フーズ・ミッシング
From Wikipedia, the free encyclopedia
| 『フーズ・ミッシング』 | ||||
|---|---|---|---|---|
| ザ・フー の コンピレーション・アルバム | ||||
| リリース | ||||
| 録音 | 1964年-1971年 | |||
| ジャンル | ロック | |||
| 時間 | ||||
| レーベル | ||||
| 専門評論家によるレビュー | ||||
|
AllMusic Rating | ||||
| ザ・フー アルバム 年表 | ||||
| ||||
『フーズ・ミッシング』(Who's Missing)は、イングランドのロック・バンドであるザ・フーのコンピレーション・アルバムである[1]。彼等が1983年に解散を発表した後、未発表音源とアルバム未収録曲が編集されて1985年にアメリカで発表された[注釈 1]。
経緯
ザ・フーの歴史は、1964年にピート・タウンゼント(ギター、ヴォーカル)、ロジャー・ダルトリー(リード・ヴォーカル)、ジョン・エントウィッスル(ベース・ギター、ヴォーカル)、キース・ムーン(ドラムス)の顔ぶれで始まった[注釈 2]。彼等はピーター・ミーデンのマネージメントの下でザ・ハイ・ナンバーズ(The High Numbers)と改名して、同年7月にイギリスでデビュー・シングルを発表した[2]。その後、キット・ランバートとクリス・スタンプをマネージャーに迎え、1965年1月にザ・フー名義のデビュー・シングル[3]を発表した。1978年8月にムーンが死去すると、彼等はケニー・ジョーンズを迎えて活動を続け、1982年末にフェアウェル・ツアーを行なって解散した。
解散後、1980年代には様々な編集アルバムがイギリスではポリドール・レコード[4][5][6][7]、アメリカではMCAレコード[8][1][9][7]から発表された。MCAレコードが1985年に発表した本作[注釈 1]と1987年に発表した続編の『トゥーズ・ミッシング』[9]には、シングルやEPで発表されたアルバム未収録曲の他、未発表のスタジオ音源とライブ録音が数曲収録された。
内容
収録曲は1964年から1971年までの期間に録音された12曲で、オリジナルが7曲、カヴァーが5曲である。オリジナルの「バーゲン」のライブ録音、カヴァーの「リーヴィング・ヒア」、「ルビー (カム・バック・ホーム)」は、本作で初めて発表された。
オリジナル
未発表音源
- バーゲン Bargain(Live)
1971年12月13日、サンフランシスコのシビック・オーディトリウムで録音[10]されたライブ音源。原曲はアルバム『フーズ・ネクスト』(1971年)収録。
アメリカでの未発表曲
- ワイルド・ボーイ When I was a Boy
- 1971年にイギリスで発表されたシングル『レッツ・シー・アクション』のB面に収録[11]。
アメリカでのアルバム未収録曲
- ヘヴン・アンド・ヘル Heaven and Hell
- ヒア・フォー・モア Here for More
- ドント・ノウ・マイセルフ Don't Know Myself
- アイム・ア・ボーイ I'm a Boy(Original version)
- 1966年8月にロンドンのIBCスタジオで録音され、同月にイギリス、12月にアメリカでシングル発表された[15]。因みに編集アルバム『ミーティ・ビーティ・ビッグ・アンド・バウンシィ』(1971年)に収録された'Extended version'は、同年10月に録音されたもののステレオ・ミックスである。
- マリー・アンヌ Mary Ann with the Shaky Hand(Original version)
- 1967年8月6日に、ニューヨークのタレントマスターズ・スタジオで録音され、同年9月にアメリカで発表されたシングル『恋のマジック・アイ』[16]のB面に収録された。因みにアルバム『セル・アウト』(1967年)に収録されたものは、同年10月24日にロンドンのデ・レーン・リー・スタジオで録音された。
カヴァー
未発表音源
- リーヴィング・ヒア Leaving Here
- 彼等がザ・ハイ・ナンバーズと名乗っていた1964年6月、ロンドンにあったフォンタナ・レコードのスタジオでChris Permeinterとミーデンのプロデュ―スによって録音された[注釈 3]。原曲はエディ・ホーランド、ブライアン・ホーランド、ラモント・ドジャーが構成したアメリカのソングライター・チームであるホーランド=ドジャー=ホーランドの楽曲で、1963年12月にエディ・ホーランドがシングルで発表した。
- ルビー (カム・バック・ホーム) Lubie (Come Back Home)
- 1965年3月11日にロンドンのIBCスタジオで、タルミーのプロデュースにより録音された。ニッキー・ホプキンス(ピアノ)が参加。原曲はポール・リヴィア&ザ・レイダーズが1964年に発表した「ルイ、ゴー・ホーム」である。
アメリカでの未発表曲
- バーバラ・アン Barbara Ann
- 1966年11月にイギリスで発表されたEP『レディ・ステディ・フー』に収録。ムーンがリード・ヴォーカルを担当[17][注釈 4][18]。原曲はフレッド・ファサート作。1958年にドゥーワップ・グループのリージェンツによって録音され、1961年にBarbara-Annの題で発表されて[19]Billboard Hot 100で13位まで上昇した。ザ・ビーチ・ボーイズのアルバム『ビーチ・ボーイズ・パーティ』(1965年)で取り上げられ、シングル・カットされて[20]欧米で大ヒットした。
アメリカでのアルバム未収録曲
- シャウト・アンド・シミ― Shout and Shimmy
- 1965年4月12日にロンドンのIBCスタジオでシェル・タルミーのプロデュースにより録音され[21]、同年10月29日にイギリス、11月20日にアメリカで発表されたシングル『マイ・ジェネレーション』のB面[22]に収録された[注釈 5]。原曲はジェームス・ブラウンの自作で、1962年6月にシングルで発表されてBillboard Hot 100の61位まで上昇した。
- エニータイム・ユー・ウォント・ミー Anytime You Want Me
- 1965年4月12日から14日にかけて、ロンドンのIBCスタジオでタルミーのプロデュースにより行なわれたレコーディング・セッションで録音され[21]、同年6月5日にアメリカで発表されたシングル『エニウェイ・エニハウ・エニホエア』[23][24]のB面に収録された。ホプキンス(ピアノ)とジ・アイヴィー・リーグ(コーラス)が参加。原曲はガーネット・ミムズ・アンド・ザ・エンチャンターズ(Garnet Mimms and the Enchanters)[25]を率いたアメリカのシンガーのガーネット・ミムズが、ジェリー・ラゴヴォイと共作して1964年にシングルで発表した[26]。