辰野登恵子
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1968年、長野県諏訪二葉高等学校を卒業[3]。同年、東京芸術大学美術学部に入学。大学時代に柴田敏雄(写真家)や鎌谷伸一(版画家)とともにグループ「コスモス・ファクトリー」を結成。名前は、彼らが好きだったクリーデンス・クリアウォーター・リバイバルのアルバム『Cosmo's Factory』(1970年)からとられた[4]。アンディ・ウォーホルやロバート・ラウシェンバーグの影響を受けた写真製版によるシルクスクリーンをいち早く試みる[5]。1970年、村松画廊で初めての展覧会を開催[4]。1972年、同大学美術学部絵画科油画専攻を卒業。1974年、同大学大学院修士課程を修了。
1974年から1975年まで、同大学美術学部版画科の助手を務めた[6]。
1996年、第46回芸術選奨文部大臣新人賞を受賞。