1964年の大洋ホエールズ

From Wikipedia, the free encyclopedia

1964年の大洋ホエールズ
成績
セントラル・リーグ2位
80勝58敗2分 勝率.580[1]
本拠地
都市 神奈川県川崎市
球場 川崎球場
球団組織
オーナー 中部謙吉
経営母体 大洋漁業
監督 三原脩
« 1963
1965 »

テンプレートを表示

1964年の大洋ホエールズでは、1964年の大洋ホエールズの動向をまとめる。

この年の大洋ホエールズは、三原脩監督の5年目のシーズンである。

開幕から自慢の打線「メガトン打線」は打ちまくり、阪神とのデッドヒートの果て、前半折り返し時点では首位大洋、2位阪神との差は6.5ゲームと引き離した。だが後半メガトン打線の「夏休み」で連敗が続き前半以上の阪神との激しいデッドヒート、そして9月18日の中日に勝った大洋は、20日の対阪神戦ダブルヘッダー、22日の対巨人戦ダブル、24日の対阪神戦ダブルの計6戦に「3勝3敗」以上で優勝となるところまできた。その後20日の阪神戦は阪神の連勝になるも、続く巨人戦は大洋が連勝。24日の阪神戦は台風の影響で2日延びて26日に行われるが、大洋は連敗して全日程を終了。阪神の残り3試合「29日の国鉄戦、30日の中日戦ダブル」が3連敗か1勝2敗なら大洋の優勝となる。しかし阪神はこの3戦を全勝し優勝をさらわれてしまった。大洋はこの年以後横浜ベイスターズ時代の1998年に優勝するまで、優勝はおろか優勝争いとは無縁の球団になってしまう[注 1]。投手陣は3年目の稲川誠秋山登と並んでチーム最多の21勝、新人王の高橋重行が17勝をあげるなど、打高傾向の中でもチーム防御率3点台を記録。打撃陣はリーグ2位の134本塁打、リーグ1位のチーム打率.255とメガトン打線が活躍した1年間だった。この年からユニフォームに、日本球界初の背ネームを採用。ただしホーム用は本拠地名の「KAWASAKI」で、ビジター用は後期より選手名を着けるというやり方だった。

大洋ホエールズの当年及び近年のシーズン成績
成績 リーグ 平均得点 打率 本塁打 本塁打率 盗塁 防御率 平均失点 開幕時監督
1964 レギュラー敗退2位80582.580.三原脩
1963 レギュラー敗退5位59792.428.三原脩
1962 レギュラー敗退2位71594.546.三原脩
1961 レギュラー敗退6位50755.400.三原脩
1960 日本一優勝70564.556.2.78三原脩
1959 レギュラー敗退6位49774.389.森茂雄
1958 レギュラー敗退6位51736.411.迫畑正巳
1957 レギュラー敗退6位52744.413.迫畑正巳
1956 レギュラー敗退6位43870.331.迫畑正巳
1955 レギュラー敗退6位31990.238.藤井勇
1954 レギュラー敗退6位32962.250.4.81永沢武夫

チーム成績

レギュラーシーズン

開幕オーダー
1 近藤和彦
2 箱田淳
3 桑田武
4 クレス
5 長田幸雄
6 アグウィリー
7 重松省三
8 伊藤勲
9 稲川誠
1964年セントラル・リーグ順位変動
順位 4月終了時 5月終了時 6月終了時 7月終了時 8月終了時 最終成績
1位 大洋-- 阪神-- 大洋-- 大洋-- 阪神-- 阪神--
2位 阪神2.5 大洋0.5 阪神3.5 阪神5.0 大洋2.0 大洋1.0
3位 巨人3.0 巨人5.5 巨人8.5 巨人8.5 巨人9.0 巨人11.0
4位 国鉄6.0 広島6.5 広島11.0 国鉄12.5 国鉄15.0 広島16.5
5位 広島7.0 国鉄7.0 国鉄13.0 広島13.0 広島15.5 国鉄18.5
6位 中日8.5 中日10.5 中日18.0 中日21.0 中日24.5 中日25.0
1964年セントラル・リーグ成績
順位球団勝率
優勝阪神タイガース80564.588--
2位大洋ホエールズ80582.5801.0
3位読売ジャイアンツ71690.50711.0
4位広島カープ64733.46716.5
5位国鉄スワローズ61745.45218.5
6位中日ドラゴンズ57830.40725.0

[1]

オールスターゲーム

できごと

  • 7月12日 - 巨人戦の9回表、レフトの守備についていた長田幸雄目掛けてウイスキーの空き瓶が投げられ、怒った長田は空き瓶を投げ付けた犯人近くの客に「その男を捕まえろ!」と怒鳴るも、犯人が逃げ出した事から、長田はフェンスの金網をよじ登って観客席へ乱入する。まもなく犯人は警備に当たっていた川崎署員に取り押さえられ、長田はグラウンドに戻るも退場を宣告させられる。

選手・スタッフ

表彰選手

脚注

Related Articles

Wikiwand AI