富岡[28]などがいた。

店舗・企業

地主

『日本紳士録』や『人事興信録』によると、碑文谷の地主は、角田倉[27]角田長雄[30][31]角田元亮[30][32]、角田光五郎[31]などがいた。

地域

出身・ゆかりのある人物

政治・経済

学術

居住者

その他

日本郵便

関連項目

参考文献

脚注

外部リンク

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