記田町
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地価
歴史
明治初期の字限図では現在記田公園になっているところは徳井村字前田、記田は「シル田」と帰されており、『神戸の町名 改訂版』ではこれを泥の深いジル田の事であるとしている[3]。また、明治8年の改組の際に、これを嫌って「記田」と充てた際に「キダ」に呼び換えたらしいとしている[3]。
その他の小字に西ノ上、馬場先、四ノ坪、五ノ坪があり、四ノ坪・五ノ坪は条里制の名残だろうとされる[3]。明治8年の改組の際同時に字平田を南北に分割して南半分を前田とし、北半分はカシ田・本カリ屋とともに下小田中(しもこだなか)となり、昭和11年に記田と前田で記田町となった。
一方『灘区の町名』では「北が気田あるいは喜田、記田と表記されてきたか、ケタ(ガケの上)の転化したものだろう」と言われている[4]。