箱根の坂

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箱根の坂』(はこねのさか)は、司馬遼太郎歴史小説戦国大名のさきがけとなり、戦国時代の口火を切った北条早雲(伊勢宗瑞)の生涯を描く。

1982年(昭和57年)6月から1983年(昭和58年)12月まで『読売新聞』紙上で連載された。

本作で司馬は、室町時代後期に国人地侍といった有力農民層の台頭を見抜き、無為徒食なそれまでの地頭的存在を許さず領主たる守護が直接すべての領民の上に立つ新しい統治機構を構築した北条早雲の業績を、「日本の社会史において重要な画期であり、革命とよんでもいい」[1] と高く評価している。また本作に先立つ随筆でも、訓令を発布して民をよく撫育し領民達に慕われたその人物について、「政治の基礎に民政をすえた日本最初の政治家」[2] と評している。

後世後北条氏の祖として高名になる早雲の前半生は、本書が書かれた当時は現存する資料が少ないこともあって研究が進んでおらず不明な点が多かった。一つとっても様々なものが伝えられていて特定されていなかった。そのため、本作では駿河に下って今川氏の客将として活躍し始めるまでの「伊勢新九郎」としての前半生の大部分が作者の創作で補われており、その後の後半生も史実の他に伝承などで語り継がれてきた早雲の人物像を取り入れたり、作中の時代や舞台にまつわる民話や今様などが盛り込まれ、巧みに物語を構成している。特に、東国へ下る主人公、義兄妹の禁忌を超えた愛情など、恋愛文学の古典『伊勢物語』からは幾つものモチーフが引用されている[3]。 その後新たな資料等により研究が進むにつれて明らかになった早雲の実像や史実と本作との相違点についても本項で解説する。

あらすじ

室町将軍家に仕える名門・伊勢氏の支流に生まれた娘・千萱は、庶子としての出自から郊外の山里である田原郷に預けられて養育された。長じて後、類まれな美貌に恵まれた千萱は、将軍義政の弟・義視の側女として奉公するべく再び京へと呼び戻される。京において千萱の世話をすることになったのは、義視の申次衆を務める義理の兄の新九郎であった。伊勢氏の一門とはいえ傍流の出身であり、30を超えながら無位無官で所領もなく持ち家すら持たないこの義兄は、伊勢氏の惣領屋敷の一画の小屋に住んで家伝の鞍を作ることのみに精を出す、毒にも薬にもならぬ朴念仁のような身上の男であった。

多くの餓死者を出して去っていった長禄・寛正の飢饉は、今に至るも深刻な爪痕を世に残していた。巷には飢民が溢れ返り、食い詰め者は野盗となって乱暴狼藉を働き、京の市中でも争いの絶える日はなかった。式微著しい室町幕府にはこれを是正しようとする力も意志もなく、それどころか将軍継嗣問題が火に油を注いで世情の物々しさはいよいよ高まる。ついに諸国の勢力が二分されてぶつかり合う応仁ノ乱が起こるに及んで、未曽有の大乱が世を覆い始めた。乱の背景にはそれまで「地下人」として賤しまれていた国人・地侍といった階層の隆盛があり、農業生産性の向上と商業の発達によってそうした地下人層が力を得、社会全体に地殻変動ともいうべき変化が起こりつつあった。世の乱れや民の困窮に憂憤を感じながらも己の無力さに嘆息していた新九郎は、史上初めて農民たちが力を持ち、かつて日本という国になかった巨大な変革が訪れようとしているやもしれぬと考え、ふつふつと沸き起こるような新たな時代の胎動を感じる。足軽という新たな武士の登場も時代の変化を象徴する一端といえた。不意打ちや闇討ちも辞さず、たとえ塵芥にまみれても勝利にしがみつくといった足軽の戦法が世を席捲し、源平以来の戦いに勇壮な美を求める旧来の価値観は潰えようとしていた。ひょんなことから足軽たちの軍勢を指揮した新九郎は、己の中に眠っていた軍才に気づかされ、伊勢氏の長者から命ぜられるままに従順に年月を過ごしてきたそれまでの生き方を顧みることとなる。

それまでも幕府に奉公する中で折に触れて、政治・軍事にまつわる自身の才気を自覚することはあったが、とはいえ新九郎は天賦といっていいそれらの才を好ましく思わなかった。あるいはその才は世を鎮め、民の苦難を救うことのできるものやもしれなかったが、守護や地頭でもなければそうした才を奮う機会などあるはずもなく、また義や礼節といった常識の中で己を律することが嫌いではなかった。しかし千萱も、そうした新九郎の眠れる深奥の存在に気づき、義理の妹でありながら密かに慕うようになっていく。駿河の太守・今川義忠が寝所に通って男を知った後でもそれは変わらず、むしろ一層焦がれるようになり、義兄に対しての恋慕を募らせていく。新九郎も千萱を憎からず想っていたが、何分にも義兄妹という関係であり、夫婦として添うわけにもいかない。やがて乱はいよいよ拡大して、それまで災禍を免れていた花ノ御所近辺までにも戦火が及ぶようになる。新九郎は義視と共に京を落去し、義忠の子を身籠っていた千萱は彼に随伴して駿河へ下り、2人は離別することとなる。そして歳月が流れ、義視の下を辞した新九郎は、頭を丸めて入道姿となって「早雲」と号し、諸国を流浪するようになっていた。自らを「遁世者」と語って世を捨てた牢人・早雲だったが、たまたま足を踏み入れた駿河で、偶然の成り行きから千萱と再会することとなる。嫡男を産んで「北川殿」と尊称されている妹の生活を乱したくないと考えた早雲はすぐに京に引き上げ、千萱との縁はここで途切れたはずだった。

しかし、駿河守護の義忠は遠征中に遠江で死去する。義忠嫡男の竜王丸と義忠従弟の今川範満との間で後継を巡る騒動が持ち上がり、千萱と竜王丸を守りたい法栄から事情を知らされた早雲は再び駿河へ向かう。駿河では今川連枝である御譜代衆と地頭、国人衆の冷戦が家督争いに影を落としていたが、さらに伊豆を隔てた関東から扇谷上杉が有力被官の太田道灌を、伊豆の堀越公方の足利政知も配下を駿河に進駐させた。鎌倉府は分裂し、足利成氏(古河公方)と室町幕府側の上杉氏(管領家の山内上杉顕定、相模の扇谷上杉定正)は関東を二分する戦争を繰り返していた。駿河と国境を接する伊豆には、幕府から送り込まれたが鎌倉に入れなかった政知が御所を立てた。関東の干渉を除くため、早雲は竜王丸が成人するまで範満を後見としておく妥協案を道灌に提示し、道灌は了承する。早雲は道灌に敬意を持ちながらも、古い体制を支える彼の将来に危惧を覚える。駿府に留まらず伊豆に近い興国寺城に入り、関東からの侵入を食い止める役目を負い、丸子にいる竜王丸と北川殿を駿府城の範満から守ろうとするが早雲だったが、範満との対立は頂点に達し、願阿弥の力を借りて早雲は命懸けで範満兄弟と対峙してこれを倒す。早雲が駿河に来てから、妻帯し子供をもうけ、千萱を亡くし、氏親(竜王丸)が駿府に入り守護となるまでに10年以上の歳月が流れていた。

役目を終えた早雲だが、関東では道灌暗殺を契機として山内上杉と扇谷上杉の争いが勃発する。情報の集まる京都に向かった早雲は、加賀の一向一揆から経済力を積み重ねた地頭、国人衆が結束する時代の流れは止められないと感じる。自らも伊豆の堀越公方を追放し地頭、国人、地侍を直接支配しなければ滅亡すると悟るが、実現するには力が足りなかった。しかし政知が子供の足利茶々丸に殺される。逃げてきた政知の次男(後の足利義澄)より顛末を聞き、自らが仕えてきた足利氏が腐りきっていたことに憤る。早雲は修善寺の隆溪と連絡、また今川より兵を借り、堀越公方を補佐する今川家の代官という名分を立て伊豆へ攻め込む。敗れた茶々丸は三浦半島の三浦氏のもとに逃げた。名目はともかく実質上、伊豆を支配するに至るが、茶々丸がいるため基盤は確かではなかった。伊豆を占拠した早雲は、山内上杉(伊豆守護)への対抗上から扇谷上杉の傘下に入る。糟屋(現在の伊勢原)の上杉定正からの命令により出陣した早雲は相模に入り、小田原を通過する際に大森氏頼と外孫の三浦義同(道寸)と対面する。両者とも優れた武将だが氏頼は老衰しており、義同も武将としての器量を認めながら人間としての隙があった。義同は茶々丸を庇護した三浦時高の養嗣子たが、実子が出来ると高時と対立が深まり小田原に亡命し、剃髪して道寸と号したが、三浦氏への復帰を秘めていた。山内上杉側の高時を攻めるため、義同の応援として伊豆海軍を動員した早雲は後詰めに鎌倉へ入るが、荒廃ぶりを目にする。時高は滅ぼされたが、早雲は後味の悪さを覚える。顕定との戦いのため入った河越城では、土塁と堀により複雑な曲輪を設計した道灌の偉大さを感じるが、成氏と定正は時代から取り残されていた。荒川を挟んで両上杉が睨みあう中、氏頼が亡くなる。定正と顕定の戦いは定正が殺され、早雲は退却する。鎌倉で撤退してくる部隊を集めるため、義同に駐屯を申し込むが、山内上杉への遠慮から義同は拒否する。氏頼が亡くなると相模国の国人たちも、伊豆の国人衆に手厚い保護を与えて評判の高い早雲になびき始める。丁寧な下準備を経て箱根の坂を超え、大森藤頼を追放し小田原城を奪取した早雲だが、その勢力はまだ義同に勝てる規模にはなかった。小田原城に入った早雲は義同からの挑発に耐えて、長期間にわたる対峙の末に滅ぼし、東相模をも併呑することに成功する。

相模全土を征服し、戦国期を通して関東に覇を唱える後北条氏の礎を築いた早雲は、ほどなく88歳の生涯を終えた。早雲が箱根の坂を超えて相模に侵攻したことが規制の秩序を破壊し、戦国の世の口火を切ったことはまぎれもないが、その生涯は野心家と見るには清廉すぎる。しかし理想家と見るには行動があまりに漸進的であり、一見してとらえ所のないその生涯を解く鍵は、おそらくは「早雲」という法名に込められている。「暁の雲」を意味するその名前は、歴史における自身の役割を自覚し新たな時代の到来を告げようとする明確な意思によって付けられたものであったのかもしれない。自他共にそこまでのことをも見通せる眼力を、早雲という男は備えていた。

主な登場人物

書誌情報

出典

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