キリキア・アルメニア王国の君主一覧
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本項ではキリキア・アルメニア王国および前身であるキリキア・アルメニア侯国の君主一覧を記述する。キリキア・アルメニアは、セルジューク朝によるアルメニア侵攻から逃れてきたアルメニア人難民によって形成された国家で[1]、 ルーベン朝によって創設された。ルーベン朝はアルメニア王国やジョージアの王位を保持したバグラトゥニ朝の分家であった。当初のルーベン朝支配者たちは一地方の総督にすぎなかったが、十字軍運動を機にヨーロッパ諸国との関係を深め、1198年のレヴォン2世の時代に神聖ローマ帝国によって正式に王国として認められた[2]。 最後のルーベン朝君主であるイザベル(ザベル)が1252年に死去すると、残った夫であるヘトゥム1世が単独の支配者となり、ヘトゥム朝が始まった。1341年にレヴォン5世が死去すると、従兄弟であるリュジニャン家のコスタンディン4世が後継者に選出され、リュジニャン朝の初代王として即位した。 レヴォン6世の治世初期、王国はマムルーク朝によって陥落し[3]、 その称号は有名無実となった。キプロス女王シャルロッテは、1485年に名目上のみのキリキア・アルメニア王位をサヴォイア家に譲渡し、この称号は1861年になるまで使われることはなくなった[4] 。
なお、本項では人名の重複を避けるため、ルーベン朝の初代から序数を割り振ることとする。
王、女王
| 君主名 | 生没年月日 | 即位 | 退位 | 補足 | 家系 | 画像 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| レヴォン2世 | 1198/1199 | 1219 | ルーベン朝 | |||
| ザベル | 1219 | 1252 | 女王として統治。フィリップ、ヘトゥム1世と共同統治 | ルーベン朝 | ||
| フィリップ | 1222 | 1225 | ザベルと共同統治 | ポワティエ家 | ||
| ヘトゥム1世 | 1226 | 1270 | 1252年までザベルと共同統治 | ヘトゥム朝 | ![]() | |
| レヴォン3世 | 1270 | 1289 | ヘトゥム朝 | |||
| ヘトゥム2世 | 1289 | 1293 | トロス3世に譲位 | ヘトゥム朝 | ||
| トロス3世 | 1293 | 1298 | ヘトゥム2世を呼び戻し、共同統治者となった | ヘトゥム朝 | ||
| ヘトゥム2世 | 1294 | 1296 | トロス3世との共同統治 | ヘトゥム朝 | ||
| スンバト | 1297 | 1298 | 簒奪者 | ヘトゥム朝 | ||
| コスタンディン3世 | 1298 | 1299 | ヘトゥム朝 | |||
| ヘトゥム2世 | 1299 | 1305 | 復位。退位後はレヴォン3世の摂政 | ヘトゥム朝 | ||
| レヴォン4世 | 1305 | 1308 | ヘトゥム2世による摂政下 | ヘトゥム朝 | ||
| オシン | 1308 | 1320 | ヘトゥム朝 | |||
| レヴォン5世 | 1320 | 1341 | 1329年までコリコスのオシンによる摂政下 | ヘトゥム朝 | ||
| コスタンディン4世 | 1342 | 1344 | 貴族から選出 | リュジニャン家 | ||
| コスタンディン5世 | 1344 | 1362 | ネギール家 | |||
| コスタンディン6世 | 1362 | 1373 | ネギール家 | |||
| レヴォン6世 | 1374 | 1375 | リュジニャン家 |
