長州路 (街道をゆく)
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長州路
壇之浦付近
海の道
話題
- 長州的性格には海を知っていたことからくる開放性(海洋性)のようなものがある。
- 江戸時代、太平洋航路の危険を避けるため日本海航路(北前船)が発達し、下関、三田尻(今の防府市)などが繁栄した。
- 長州武士が商人とすれば徳川武士は百姓(江戸幕府は百姓原理(庄屋の原理)で成り立っていた)
- 信長、秀吉は商人の原理と機略をもっていたが、家康は徳川家一軒をまもるために日本を矮小化してしまった。
- 室町時代は貿易がさかんで、将軍自ら対明貿易に熱中し、倭寇がはびこり、東南アジアには日本人町ができた。
- 伊藤博文は志士時代に自分の女房に小間物屋を下関にひらかせていた。
- 大内氏の後を引き継いだ毛利氏は山陰山陽十カ国を版図にして、瀬戸内海の水軍のほとんどをその傘下におさめた。
- 関ヶ原の戦いで敗戦して領土を大きく失った毛利輝元は、「とてもやってゆけない。この上は大名をやめたい。領土は幕府に呉れてやる」とヒステリー的発言をした。
- 三田尻付近に塩田をつくり、三田尻港から菱垣廻船、樽廻船などに積み込み、内国貿易で利益を得た。
行程
この稿も周防国の歴史的な話題に終始する。
登場人物
地名
書名
- 河上徹太郎全集
三田尻その他
話題
- 三田尻は、徳川初期から「毛利侯のお船蔵」が置かれ、幕末には長州藩の軍港になった。
- 瀬戸内水軍の末裔を吸収した長州にしては幕末当事の軍艦は貧弱だった(上海に行ったことのある高杉晋作は「こんな柴舟」と表現)。
- 高杉晋作が演じた屋代島(周防大島)での幕府艦隊との海戦の勝利。
- 幕末の新しい学問や技術は諸藩の相互競争の上に立って進行。その好対照が中国。
- 清帝国の北洋艦隊(定遠、鎮遠)は世界でも第一級。
- 日本の集団の歴史は独裁者の存在をゆるさない。常に批判勢力を抱き込んでいる。
- 「ちかごろあることで腹が立っている」(昭和46年5月当時の司馬が何に腹を立てていたかは不明)
行程
この稿も「話がどうも街道から外れてゆき、“えんぜつ”になってしまう」と述懐。なかなか初夏の長州路の花鳥風月をたたえる旅にはならない。
登場人物
歴史上の出来事
地名
湯田
奇兵隊ランチ
話題
この稿は1971年当時朝日新聞に連載中の『花神』に関連して奇兵隊の話題になる。
- 芸妓が披露した『男なら』という萩の民謡(下関戦争)から奇兵隊が成立した理由を探る
- 奇兵隊が転戦した越後路、小千谷、長岡、時山直八の戦死した峠、奥州路、津軽海峡、函館
- 奇兵隊が強かった理由を分析(「ぬすっといくさ」)
- 奇兵隊にいた人で戊辰戦争後に出世した人とそうでない人
- 横浜で不眠で英語を勉強していた寺内正毅
- 奇兵隊にいた長生静夫が残した毛筆のノート。結核で故郷に帰るまでは精兵百人の一人として活躍
- 奇兵隊の戦利品の蔵書が山口大学図書館におさめられている
- 幕末・明治維新時の英語学習熱(新撰組の伊東甲子太郎や田原坂に残された英語単語帳)
行程
山口 → 吉見 → 湯田(湯田温泉到着前に吉見で立ち寄ったドライブイン「奇兵隊」でコーヒーを飲む)