大和町 (板橋区)
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| 大和町 | |
|---|---|
| 町丁 | |
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愛染院日曜寺と中用水跡 | |
北緯35度45分31秒 東経139度42分18秒 / 北緯35.758692度 東経139.704908度 | |
| 国 |
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| 都道府県 |
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| 特別区 |
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| 地域 | 板橋地域 |
| 人口情報(2025年(令和7年)3月1日現在[1]) | |
| 人口 | 5,449 人 |
| 世帯数 | 3,584 世帯 |
| 面積([2]) | |
| 0.21351587 km² | |
| 人口密度 | 25520.35 人/km² |
| 郵便番号 | 173-0012[3] |
| 市外局番 | 03(東京MA)[4] |
| ナンバープレート | 板橋 |
大和町(やまとちょう)は、東京都板橋区の町名[5]。丁目の設定がない単独町名である。全域で住居表示が実施されている。郵便番号は173-0012[3](集配局 : 板橋郵便局[6])。
地価
歴史
廃藩置県実施前は、武蔵国豊島郡下板橋宿。中山道板橋宿西側の丘陵地帯であった。
沿革
- 1695年(元禄8年):中用水建設。石神井川の水をくみ上げ、下板橋村・十条村・稲付村・赤羽村など、現在の板橋区および北区赤羽地区七ヶ村の田畑水利として活用された。
- 1749年(寛延2年):五十宮倫子(いそのみやともこ)女王が、徳川家治将軍との婚儀に赴く行列が縁切榎前を通過しないための迂回路(根村道)が、現在の当町域内に普請される。
- 迂回路は1804年(文化元年)の楽宮(さざのみや)喬子女王と徳川家慶将軍の婚儀、1861年(文久2年)の和宮親子(かずのみやちかこ)内親王と徳川家茂将軍との婚儀の際にも使用された。現在の国際興業バス富士見町停留所付近から環七通りを渡り、当町域と双葉町との境を下り、日曜寺から愛染通りを経て上宿に至る道であった。
- 和宮親子内親王の際には、「縁切榎の周りを菰で覆い、見えなくさせた上で通行させた」という俗説があるが、板橋宿仲宿名主、飯田侃(かん)家の古文書に、この時も先例に倣い根村道を通行したことが記録されている。菰覆いの伝承は、宿泊受け入れの際に飯田侃家が「不浄の物は筵で覆うこと」という通達を宿場関係者に出したことと混同されて発生したものと考えられている[8]。
- 1871年(明治4年)11月:浦和県から東京府に編入。大区小区制実施。
- 1878年(明治11年):郡区町村編制法により北豊島郡が設置され、東京府北豊島郡下板橋宿となる。
- 1889年(明治22年)4月1日:市制町村制施行により、東京府北豊島郡板橋町大字下板橋となる。
- 1932年(昭和7年)10月1日:東京府内市郡併合による板橋区発足に伴い、東京府東京市板橋区(旧)板橋町八丁目および十丁目となる(1943年8月1日 東京都制施行)。
- 1933年(昭和8年)~1937年(昭和12年):中山道の新道(国道17号)敷設工事実施。[9]石神井川に新板橋が架橋される。[10]
- 1930年代:板橋乗合自動車(後に東都乗合自動車を経て、戦後は国際興業バスに統合)が、練馬横丁(現在の大和町停留所付近) - 豊島園間の路線バスを運行する。[11]
- 1944年(昭和19年):都電志村線開通。新板橋(後に板橋町十丁目を経て板橋本町に改称)・富士見通(後の大和町)停留場開設。[12]
- 1946年(昭和21年):同潤会富士見病院開院。
- 1956年(昭和31年)4月1日:地番整理により、(旧)板橋町八丁目・十丁目および志村清水町の一部地域が大和町に再編される。[13]
- 1964年(昭和39年):東京都道318号環状七号線(環七通り)開通。
- 1965年(昭和40年)8月23日:環七通り大和町陸橋竣工、国道17号と立体交差となる。
- 1966年(昭和41年)5月28日:都電志村線廃止(最終運行日)。
- 1968年(昭和43年)12月27日:都営地下鉄6号線開通、板橋本町駅開業。
- 1977年(昭和52年)8月19日:首都高速5号池袋線北池袋出入口 - 高島平出入口開通。
- 2007年(平成19年):YUMEパーク大和町開設。
世帯数と人口
2025年(令和7年)3月1日現在(板橋区発表)の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
人口の変遷
国勢調査による人口の推移。
| 年 | 人口 |
|---|---|
| 1995年(平成7年)[14] | 4,791 |
| 2000年(平成12年)[15] | 4,736 |
| 2005年(平成17年)[16] | 4,676 |
| 2010年(平成22年)[17] | 4,760 |
| 2015年(平成27年)[18] | 4,892 |
| 2020年(令和2年)[19] | 5,295 |
世帯数の変遷
国勢調査による世帯数の推移。
| 年 | 世帯数 |
|---|---|
| 1995年(平成7年)[14] | 2,171 |
| 2000年(平成12年)[15] | 2,315 |
| 2005年(平成17年)[16] | 2,360 |
| 2010年(平成22年)[17] | 2,688 |
| 2015年(平成27年)[18] | 2,849 |
| 2020年(令和2年)[19] | 3,307 |
学区
区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる(2021年8月時点)[20]。
- 区域 : 全域
- 小学校 : 板橋区立板橋第八小学校
- 中学校 : 板橋区立板橋第三中学校
