うしかい座
トレミーの48星座の1つ
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うしかい座[5](うしかいざ、ラテン語: Boötes[2], Bootes[1])は、現代の88星座の1つで、2世紀頃にクラウディオス・プトレマイオスが選んだ「プトレマイオスの48星座」の1つ。牧夫 (英: herdsman) をモチーフとしている[1][2]。α星は、全天21個ある1等星の1つ[注 2]で、アルクトゥールス(アークトゥルス)と呼ばれる。アルクトゥールスと、おとめ座のα星スピカ、しし座のβ星デネボラが作る大きな三角形のアステリズムは、春の大三角と呼ばれる[8]。
| Boötes | |
|---|---|
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| 属格形 | Boötis[1][2] |
| 略符 | Boo[1][2] |
| 発音 | [boʊˈoʊtiːz]、属格:/boʊˈoʊtɨs/[注 1] |
| 象徴 | 牛追い、牧夫[2] |
| 概略位置:赤経 | 13h 35m 48.9293s - 15h 49m 27.7025s[3] |
| 概略位置:赤緯 | +7°.3605771 - +55°.0448647[3] |
| 20時正中 | 6月下旬[4] |
| 広さ | 906.831平方度[5] (13位) |
| バイエル符号/ フラムスティード番号 を持つ恒星数 | 59 |
| 3.0等より明るい恒星数 | 3 |
| 最輝星 | アルクトゥールス(α Boo)(-0.05等) |
| メシエ天体数 | 0[6] |
| 確定流星群 | 2[7] |
| 隣接する星座 |
りょうけん座 かみのけ座 かんむり座 りゅう座 ヘルクレス座 へび座(頭部) おとめ座 おおぐま座 |
特徴

北東をりゅう座、北西をおおぐま座、西をりょうけん座とかみのけ座、南をおとめ座、南東をへび座の頭部、東をかんむり座とヘルクレス座に囲まれている[9]。20時正中は6月下旬頃[4]で、北半球では夏の星座とされる[10]が、ほぼ年中いずれかの時間帯で夜空に観ることができる[9]。天の赤道から少し北の赤緯+7°.4 を南端としているため、人類が居住しているほぼ全ての地域から星座の一部を観ることができる[9]。一方、北端は+55°.0 と天の北極に近いため、南緯35°以南の地域[注 3]からは星座の全体を観ることができない[9]。

アルクトゥールスと、おとめ座のα星スピカ、しし座のβ星デネボラが作る大きな三角形のアステリズムは、春の大三角 ( 英: The Spring Triangle) と呼ばれる[8][11][12][13][注 4]。洋凧風の形状にも見える α・β・γ・δ・ε・ρ が成すアステリズムは、欧米ではアイスクリームのコーンに喩えて The Ice Cream Cone と呼ばれることもある[11]。また、β・γ・δ・μ が成す台形のアステリズムは、英語で「台形」という意味の The Trapezoid と呼ばれることもある[11]。
由来と歴史
古代メソポタミア - 古代ギリシア・ローマ期
紀元前1000年頃に編纂されたと見られる星表が記された古代メソポタミアの粘土板資料『ムル・アピン』では、うしかい座の星々は ŠUPA として知られていた[14][15]。ŠUPA はバビロニアの神々の長であるエンリルと同一視され、「天の荷車(こぐま座)」や「荷車(北斗七星)」と結び付いて天の星の運行を司ると考えられていたと推測されている[14][15]。
Boötes (Βοώτης) という星座名は、紀元前8世紀末頃の吟遊詩人ホメーロスの長編叙事詩『オデュッセイア』が初出であるとされる[2]。この Βοώτης という言葉は、古代ギリシア語で動物を追いやる大きな声に由来する「騒がしい」ことを意味する言葉にちなんだものであったとも[2]、「Βους(牛)を ωθειν(動かす)」に由来するものであった[16]ともされる。別名の Ἀρκτοφύλαξ は、「熊を監視する者」あるいは「熊を守る者」と訳され、現在は α星の固有名 Arcturus にその名前を残している[2]。紀元前3世紀前半のマケドニアの詩人アラートスは、詩篇『パイノメナ (古希: Φαινόμενα)』の中で Βοώτης と Ἀρκτοφύλαξ の両方の名前を用いて、熊を引き連れて天の北極の周りを巡る人物として表現している[2][17][18]。
この星座に属する星の数について、紀元前3世紀後半の天文学者エラトステネースの天文書『カタステリスモイ (古希: Καταστερισμοί)』や1世紀初頭の古代ローマの著作家ヒュギーヌスの天文書『天文学について (羅: De Astronomica)』では14個[19][20]、帝政ローマ期2世紀頃のクラウディオス・プトレマイオスの天文書『マテーマティケー・シュンタクシス (古希: Μαθηματικὴ σύνταξις)』、いわゆる『アルマゲスト』では23個とされていた[19][21][22]。興味深いことに、プトレマイオスはアルクトゥールスを星座を作る星から除外しており、アルクトゥールスを除く22個を「星座を作る星」としていた[22]。『アルマゲスト』を元に10世紀頃のイラン・ブワイフ朝の天文学者アブドゥッ=ラフマーン・アッ=スーフィーが著した天文書『星座の書 (كتاب صور الكواكب الثابتة Kitāb ṣuwar al-kawākib aṯ-ṯābita / al-thābita)』では、al-ʻAwwā という名称が使い、23個の星があるとした[23]。アッ=スーフィーは、アルクトゥールスを「武装したシマーク」という意味の「アッ=シマーク・アッ=ラーミフ (al-Simāk al-Rāmiḥ)」と呼び[24]、『アルマゲスト』と同じくこれを「星座を作る星」から除いた[23]。
近世 - 現代

16世紀ドイツの法律家ヨハン・バイエルは、1603年に刊行した星図『ウラノメトリア』の中で BOOTES というラテン語の星座名を記すとともに、うしかい座の星に対して α から ω までのギリシャ文字24個とラテン文字10個を用いて34個の星に符号を付した[25][26][27]。バイエルは、プトレマイオスの定めたうしかい座の領域を大きく変更することなく、人物像の右脚や杖、左手に持った鎌の部分に暗い星を追加するに留めた[26][28]。

17世紀後半以降、うしかい座とその周囲の星を用いて新たな星座を作ろうとする動きが見られた。ポーランド生まれの天文学者ヨハネス・ヘヴェリウスが編纂し、彼の死後の1690年に刊行された天文書『Prodromus Astronomiae』に収められた星図『Firmamentum Sobiescianum』には、うしかい座の西に、うしかい座の人物に紐で繋がれた2匹の狩犬の星座 Canes Venatici が描かれていた[29][30]。天球上のこの領域にうしかい座の人物が引き連れた犬を描く試みは16世紀の天文学者ペトルス・アピアヌスの星図 (1533, 1536)[31]や17世紀初頭のウィレム・ブラウ製作の天球儀 (1602) にも見られた[32]が、星座として独立させたのはへヴェリウスが初めてであった[29]。この犬の星座は後の天文学者たちにも受け入れられ、現在のりょうけん座となっている。
へヴェリウスは『Prodromus Astronomiae』で、うしかい座の中にも副星座 (sub-constellation) とも言うべき星座を設けた[33][34]。これはうしかい座の人物像の足元、現在のうしかい座の南端とおとめ座の東端にあたる位置に設けられた「Mons Maenalus(マエナルス山)」で、ペロポネソス半島の中部、ギリシャ共和国アルカディア県に実在するメナロ山をモチーフとしたものであった[33][34]。ヘヴェリウスや彼の後継者たちは Mons Maenalus をあくまでうしかい座の一部として扱い、独立した星座とすることはなかった[33][34]。Mons Maenalus は、リチャード・ヒンクリー・アレンなど一部の例外を除けば、19世紀末頃には過去の遺物と見なされるようになり、国際天文学連合 (IAU) が現行の星座を定めた際に Mons Maenalus は採用されず、その星々のほとんどはうしかい座の南にあるおとめ座の星となった[33][34]。

1795年、フランスの地図製作者ジャン=バティスト・フォルタンが刊行した『Atlas céleste de Flamsteed[注 5]』に掲載された天の北極周辺の星図には、うしかい座とりゅう座の境界付近に四分儀の星座絵とフランス語で「壁」を意味する le Mural という星座名が描かれていた[35][36][37]。これは、18世紀フランスの天文学者ジョセフ・ジェローム・ラフランソワ・ド・ラランドが、甥のミシェル・ラフランソワ・ド・ラランドとの共同観測で約5万個もの恒星の天球上での位置を確定させるという科学的業績を挙げたことを記念して作った星座であった[35]。ドイツの天文学者ヨハン・ボーデは1801年に刊行した星図『ウラノグラフィア』の中で、ラランドの le Mural をラテン語で「壁面四分儀」を意味する Quadrans Muralis と改名し[35]、うしかい座に跨る部分を削ってやや小さな星座とした。そのため、ラランドの Le Mural ではうしかい座44番星が最輝星であったが、ボーデに縮小された Quadrans Muralis ではそれよりやや暗いりゅう座CL星 が最輝星となった[36]。Quadrans Muralis は19世紀末頃までには過去の遺物と考えられるようになり、1922年に IAU が現行の星座を定めた際も選から漏れた。現在では三大流星群の1つとされるしぶんぎ座流星群 (英: Quadrantids) が初めて観測された1825年当時はまだ星図に Quadrans Muralis が描かれることが多かったため、流星群の名前として現在も遺されている[35][36]。また2025年2月には、IAU の恒星の命名に関するワーキンググループによってかつての最輝星うしかい座44番星に Quadrans という固有名が認証された[38]。
1922年5月にローマで開催された IAU の設立総会で現行の88星座が定められた際にそのうちの1つとして選定され、星座名は Bootes、略称は Boo と正式に定められた[39][40]。
中国
ドイツ人宣教師イグナーツ・ケーグラー(戴進賢)らが編纂し、清朝乾隆帝治世の1752年に完成・奏進された星表『欽定儀象考成』では、うしかい座の星々は三垣の「紫微垣」と二十八宿の東方青龍七宿の第二宿「亢宿」、第三宿「氐宿」に配されていた[41][42]。
神話
日本では、うしかい座のモデルを天を支える巨人アトラースとする話が広く伝えられている[43][44][45][46][47][48]が、アラートスの『パイノメナ』やエラトステネースの『カタステリスモイ』、ヒュギーヌスの『天文学について』などの星座の由来と伝承を伝える古代ギリシア・ローマ期の文献では、うしかい座とアトラースを結び付ける話は一切伝えられていない[17][18][19][20]。うしかい座とアトラースの関係に触れた近世の文献としては、19世紀末のアメリカの博物家リチャード・ヒンクリー・アレンの『Star Names, Their Lore and Meaning』(1899) や20世紀初頭のアメリカのアマチュア天文家ウィリアム・タイラー・オルコットの『Star Lore Of All Ages』(1911) があるが、これらの文献ではどの時代の誰による言説か裏付けとなるものが全く示されておらず、出所不明の説である[49][50]。星座に関する解説書を多数出版している文学者野尻抱影は、1931年(昭和6年)頃までの著書ではうしかい座のモデルをアルカスであると紹介していた[51][52]が、オルコットらの解説書を参考にして1933年(昭和8年)に刊行した星座解説書『星座神話』でアトラースであるとする説を紹介[53]して以降は、主にアトラース説を広めていた[43][44]。
うしかい座のモデルとなった人物について、『カタステリスモイ』ではアルカディアの王リュカーオーンの娘カリストーとゼウスの間に生まれたアルカス、『天文学について』ではアルカスのほかに、リーベル[注 8]からブドウとブドウ酒の製法を教わったアッティカの王イーカリオスと、豊穣の女神ケレース[注 9]とイーアシオーンの間に生まれたピロメーロスの2人の名前が挙げられている[2][19][20][56]。
『カタステリスモイ』の現存する写本のうち、全ての星座を網羅した Epitome と呼ばれる写本では、アルカスは赤子の頃に祖父のリュカーオーンによって調理されてゼウスの食卓に供されたが、それに気付いたゼウスが甦らせ、星座の間に置かれた、とされている[20]。一方、Fragmenta Vaticana(英: Vatican Fragments、ヴァチカン断片)と呼ばれる写本の断片では、アルカスが星座となるに至る経緯がより事細かに説明されている。Fragmenta Vaticana で語られる物語では、「ゼウスによって生き返らせられたアルカスはヤギ飼いに育てられた。青年になったアルカスは、リュカイアのゼウスの神殿に駆け込み、それが自分の母親とは知らずのままそこに居た母親のカリストーと性交しようと挑みかかった。周囲の人々は法に従って二人を罰しようとしたが、ゼウスは彼らと自分の絆ゆえに二人を奪い取り、星座の中に据えた。」とされている[20]。さらにヒュギーヌスの『天文学について』では「アルカスは、熊の姿に変えられたカリストーと森の中で出会った。自分の母とは知らないアルカスは、熊を殺すべく追いかけてリュカイアのゼウス神殿に侵入した。アルカディアの法では神殿に侵入した者は死刑に処せられると定められており、二人の命は風前の灯となった。このとき、彼らを憐れんだユーピテル[注 10]は、二人を連れ去って星座の間に置いた。アルカスは熊を追う姿として描かれ、熊の守護者として Arctophylax という名前が与えられた。」と、熊に変えられたカリストーをアルカスが殺そうとしたという、現代の日本でもよく語られる物語へと翻案された内容となっている[19][20]。
『天文学について』ではアルカスを紹介した後に、イーカリオスがうしかい座になったとする話を伝えている[2][19][20]。イーカリオスは、その正義と敬虔さゆえにリーベルからワインの製法とブドウの栽培法を伝授された[19][20]。イーカリオスは、リーベルからワインを受け取るとすぐにワインの袋を荷車に積み込んだため、Bootes(牛追い)と呼ばれたとされる[19][20]。ワインを広めるために旅に出たイーカリオスであったが、彼がアッティカ地方の羊飼いにワインを勧めたところ、羊飼いたちはあちこちで意識を失い、地面に倒れ込み、半死半生のようになった[19][20]。イーカリオスが毒を盛ったと思い込んだ他の羊飼いたちはイーカリオスを殺し、遺体を井戸に投げ込むか木の根元に埋めるかした[19][20]。眠りに落ちていた羊飼いたちは快適な目覚めを迎え、贈り物に報いるべくイーカリオスの安否を尋ねた[19][20]。イーカリオスを殺した者たちは良心の呵責からすぐに逃げ出し、キオス島へと向かった。彼らはそこで歓迎され、そこに骨を埋めることとした[19][20]。父の帰還が遅いため探しに出掛けようとしたイーカリオスの娘エーリゴネーの下に、主人の死を嘆くかのように吠えながらイーカリオスの愛犬マイラが戻ってきた[19][20]。マイラはイーカリオスが眠る地へとエーリゴネーを導き、そこで絶望に打ちひしがれたエーリゴネーは父の墓がある木で首を吊って自ら命を絶った[19][20]。そしてマイラも井戸に身を投げて自ら死を迎えた[19][20]。2名と1匹の身に起きた悲劇を憐れんだユーピテルは、イーカリオスを Bootes(牛飼い)に、エーリゴネーをおとめ座に、マイラをこいぬ座として星々の間に置いた[19][20][注 11]。
もう1名のモデル候補のピロメーロスは、豊穣の女神ケレースとイーアシオーンとの間に生まれた人物で、プルートスという兄弟がいた[19][20]。二人は仲が悪く、裕福なプルートスは自分の富をピロメーロスに分け与えなかった[19][20]。そのため食い扶持を稼ぐ必要に迫られたピロメーロスは全財産で2頭の雄牛を購入し、荷車や鋤を発明し、畑を耕して生計を立てた[19][20]。ピロメーロスの発明を褒め称えたケレースは彼を農夫の姿で星座の中に置き、Bootes(牛飼い)と名付けたとされる[19][20]。
呼称と方言
学名
ラテン語の学名は Bootes、属格は Bootis、略称はBoo と定められている[39][40]。Bootes に対応する日本語の学術用語としての星座名は「うしかい」と定められている[58]。現代の中国では牧夫座[59][60]と呼ばれている。
ラテン語の学名は、Boötes と綴られることもある[1][2][61][16]。2番目の "o" の上に見られる "¨" はドイツ語に見られるウムラウト記号ではなく、「トレマ (tréma)」や「ダイエリシス (diaeresis)」と呼ばれる分音記号である[16]。母音を表す文字が連続して表記された際にこの記号が付加されていると、それぞれの母音を単音として発音することを示す。もし分音符がない Bootes であれば [bú:ti:z](ブーティーズ)という発音になるが、Boötes と分音符を入れて綴る場合は o の単音を連続して発音する[bouóuti:z](ボウオウティーズ)と発音されることとなる[16]。
日本語名の変遷
明治初期の1874年(明治7年)に文部省より出版された関藤成緒の天文書『星学捷径』では、「ブーチース」という読みと「獵熊人」という説明で紹介された[62]。また、1879年(明治12年)にノーマン・ロッキャーの著書『Elements of Astronomy』を訳して刊行された『洛氏天文学』では訳語が充てられず、上巻で「ブーテス」というラテン語と英語読みが[63]、下巻で「波阿的宿(ボヲテス)」と星座名が紹介されたのみであった[64]。これらから30年ほど時代を下った明治後期には「牧夫」という呼称が使われていたことが日本天文学会の会報『天文月報』の第1巻1号掲載の「四月の天」と題した記事中の星図で確認できる[65]。「牧夫」の読みは、関西では「まきお」、関東では「ぼくふ」と呼ばれていたとされる[66]。この「牧夫」という呼称は、1910年(明治43年)2月に星座名が一部見直しされた際もそのまま使用された[67]。その後、日本天文学会では『天文月報』1923年1月号から星座の日本語表記を一部改めた[66][68]が、Boötes に対してはこれに先んじて1922年11月号から「牛飼」が使用されていた[69]。1925年に初版が刊行された『理科年表』でも「牛飼(うしかひ)」の表記が使用された[70]。そして、戦後の1952年(昭和27年)7月に日本天文学会が「星座名はひらがなまたはカタカナで表記する」[71]とした際に、ひらがなで「うしかい」と定められ[72]、以降この呼称が継続して用いられている[58]。
これに対して山本一清ら関西の東亜天文学会系の研究者は反発して「牧夫」の名称を使い続けた[66]。天文同好会の編集により1928年(昭和3年)4月に刊行された『天文年鑑』第1号では、星座名 Bootes に対して「ぼくふ(牧夫)」という呼称を使用した[73]が、翌年の第2号では「まきを(牧夫)」と読みを改め[74]、以降この名称と読みを用いた[75]。これについて山本一清は、東亜天文学会の会誌『天界』1934年8月号の「天文用語に關する私見と主張 (3)」と題した記事の中で、Bootes という星座は本来「熊を見守る」「牧場守り」という意味であること、Boötes を Βους(牡牛)+ωθειν(追う)の合成語とする考えは言葉を弄ぶに過ぎないこと、「牛飼」は七夕の牽牛を想起させること、などの理由を挙げて、Boötes を「牛飼」とすることに強く反対する考えを表明していた[76]。このため、日本語での星座名表記の統一は、学術用語として「うしかい」と正式に定められるまで遅れることとなった[66]。
方言
日本では、α星アルクトゥールスと、うしかい座の主要な星々が作る五角形に対して付けられた地方名が採集されている[77]。うしかい座のβ・γ・δ・ε・ρ が成す五角形を米や麦をつく唐臼に見立て、兵庫県姫路市では、「ムギボシ(麦星)」、兵庫県揖保郡新宮町(現・たつの市)では「カラウスボシ(唐臼星)」と呼んでいたことが伝わっている[77]。
主な天体
恒星
2025年8月末現在、国際天文学連合 (IAU) の恒星の命名に関するワーキンググループ (Working Group on Star Names, WGSN) によって11個の恒星に固有名が認証されている[38]。
- α星
- 太陽系から約36.7 光年の距離にある、見かけの明るさ -0.05 等、スペクトル型 K1.5IIIFe-0.5 の赤色巨星で、0等星[78][注 12]。うしかい座で最も明るい恒星で、全天21の1等星の1つ[78][注 2]。ギリシア語で「熊の番人」または「北の番人」を意味する言葉 Αρκτοῦρος に由来する[79]「アルクトゥールス[9](Arcturus[38])」という固有名が認証されている。
- β星
- 太陽系から約235 光年の距離にある、見かけの明るさ 3.52 等、スペクトル型 G8IIIaFe-0.5 の黄色巨星で、4等星[80]。アラビア語で「牛追い」を意味する言葉 al-baqqār の誤読に由来する[79]「ネッカル[9](Nekkar[38])」という固有名が認証されている。
- γ星
- 太陽系から約86 光年の距離にある、見かけの明るさ 3.02 等、スペクトル型 A7IV+(n) のA型主系列星で、3等星[81]。Aa星には、ギリシア語の星座名 Βοώτης がアラビア語やラテン語で転訛していった果ての言葉に由来する[79]「セギヌス[9](Seginus[38])」という固有名が認証されている。
- ε星
- 黄色のA星と青白色のB星のコントラストが非常に美しいことで知られる[2][82][83]見かけの二重星[84]。1829年に二重星であることを発見したドイツ系ロシア人の天文学者フリードリッヒ・フォン・シュトルーベは、その美しさからラテン語で「最も美しい」を意味する「プルケリマ (Pulcherrima)」と呼んだ[83]。
- η星
- 約2′離れた位置に見える ηA と ηB は見かけの二重星の関係にある[87]。
- λ星
- 太陽系から約100 光年の距離にある、見かけの明るさ 4.18 等、スペクトル型 A0Va_lB のA型主系列星で、4等星[90]。水素バルマー線から求めたスペクトル型は A0からF0型に相当するが、金属線、特に Mg IIが弱いという特徴を持つ「うしかい座λ型星」のプロトタイプとなっている[91]。中国語で「天の戈(ほこ)」または「北の戈」を意味する言葉に由来する「シュエングァ[9](玄戈、Xuange[38])」という固有名が認証されている。
- μ星
- μ星系とμ2星系からなる多重星[92][93][94]。2つの星系同士が連星の関係にあるか否かについて議論されてきたが、両星系の元素構成に着目した2014年の研究では2つの星系が偶々近くを通りすがっているだけであるとしている[95]。
- μ1
- 太陽系から約123 光年の距離にある連星系で、見かけの明るさ 4.31 等の4等星。2つの星が互いの共通重心を3.745435 年の周期で公転していると考えられている[96][97]。μ1A には、プトレマイオスが『アルマゲスト』でこの星の解説に記した「棍棒」を意味するギリシア語の言葉 κολλόροβος がアラビア語やラテン語を経た後に「羊飼いの杖」を意味する別のギリシア語の言葉 καλαῦροψ と勘違いされ、さらにラテン語化された言葉に由来する[79]「アルカルロプス[9] (Alkalurops[38])」という固有名が認証されている。
- μ2
- 太陽系から約120 光年の距離にある連星系で、見かけの明るさ 7.025 等の A[93]と 7.55 等の B[94]が互いの共通重心を約257 年の周期で公転していると考えられている[98][99]。
- 38番星
- 太陽系から約157 光年の距離にある、見かけの明るさ 5.757 等、スペクトル型 F6IVs の準巨星で、6等星[100]。ルネサンス期に「うしかい座は杖を持つ手の反対側の手に鎌を持っていた」とされたことから、ラテン語で「鎌」を意味する言葉に由来する[79]「メルガ[9](Merga[38])」という固有名が認証されている。
- 44番星
- 太陽系から約42.2 光年の距離にある[101]三重連星系[82][102]。見かけの明るさ 5.136 等、スペクトル型 F5V の主星A[103]と、2つの G2V からなる分光連星の B 星系[104]が約209.8 年の周期で互いの共通重心を公転している[105]。B星系は、おおぐま座W型の食変光星で、6.427583 時間の周期で5.80 ‐ 6.39 等の範囲でその明るさを変える[104]。18世紀末、フランスの天文学者ジェローム・ラランドが作った星座「壁面四分儀 (Quadrans Muralis)」の中で最も明るい星であった[106]ことから、2025年2月17日に IAU WGSN によって壁面四分儀にちなんだ Quadrans という固有名が認証された[38]。
- HD 131496
- 太陽系から約432 光年の距離にある、見かけの明るさ 7.80 等、スペクトル型 K0 の 8等星[107]。2011年にドップラー分光法による観測から、軌道長半径2.09±0.07 天文単位(au)、軌道離心率 0.163±0.073 の軌道を883.0±29.0 日の周期で公転する太陽系外惑星の発見が報告された[108][109]。国際天文学連合の100周年記念行事「IAU100 NameExoWorlds」でアンドラ公国に命名権が与えられ、主星はアンドラ北部にそびえ、年に2回山の穴から太陽の光が射すことで知られるアルカリス山にちなんだ Arcalís、太陽系外惑星は世界遺産のマドリウ=ペラフィタ=クラロ渓谷の主要部となっている、アンドラ南東部にある氷河渓谷と川「マドリウ」にちなんだ Madriu と命名された[110]。
- HD 136418
- 太陽系から約342 光年の距離にある、見かけの明るさ 7.88 等、スペクトル型 G5 の 8等星[111][112]。2010年にドップラー分光法による観測から、軌道長半径1.32±0.03 au、軌道離心率 0.255±0.041 の軌道を464.3±3.2 日の周期で公転する太陽系外惑星の発見が報告された[112][113]。「IAU100 NameExoWorlds」でカナダに命名権が与えられ、主星はカナダの先住民の言語クリー語で「母」を意味する言葉にちなんだ Nikawiy、太陽系外惑星は同じくクリー語で「子」を意味する言葉にちなんだ Awasis と命名された[110]。
その他、以下の恒星が知られている。
- δ星
- 太陽系から約120 光年の距離にある連星系[114]。見かけの明るさ 3.56 等、スペクトル型 G8IIIFe-1 の A と、7.89 等、G0V の B が、互いの共通重心を約7万6000 年の周期で公転していると考えられている[115][116]。
- ι星
- 太陽系から約96 光年の距離にある連星系[117]。見かけの明るさ 4.76 等、スペクトル型 A7V の A と、7.39 等で K0V の B が連星系を成していると考えられている[118]。A は脈動変光星の「たて座δ型変光星」に分類されており、39 分の周期で4.73 等から4.78 等の範囲でその明るさを変えている[119]。
- κ星
- 小望遠鏡で簡単に分解して見える二重星[120]。
- うしかい座ν1星
- 太陽系から約974 光年の距離にある、見かけの明るさ 5.026 等、スペクトル型 K4.5IIIbBa0.5 の赤色巨星で、5等星[123]。近くに見えるν2星とは見かけの二重星の関係にあり、双眼鏡でオレンジと白のコントラストを楽しむことができる[82]。
- うしかい座ν2星
- 太陽系から約441 光年の距離にある、見かけの明るさ 4.978 等の連星系で、5等星[124]。ともに見かけの明るさ 5.80 等のA型主系列星2つからなる連星で、2つの星が約8.484 年の周期で互いの共通重心を公転している[125][126]。
- π星
- ともに分光連星のπ1とπ2からなる二重星[127]。ガイア計画の第3回データリリースで得られた年周視差から算定された距離では誤差の範囲内でほぼ同じ距離にある[128][129]が、2つの分光連星系同士が連星の関係にあるか否かの結論は出ていない[127]。小望遠鏡でπ1とπ2を分解して見ることができる。
- ξ星
- 太陽系から約22 光年の距離にある、見かけの明るさ 4.593 等の連星系[130]。ξ A とξ B の2つの星が、約151.6 年で互いの共通重心を公転している[131][132]。変光星としては回転変光星のりゅう座BY型変光星に分類されており、約10.137 日の周期で 4.52 等から4.67 等の範囲でその明るさを変えている[133]。小望遠鏡で見ると、黄色とオレンジのペアの美しい姿を確認できる[82]。
- τ星
- 太陽系から約51 光年の距離にある、見かけの明るさ 4.49 等、スペクトル型 F7IV-V の4等星[136]。近くに見える 11等星の赤色矮星 B とは連星系を成しており、約2000 年の周期で互いの共通重心を公転している[137][138]。1996年に主星に太陽系外惑星が発見されており、最初期の系外惑星発見事例となった[139]。
- BL星
- 見かけの明るさ 14.75 等の15等星[140]。古典的セファイドとタイプIIセファイドの中間的な特徴を持つ特殊なセファイド変光星で、「変則的セファイド (英: anomalous Cepheid)」とも呼ばれる「うしかい座BL型変光星 (BLBOO)」のプロトタイプとされる[141][142]。約0.821301 日の周期で、14.43 等から15.10 等の範囲で明るさを変える[142]。
星団・星雲・銀河
18世紀フランスの天文学者シャルル・メシエが編纂した『メシエカタログ』に挙げられた天体は1つもない[6]。パトリック・ムーアがアマチュア天文家の観測対象に相応しい星団・星雲・銀河を選んだ「コールドウェルカタログ」には、渦巻銀河が1つ選ばれている[143]。
- NGC 5248
- 渦巻銀河。コールドウェルカタログの45番に選ばれている[143]。近傍に見える2つの低表面輝度銀河とともに「NGC 5248グループ」を形成しており、さらに大規模なおとめ座銀河団に属している[144]。
- NGC 5466
- 太陽系から約5万2600 光年の距離にある球状星団[145]。1784年にウィリアム・ハーシェルが発見した[146]。その集中度は最も低いクラス12と評価されており[146][147]、「なにかの抜け殻のよう」[148]と評されるほどゆるく星が集まっており、観測するにはそれなりに大きな望遠鏡が必要とされる[149]。
- うしかい座ボイド
- 直径3億3000万 光年の超空洞。1981年にカーシュナーらが発見した[150][151]。
流星群
うしかい座の名前を冠した流星群で、IAUの流星データセンター (IAU Meteor Data Center) で確定された流星群 (Established meteor showers) とされているものは、うしかい座λ流星群 (lambda-Bootids, LBO)、6月うしかい座流星群 (June Bootids, JBO) の2つ[7]。6月うしかい座流星群は、ポンス・ヴィンネカ彗星を母天体としていることから「ポン・ウィンネッケ流星群」や「ポンス・ヴィネッケ流星群」とも呼ばれていた[7]。
毎年1月4日頃に極大を迎える三大流星群の1つ「しぶんぎ座流星群」の放射点は、うしかい座の領域内の北東部分、44番星の東北東3°付近に位置している[9][153]。