稲荷台
From Wikipedia, the free encyclopedia
河川
歴史
- 1871年(明治4年)11月14日 - 当該エリアが浦和県(現埼玉県)から東京府に編入。
- 1889年(明治22年) - 板橋町の一部となる。
- 1932年(昭和7年) - 板橋区の一部となる。
- 1970年(昭和45年) - 住居表示が実施された。
地名の由来
加賀小学校脇の稲荷台児童遊園(俗称日暮里山公園、稲荷台公園)から稲荷が出てきたことによるとされる。その稲荷は現在双葉町の根村氷川神社に移されていて、秋祭りの際に稲荷台に戻される。 日暮里山は「にいぼりやま」で太田道灌の家臣日暮里氏の居城があったことに由来する。埋め立て以前の稲付用水を日暮里山に向けて渡る橋がかつてあり「にいぼりばし」と呼ばれた。
遺跡
世帯数と人口
2025年(令和7年)3月1日現在(板橋区発表)の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
人口の変遷
国勢調査による人口の推移。
| 年 | 人口 |
|---|---|
| 1995年(平成7年)[10] | 3,094 |
| 2000年(平成12年)[11] | 3,360 |
| 2005年(平成17年)[12] | 3,075 |
| 2010年(平成22年)[13] | 2,968 |
| 2015年(平成27年)[14] | 2,954 |
| 2020年(令和2年)[15] | 2,890 |
世帯数の変遷
国勢調査による世帯数の推移。
| 年 | 世帯数 |
|---|---|
| 1995年(平成7年)[10] | 1,315 |
| 2000年(平成12年)[11] | 1,400 |
| 2005年(平成17年)[12] | 1,349 |
| 2010年(平成22年)[13] | 1,379 |
| 2015年(平成27年)[14] | 1,467 |
| 2020年(令和2年)[15] | 1,446 |
学区
事業所
交通
施設
- 帝京中学校・高等学校 - 現帝京敷地は1957年(昭和32年)から旧国鉄従業員住居(南面平行配置の国鉄十条アパートA棟~L棟、管理棟、給水塔)。旧国鉄アパートの一部(M棟~P棟、および集会・購買施設、テニスコート)の敷地は、帝京学園に引き渡されず、取り壊され、JRアパートとして新築し、旧テニスコートの一部と御成橋派出所跡地は、板橋区立のおなりばし緑地となっている。
- 板橋区立加賀小学校 - 稲荷台小学校が、廃校となった板橋第三小学校と統合し、現在の名前となった。
- 御成橋(北側)
- 稲荷台児童遊園(日暮里山公園:町域の夏祭りが行われる)
- 稲荷台第二児童遊園(トロッコ遺跡の一部)
- 稲荷台おなりばし緑地
- 板橋警察署御成橋派出所(稲荷台おなりばし緑地整備に伴い、旧中山道の板橋警察署板橋本町交番として移転)
