アラク・テムル

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アラク・テムルAlaγ temür、? - 1456年)は、15世紀中後期のバートト・トゥメンの統治者。漢文史料上では主に阿剌知院(ālà zhīyuàn)と表記される。「アラク・テムル」はモンゴル年代記の一つ、『アルタン・トプチ』での表記であり、『アルタン・トプチ』以外でのモンゴル年代記ではアラク丞相Alaγ čingsang)とも表記される。

オイラトエセンが「土木の変」を起した際にはエセン、タイスン・ハーンと同格の将として一軍を率いており、オイラト内でもエセンに次ぐ有力な領侯であった。その後、タイスン・ハーンを弑逆してハーン位に就いたエセンと対立し、これを殺害するという事件を起した人物として知られる。

出自

脚注

参考文献

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