山下政権2年目となったチームは6年前の日本一の立役者だった大魔神・佐々木主浩をシアトル・マリナーズから獲得、またチームOBの松原誠をヘッド兼打撃コーチとして招聘。松原ヘッドコーチを含めコーチ陣のほとんどをチームOBで固め(福田功バッテリーコーチは中日出身)、石井琢朗、鈴木尚典ら1998年の優勝&日本一メンバーが多く残っていたことから6年ぶりの覇権奪回が期待された。チームは出足の悪かった前年とは違い、4月を首位で終えるが、5月に入ってからは大きく負け越し、広島との最下位争いを強いられることになった。最終的に前年から借金を大幅に減らしたものの、優勝した中日に20ゲーム、3位の巨人に12ゲーム差をつけられ、3年連続の最下位でシーズン終了。投手陣は三浦大輔が負け越しながらも防御率でリーグ9位に入り、新外国人のスコット・マレンが7勝ながらチーム最多の投球回数をあげ、もう一人の新外国人セドリック・バワーズも規定投球回未満ながら3点台後半で健闘しチーム防御率は4.47でリーグ3位、そして守護神の佐々木は衰えが目立ったものの19セーブを挙げたがかつて守護神ではなく8月に3試合連続抑えを失敗。2ケタ勝利は0人。打撃陣は4番のタイロン・ウッズが本塁打王、佐伯貴弘がリーグ3位の.322、多村仁が3割40本100打点を達成し、内川聖一が前年から出場試合数を増やして17本塁打を放つなど最後まで打線が好調で、チーム打率は.279でリーグトップと前年から大幅に上がった。そして彼らの活躍が、翌年のAクラス入りにつながることになる。なお、契約満了に伴い山下監督はこの年限りで退任し、代わってTBSで野球解説者を務めていた牛島和彦が監督に就任した。オフにこの年本塁打王のウッズが中日に移籍。3年連続の最下位に加え、一場事件によって砂原オーナーが辞任に追い込まれるなど、まさに踏んだり蹴ったりの1年となった。
横浜ベイスターズの当年及び近年のシーズン成績
| 年 |
成績 |
リーグ |
勝 |
敗 |
分 |
率 |
平均得点 |
打率 |
本塁打 |
本塁打率 |
盗塁 |
防御率 |
平均失点 |
開幕時監督 |
| 2004 |
レギュラー敗退 | 6位 | 59 | 76 | 3 | .437 | | . | | | | | | 山下大輔 |
|
| 2003 |
レギュラー敗退 | 6位 | 45 | 94 | 1 | .324 | | . | | | | | | 山下大輔 |
| 2002 |
レギュラー敗退 | 6位 | 49 | 86 | 5 | .363 | | . | | | | | | 森祇晶 |
| 2001 |
レギュラー敗退 | 3位 | 69 | 67 | 4 | .507 | | . | | | | | | 森祇晶 |
| 2000 |
レギュラー敗退 | 3位 | 69 | 66 | 1 | .511 | | . | | | | | | 権藤博 |
| 1999 |
レギュラー敗退 | 3位 | 71 | 64 | 0 | .526 | | . | | | | | | 権藤博 |
| 1998 |
日本一 | 優勝 | 79 | 56 | 1 | .585 | | . | | | | | | 権藤博 |
| 1997 |
レギュラー敗退 | 2位 | 72 | 63 | 0 | .533 | | . | | | | | | 大矢明彦 |
| 1996 |
レギュラー敗退 | 5位 | 55 | 75 | 0 | .423 | | . | | | | | | 大矢明彦 |
| 1995 |
レギュラー敗退 | 4位 | 66 | 64 | 0 | .508 | | . | | | | | | 近藤昭仁 |
| 1994 |
レギュラー敗退 | 6位 | 61 | 69 | 0 | .469 | | . | | | | | | 近藤昭仁 |