芳春院
日本の戦国時代の女性、大名・前田利家の正室
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芳春院(ほうしゅんいん、天文16年7月9日(1547年7月25日) - 元和3年7月16日(1617年8月17日))は、戦国時代から江戸時代初期にかけての女性。加賀国(石川県)の戦国大名・前田利家の正室。篠原一計の娘。名はまつ。戒名は芳春院殿花巖宗富大禅定尼。
ほうしゅんいん 芳春院 | |
|---|---|
| 生誕 |
天文16年7月9日(1547年7月25日) 尾張国海東郡沖島 (現:愛知県あま市七宝町沖之島北屋敷) |
| 死没 |
元和3年7月16日(1617年8月17日) 加賀国石川郡尾山 (現:石川県金沢市丸の内) |
| 墓地 |
野田山墓地(金沢市) 大徳寺芳春院(京都市) |
| 別名 | まつ |
| 時代 | 戦国時代 - 江戸時代 |
| 宗教 | 臨済宗(大徳寺派) |
| 配偶者 | 前田利家 |
| 子供 | 長女:幸姫(前田長種室)長男:前田利長(加賀藩初代藩主)次女:蕭姫(中川光重室)三女:摩阿姫(豊臣秀吉側室→万里小路充房室)四女:豪姫(豊臣秀吉養女、宇喜多秀家室)五女:与免(浅野幸長婚約者、夭折)次男:前田利政(前田土佐守家祖)七女:千世(細川忠隆→村井長次室) |
| 親 |
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生涯


天文16年7月9日(1547年7月25日)、織田氏の家臣・篠原一計の娘として、尾張国海東郡沖島(現:愛知県あま市七宝町沖之島北屋敷)で生まれた[2]。
天文19年(1550年)、父・一計が死去し、母が尾張守護斯波氏の家臣・高畠直吉と再婚すると、まつは母の妹が嫁いでいる尾張荒子城主・前田利昌に育てられた。
永禄元年(1558年)、数え12歳(満11歳)で利昌の子で自身の従兄弟にあたる前田利家に嫁ぎ、
- 永禄2年(1559年)、 長女・幸姫(前田長種室) ※満11歳11か月で出産
- 永禄5年(1562年)、長男・利長(初代加賀藩主)
- 永禄6年(1563年)、次女・蕭姫(中川光重室)
- 元亀3年(1573年)、三女・摩阿姫(豊臣秀吉側室、後万里小路充房室)
- 天正2年(1574年)、 四女・豪姫(秀吉養女、宇喜多秀家室)
- 天正5年(1577年)、五女・与免(浅野幸長婚約者、夭折)
- 天正6年(1578年)、 次男・利政(前田土佐守家祖)
- 天正8年(1580年)、 六女・千世(細川忠隆室、のち村井長次室)
など、11歳から32歳までの約21年間で2男9女を出産した。なお、女性1人が産む子供の数が多かった戦国時代においても実子が11人いる女性は稀有であり、記録が残る限りでは伊達晴宗の正室である久保姫と並んで最も数が多い。その子孫は近代の皇室にも血脈を伝えている。
天正11年(1583年)、賤ヶ岳の戦いで柴田勝家方に与した利家が敗走した際、越前府中城で羽柴秀吉に会い、和議を講じて利家の危機を救った。
慶長4年(1599年)に利家が病死すると出家し、芳春院と号した。
慶長5年(1600年)、前田家に徳川家康から謀反の嫌疑がかけられた際には、交戦を主張する利長を宥め、それを解消させるため自ら人質となって江戸に下り、14年間をそこで過ごした。なお、江戸に護送される手配を前田玄以、長束正家、増田長盛の年寄が行っている[3]。この間、関ヶ原の戦いで西軍についた次男・前田利政の赦免や娘婿の宇喜多秀家の助命、養育していた利孝の大名取り立てを江戸幕府に直訴するなど前田家のために奔走する。ところが、利政の赦免の約束は土壇場で反故にされ、ショックから重体となり、幕府の命により伊勢・京で保養。金沢へは立ち寄りすら認められず、慶長19年(1614年)に長男・利長が死去すると、ようやく金沢へ帰国できた。なお、後に江戸幕藩体制において諸大名妻子の江戸居住制が確立するが、芳春院はその第一号となる。
元和3年(1617年)7月16日、金沢城内で死去、享年71。墓所は金沢市の野田山墓地、京都市北区の大徳寺芳春院(分骨)。芳春院の化粧料7500石は、次男利政の子の前田直之に与えられ、直之は合計1万石を領して前田利常に仕え、その子孫は前田土佐守家として本家を支えた。
高台院との関係
主な登場作品
芳春院を主題とした作品
- テレビドラマ
- 女たちの百万石(1988年、日本テレビ、演:森光子)
- 加賀百万石〜母と子の戦国サバイバル(1999年、NHKドラマ、演:松坂慶子)
- 利家とまつ〜加賀百万石物語〜(2002年、NHK大河ドラマ、演:松嶋菜々子)
- 舞台劇
芳春院が登場した作品
- テレビドラマ