イッツ・ハード

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リリース
時間
『イッツ・ハード』
ザ・フースタジオ・アルバム
リリース
録音 1982年6月
ジャンル ハードロック
時間
レーベル ポリドール・レコード
ワーナー・ブラザース
プロデュース グリン・ジョンズ
専門評論家によるレビュー
星2 / 5オールミュージック
チャート最高順位
イギリスの旗 11位、アメリカ合衆国の旗 8位
ゴールドディスク
ゴールド(アメリカレコード協会
ゴールド(Music Canada)
ザ・フー アルバム 年表
Hooligans
(1981年)
イッツ・ハード
(1982年)
Who's Greatest Hits
(1983年)
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イッツ・ハード』(It's Hard)は、イギリスロックバンドザ・フーオリジナルアルバム1982年発表。イギリスで11位[1]アメリカで8位[2]を記録。

ザ・フーは本作発表後間もなく、「フェアウェル・ツアー」を開催、同年12月17日のトロント公演を最後に解散した[3]

解散前最後の、そしてジョン・エントウィッスルおよびケニー・ジョーンズが参加した最後のオリジナルアルバムである。前作『フェイス・ダンシズ』で復活を印象付けたザ・フーであったが、キース・ムーン死去後、ソロ活動が活発になり始めたピート・タウンゼントに対し、ジョーンズが「いい楽曲をソロの方に回している」と批判し、さらにそのジョーンズのドラムプレイにロジャー・ダルトリーが文句をつけるなど、バンド内の亀裂が徐々に明るみに出始めた[4]。メンバーの不仲に加え、妻との関係も悪化していたタウンゼントは、1度は断ったドラッグに再び手を出すようになり、1981年9月には一時心肺停止になるほどの深刻な状況にまで陥った[5]。リハビリを経て回復はしたものの、バンドの終焉はもはや誰の目から見ても明らかだった。4作目のソロアルバム『チャイニーズ・アイズ』の制作を終えたタウンゼントは、アメリカでの配給先であるワーナー・ブラザースともう1枚ザ・フーのアルバムを作るという契約を消化するために、新作アルバムの制作に着手する[3]。タウンゼントは『チャイニーズ・アイズ』発表に合わせたインタビューで、ザ・フーが次の新作アルバムを最後に解散することを明言しており、本作制作時には解散は決定事項だったと思われる[6]

プロデューサーに旧知のグリン・ジョンズ[注釈 1]を迎え、1982年6月より、サリー州にあるジョンズ所有のターン・アップ・ダウン・スタジオでレコーディングを開始する。ゲストには前々作『フー・アー・ユー』(1978年)にも参加したアンディ・フェアウェザー・ロウに加え、アメリカのピアニスト、ティム・ゴーマンも加わった。ゴーマンの起用はキーボードに加えシンセサイザーを扱えたこともあった。彼は直後の「フェアウェル・ツアー」にも参加している[3]

収録曲の内訳はタウンゼント作が9曲、エントウィッスル作が3曲。タウンゼントは本作発表時のインタビューで、「俺がバンドのために書いた曲は、すごく上手くいったと思うよ」「新作はザ・フーのこれまでの作品の中でも一番攻撃的だ」と本作に対する自信をのぞかせた。しかしダルトリーは本作を嫌っており、完成時に「こんなゴミは出すべきじゃない」とタウンゼントに言い放ったことを1994年のインタビューで明かしている[7]

パッケージはシングルスリーヴ。表ジャケットは、ピンボールの代わりにコンピューターゲームに夢中になる少年をバックに、それぞれ異なった方向に視線を向けて佇むメンバーを写したものである。裏ジャケットのメンバーの絵は、当時最新鋭のコンピューターグラフィックを用いて描かれた。アートワークを担当したのは、ダルトリーの従兄弟のグレアム・ヒューズ[8][注釈 2]。前作に引き続き、内袋に歌詞とクレジットが記載されている。

本作からは「アセーナ」[9][10][注釈 3]、「エミネンス・フロント」[11]、「イッツ・ハード」[12]の3曲がシングル・カットされ、このうち「アセーナ」はアメリカで28位まで上昇し、バンド最後(2022年時点)のアメリカでのトップ40ヒットとなった[2]

本作でその歴史に終止符を打ったザ・フーは、幾つかの一時的な再結成を経て[注釈 4]2000年から本格的にツアー活動を再開した。次の新作アルバム『エンドレス・ワイヤー』が発表されたのは、本作から24年後の2006年だった。

評価

『イッツ・ハード』は1982年9月にリリースされたが、イギリスでは『セル・アウト』(1967年)以来15年ぶりにトップ10入りを逃した[1]。アメリカでは8位につけたものの、『トミー』(1969年)以来獲得し続けたプラチナディスクに届かず、ゴールド認定にとどまっている。

批評家筋からの評価もおおむね否定的なものが多かった。ローリングストーン誌では「アルバム全体にグループの再燃した絆と再発見された価値観が伝わってくるような活気に満ち溢れている」と好意的に評されたが[13]オールミュージックでは「印象に残るメロディーとエネルギーがほとんどない」[14]ロバート・クリストガウからは「古典的なひどいイギリスのアートロックに最も近いもの」などと手厳しく批評された[15]

リイシュー

1997年リミックス/リマスターCDがリリースされる。ボーナストラックには、解散前最後のライヴとなった1982年12月16日のトロント公演から4曲が収録された。

2011年、オリジナルのマスターテープから起こされたリマスター版が日本限定でリリースされる(紙ジャケット仕様)。リマスタリングはいずれもジョン・アストリーが担当。

収録曲

※作詞・作曲は特記なき限りピート・タウンゼント。

A面
#タイトル作詞・作曲時間
1.「アセーナ - Athena」 
2.「イッツ・ユア・ターン - It's Your Turn」ジョン・エントウィッスル
3.「クックス・カウンティー - Cooks County」 
4.「イッツ・ハード - It's Hard」 
5.「デンジャラス - Dangerous」エントウィッスル
6.「エミネンス・フロント - Eminence Front」 
合計時間:
B面
#タイトル作詞・作曲時間
7.「戦争は知らない - I've Known No War」 
8.「ワン・ライフズ・イナフ - One Life's Enough」 
9.「ワン・アット・ア・タイム - One at a Time」エントウィッスル
10.「ホワイ・ディド・アイ・フォール・フォー・ザット - Why Did I Fall for That」 
11.「ア・マン・イズ・ア・マン - A Man Is a Man」 
12.「クライ・イフ・ユー・ウォント - Cry If You Want」 
合計時間:
1997年リイシューCDボーナストラック
#タイトル作詞・作曲時間
13.「イッツ・ハード(ライヴ)- It's Hard (Live)」 
14.「エミネンス・フロント(ライヴ)- Eminence Front (Live)」 
15.「デンジャラス(ライヴ)- Dangerous (Live)」エントウイッスル
16.「クライ・イフ・ユー・ウォント(ライヴ)- Cry If You Want (Live)」 
合計時間:

パーソナル

※リイシューCD記載のクレジットに準拠

ザ・フー

参加ミュージシャン

スタッフ

  • グリン・ジョンズ - プロデューサー、レコーディング・エンジニア
  • ジョン・アストリー、アンディ・マクファーソン、ボブ・ラドウィック - リイシューCDプロデューサー、リミックス、リマスタリング
  • ビル・カービシュリー、ロバート・デューセンバーグ、クリス・チャールズワース - リイシューCDエグゼクティヴ・プロデューサー
  • グレアム・ヒューズ - 写真撮影、カバー・デザイン
  • リチャード・エヴァンズ - リイシューCDアート・ディレクター

ヒットチャート

週間チャート

Chart Peak
Position
オーストラリア[16] 55
オランダ[17] 43
ノルウェー[18] 28
スウェーデン[19] 47
アメリカBillboard 200[2] 8
全英アルバムチャート[1] 11

ゴールドディスク

認定
カナダ (Music Canada)[20] ゴールド
アメリカ合衆国(RIAA)[21] ゴールド

脚注

参考文献

外部リンク

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