船寺通
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地理
由来
船寺八幡とその神宮寺である船寺から地名となった。
『有馬郡誌』の高平村大舟山の項に「古の羽束(はつか)郷の中にありて、山上に船寺ありしが今は波豆川に移せり。大舟山の名は一郷の中に浮べる船のごとくなれば、その名あり。山の鎮守たりし八幡神社は菟原郡大石川の西に移せり」と船寺が元々現・三田市域にあったと述べている。
一方地元では船寺の由来については語られず船寺八幡の縁起だけが伝わる。今日の船寺八幡の社地は古代には敏馬ヶ崎の東に隠れた入り江で深渕(ふかぶち)と呼ばれていて、神功皇后が三韓征伐の帰途ここに船を入れて風波が静まるのを待ったという伝説があり、社伝によれば永保2年(1082年)、源義家が都賀野の公文に命じて皇后遺跡に八幡宮を建てさせたという。
『神戸の町名』によれば船寺の名は文明元年(1469年)の「都賀荘寺庵帳」に名前が見え、相当古いものであるという[1]。