寺田透
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神奈川県横浜市出身。神奈川一中から第一高等学校をへて東京帝国大学文学部仏文学科卒業、大学時代に、立原道造・杉浦明平とともに同人雑誌をやっていたが、立原が日本浪曼派に接近したことで絶交し、同人雑誌も終わりとなった。戦後、中央大学予科教授、第一高等学校教授から、1949年東京大学教養学部教授。1969年大学紛争のときに事態の収拾法に不満をもち、辞職した。ただし当時の文章や対談では、以前から新制大学に「文人」は適合できないと感じていたと言っている。
なお、弟に人類学者の寺田和夫、横浜一中時代の同級生に川合武、加藤衛、横浜市長・日本社会党委員長となった飛鳥田一雄がいる。飛鳥田の夫人は寺田の妹・幸子である。
1970年に『芸術の理路 法楽帳1968』で毎日出版文化賞受賞。1977年、『義堂周信・絶海中津』で毎日芸術賞受賞。
多くの著書・編著があり、主な著作は『寺田透・評論』(思潮社、第一・二期、計全15巻)に収録されたが、以降も多くの著作を刊行した。