曇林 From Wikipedia, the free encyclopedia 師 菩提達磨著作 菩提達磨大師略弁大乗入道四行観ほか曇林師 菩提達磨著作 菩提達磨大師略弁大乗入道四行観ほかテンプレートを表示 曇林各種表記繁体字: 曇林簡体字: 曇林テンプレートを表示 曇林(どんりん、生没年不詳)は、中国南北朝時代から隋代の禅僧。菩提達磨の弟子、のちに慧可の弟子。曇琳、法林とも。盗賊によって腕を断たれ、両臂(りょうひじ)から先を失ったことから「無臂林」とも呼ばれる。 東魏元象元年(538年)から武定元年(543年)まで瞿曇般若流支(中国語版)[注 1]、毘目智仙(中国語版)[注 2]、菩提流支、仏陀扇多などの訳経に際し筆記を担当し、序文を書いている[1]。また、嘉祥大師吉蔵の勝鬘経宝窟に曇林の勝鬘経の注疏が引用されている、このため勝鬘経の研究者としても知られる。また菩提達磨大師の伝記『菩提達磨大師略弁大乗入道四行観』「(中国語版)」を著述し、自ら序文を撰している[2]。続高僧伝巻十六慧可伝に曇林の事跡が著述されている[3]。 時有林法師。在鄴盛講勝鬘并制文義。毎講人聚乃選通三部経者。得七百人預在其席。及周滅法。與可同学共護経像。[初達摩禅師以四巻楞伽授可曰。我観漢地惟有此経。仁者依行自得度世。]可専附玄理如前所陳。遭賊斫臂。以法御心不覚痛苦。火焼斫処。血断帛裹。乞食如故。曾不告人。 後林又被賊斫其臂。叫号通夕。可為治裹乞食供林。林怪可手不便怒之。可曰。餅食在前何不自裹。林曰。我無臂也。可不知耶。可曰。我亦無臂。復何可怒。因相委問方知有功。故世云無臂林矣。毎可説法竟日。此経四世之後便成名相。一何可悲。(続高僧伝巻十六慧可伝 抜粋) 伝説 無臂林 ある時、曇林は賊難に遭い両臂から先を失った。幸いにして兄弟子の慧可の助けを受けることができた。人は「無臂林」と呼んだ[注 3]。胡適によると慧可断臂の逸話はこの逸話が転化したものだという[4]。 脚注 [脚注の使い方] 注釈 ↑ くどんはんにゃるし ↑ びもくちせん ↑ 北周武帝建徳毀仏の際に兄弟弟子の慧可や道育と経典・仏像を保護しようとした、その際に害を受けたという。上記引用文による。 出典 ↑ 『開元釈教録』 ↑ 中国語版ウィキソースに本記事に関連した原文があります:菩提達磨大師略辨大乘入道四行觀 ↑ 續高僧傳 卷十六習禪初 齊鄴中釋僧可傳六。 ↑ 『楞伽宗考』(『胡適論学近著』 第一冊 〈一九三五年〉 表話編歴仏教基本教義 四諦 八正道 中道 三相 無常 苦 無我 解脱と涅槃 人物 釈迦 十大弟子(舎利弗/目連/大迦葉/須菩提/富楼那/迦旃延/阿那律/優波離/羅睺羅/阿難) 龍樹 無著 世親 玄奘 達磨 世界観 生と輪廻(サンサーラ) 三千大千世界 六道(天界/人間道/修羅道/畜生道/餓鬼道/地獄道) 三界 重要な概念 無明 十結 五蘊 渇愛 煩悩 三毒(貪/瞋/癡) 五蓋 業 三業 唯識 仏性 三法印と四法印 諸行無常 諸法無我 涅槃寂静 一切皆苦 心所 菩提への道 菩提 菩薩 四向四果 (預流/一来/不還/阿羅漢) 成仏 三十七道品 三学 (戒/定(禅定)/慧(般若)) 四無量心 (慈/悲/喜/捨) ヨーガ/瞑想 (サマタ/ヴィパッサナー) 布施 信仰対象 三宝(仏/法/僧) 日本の仏尊(如来/菩薩/明王/天部/垂迹神/高僧) 分類/宗派 初期仏教 部派仏教 上座部仏教 大乗仏教 密教 神仏習合 修験道 Category:仏教の宗派 仏教系新宗教 地域別仏教 インド 中国 日本/日本の戒律史 朝鮮 台湾 ベトナム チベット ネパール(ネワール仏教) スリランカ ミャンマー タイ 中東 ヨーロッパ アフリカ 中央アメリカ 聖典 三蔵 律蔵 経蔵 論蔵 パーリ語 パーリ仏典 漢訳 大蔵経 大正新脩大蔵経 漢訳仏典一覧 西蔵訳 チベット大蔵経 聖地 ルンビニ ブッダガヤ サールナート クシナガラ 霊峰 霊場 歴史 仏教のシルクロード伝播 インドにおける仏教の弾圧 インドにおける仏教の衰退 美術・音楽 仏教美術 声明 チベット仏教の声明 宗教 カテゴリ プロジェクト ポータル この項目は、宗教家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル 宗教/ウィキプロジェクト 宗教)。表示編集 Related Articles