クレイグ・ブレスロウ

From Wikipedia, the free encyclopedia

生年月日 (1980-08-08) 1980年8月8日(45歳)
身長
体重
6' 1" =約185.4 cm
190 lb =約86.2 kg
クレイグ・ブレスロウ
Craig Breslow
オークランド・アスレチックス時代
(2011年6月7日)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 コネチカット州ニューヘイブン
生年月日 (1980-08-08) 1980年8月8日(45歳)
身長
体重
6' 1" =約185.4 cm
190 lb =約86.2 kg
選手情報
投球・打席 投左打
ポジション 投手
プロ入り 2002年 MLBドラフト26巡目
初出場 2005年7月23日 フィラデルフィア・フィリーズ
最終出場 2017年9月28日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
国際大会
代表チーム イスラエルの旗 イスラエル
WBC 2017年

クレイグ・アンドリュー・ブレスロウCraig Andrew Breslow, 1980年8月8日 - )は、アメリカ合衆国コネチカット州ニューヘイブン出身の元プロ野球選手投手)。投左打。ユダヤ系アメリカ人である。MLBボストン・レッドソックスの最高野球責任者 (Chief Baseball Officer)。

大学時代

名門イェール大学生物物理学生化学学位を取得[1]し、チームの主将も務めた。尚、主将の前任者は後に連邦下院議員、フロリダ州知事などを歴任するロン・デサンティス(外野手・歴史学専攻)である。

プロ入りとブルワーズ傘下時代

2002年MLBドラフト26巡目(全体769位)でミルウォーキー・ブルワーズから指名を受け、6月6日に契約。契約後、傘下のパイオニアリーグのルーキー級オグデン・ラプターズ英語版でプロデビュー。23試合に登板して6勝2敗2セーブ・防御率1.82・56奪三振の成績を残した。

2003年はA級ベロイト・スナッパーズ英語版でプレーし、33試合に登板して3勝4敗2セーブ・防御率5.12・80奪三振の成績を残した。

2004年はA+級ハイデザート・マーベリックスでプレーし、23試合に登板して1勝3敗・防御率7.19・41奪三振と振るわず、7月6日に自由契約となった[2]

独立リーグ時代

2004年シーズン途中に自由契約となった後は独立リーグ・ノースイーストリーグニュージャージー・ジャッカルズに加入。19試合に登板して3勝1敗1セーブ・防御率4.10・37奪三振の成績を残した[要出典]

パドレス時代

2005年3月3日サンディエゴ・パドレスとマイナー契約を結んだ[2]7月23日にパドレスとメジャー契約を結び[3]、この年は14試合に登板。防御率は2.20だった。オフの12月21日にノンテンダーFAとなった[4]

レッドソックス時代

2006年2月1日ボストン・レッドソックスとマイナー契約を結んだ[5]。開幕をAAA級ポータケット・レッドソックスで迎え、7月13日にレッドソックスとメジャー契約を結んだ[6]。この年は13試合に登板して0勝2敗・防御率3.75・12奪三振の成績を残した。

2007年3月17日にAAA級ポータケットへ異動し[7]、開幕を迎えた。この年はAAA級ポータケットで49試合(先発1試合)に登板して2勝3敗1セーブ・防御率4.06・73奪三振の成績を残した[2]

2008年3月6日にレッドソックスと1年契約に合意した[8]

インディアンス時代

2008年3月23日ウェイバー公示を経てクリーブランド・インディアンスへ移籍した[9]。開幕後は7試合に登板したが、5月23日ジョー・ボロウスキーの復帰に伴ってDFAとなった[10]

ツインズ時代

2008年5月29日にウェイバー公示を経てミネソタ・ツインズへ移籍した[11]。移籍後は42試合に登板して0勝2敗1セーブ・防御率1.63・32奪三振の成績を残した。

2009年は17試合に登板して1勝2敗・防御率6.28・11奪三振の成績を残した[2]

アスレチックス時代

2009年5月29日にウェイバー公示を経てオークランド・アスレチックスへ移籍。移籍後は60試合に登板して7勝5敗・防御率2.60・44奪三振の成績を残した。

2010年3月8日にアスレチックスと1年契約に合意[12]。この年は75試合に登板し、4勝4敗5セーブ・防御率3.01・71奪三振の成績を残した。

2011年1月25日にアスレチックスと140万ドルの1年契約に合意した[13]。この年は67試合に登板して0勝2敗・防御率3.79・44奪三振の成績を残した[2]

ダイヤモンドバックス時代

2011年12月9日ライアン・クックコリン・カウギルジャロッド・パーカーとのトレードで、トレバー・ケーヒルと共にアリゾナ・ダイヤモンドバックスへ移籍した[14]

2012年2月8日にダイヤモンドバックスと179万5000ドルの1年契約に合意[15]。開幕後はトレードまでの間で40試合に登板して2勝0敗・防御率2.70・42奪三振の成績を残した[2]

レッドソックス復帰

ボストンでの優勝パレードでダックボートに乗って手を振る。右から上原、田澤、ブレスロー。(2013年11月2日)

2012年7月31日スコット・ポドセドニックマット・アルバースとのトレードで、古巣のレッドソックスへ移籍した[16]。移籍後は23試合に登板して1勝0敗・防御率2.70・19奪三振の成績を残した[2]

2013年1月24日にレッドソックスと総額625万ドル[17]の2年契約(2015年・400万ドルの球団オプション付き)を結んだ[18]。左肩腱炎のため開幕から故障者リスト入りしたが、5月7日からセットアッパーとして復帰し、右腕の田澤純一上原浩治等と共にレッドソックスのリリーフ陣を牽引した。このシーズンは61試合の登板で、5勝2敗・防御率1.81(ア・リーグ左腕の救援投手3位)[19]、WHIP1.12と優秀な成績を残した。特に後半戦は自責点2と、クローザーの上原と遜色の無い成績だった。自身初のポストシーズンにおいてもその活躍は続き、ディビジョンシリーズでは3試合に登板し、2安打無失点4奪三振2四死球、WHIP0.82の成績でレッドソックスの勝利に貢献。続くリーグチャンピオンシップシリーズでも4試合に登板し、1安打無失点2奪三振4四球、WHIP1.50の成績を残し、対戦相手であるデトロイト・タイガースジム・リーランド監督から、“レッドソックスの先発投手陣は良いが、救援陣は圧倒的だ”と賞讃された[20]。しかしながらワールドシリーズでは、4試合の登板で、3安打3失点3四死球、WHIP15.0という惨憺たる成績に加え、アウトは第2戦での犠飛1つしか奪えておらず、しかもその際には三塁への暴投により2点目を献上するなど、絶不調に陥った。しかしながらチームは踏ん張り、レッドソックスはワールドシリーズを制覇した。

2014年3月27日に左肩の故障で、15日間の故障者リスト入りした[21]。4月3日にリハビリのため、AAA級ポータケットへ異動した。同月9日にメジャーへ昇格[22]。以降リリーフとしてコンスタントに登板を重ねた。8月までは防御率4.65であったが、9月は8試合に登板して11失点(自責点10)、防御率22.5、WHIP3.75と絶不調に陥った。6年連続の60試合登板を達成した一方で、終盤の不調が大きく響き、防御率5.96、WHIP1.86はそれぞれ自己ワースト記録を更新した。オフの10月31日にレッドソックスが球団オプションを破棄したため、FAとなった[23]

2015年1月6日にレッドソックスと200万ドルの1年契約で再契約した[24][25]。不振からの脱却を期する同シーズンは、45試合に投げて通算500試合登板を達成した。投球内容は、0勝4敗と未勝利に終わったが、防御率を4.15まで低下させて、やや復調の兆しを見せた。一方、65.0イニングで、自身初の二桁被弾となる12本もの本塁打を打たれ、球の軽さが目立った。11月2日にFAとなった[26]

マーリンズ時代

2016年2月12日マイアミ・マーリンズとマイナー契約を結んだ[27]。開幕メジャー入りするも、5月11日にDFAとなり[28]、13日に40人枠を外れる形で傘下のAAA級ニューオーリンズ・ゼファーズへ配属された。7月18日に自由契約となった[2]

レンジャーズ傘下時代

2016年7月24日テキサス・レンジャーズとマイナー契約を結んだ[29]8月9日に自由契約となった[2]

ツインズ復帰

2017年2月8日にツインズとマイナー契約を結び、スプリングトレーニングに招待選手として参加することになった[30]。同日には第4回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)本戦のイスラエル代表に選出された[31]。イスラエル代表敗退後の3月20日にメジャー契約を結んで40人枠入りした[32]7月24日にDFAとなり、29日に自由契約となった[2]

インディアンス復帰

2017年8月4日にインディアンスとマイナー契約を結んだ[33]。傘下のAAA級コロンバス・クリッパーズで7試合に登板後、8月26日にメジャー契約を結んでアクティブ・ロースター入りした[34]。オフの11月2日にフリーエージェント(FA)となった[35]

ブルージェイズ傘下時代

2018年2月12日トロント・ブルージェイズとマイナー契約を結んでスプリングトレーニングに招待選手として参加することになった[2]が、3月24日に自由契約となった[36]4月3日にブルージェイズと再びマイナー契約を結んだ[2]。マイナーリーグで33試合に登板したものの、防御率5.77と結果を残せず、メジャーリーグに昇格できずに終わった。

引退後・カブスフロント時代

2019年1月14日、公式な引退宣言はなかったが、シカゴ・カブスの戦略主導担当ディレクターに就任[37]

2019年10月17日、シカゴ・カブスの投手部門部長兼社長特別補佐兼GM特別補佐に昇進した[38]

2020年11月、同球団のGM補佐兼副社長(投手部門)に昇進した[39]

レッドソックスフロント時代

2023年10月25日、ボストン・レッドソックスの最高野球責任者 (Chief Baseball Officer) に就任した[40]

投球スタイル

速球は最速148km/hほどであり、ツーシームフォーシームを投げる。 また、変化球としてはスライダーを得意としており、以前より球速も上がっているため、カッターと思われやすい。他には、100km/h台のカーブと、約120km/hのチェンジアップを投げる。 奪三振は多くなく、K/BBは2.00、ゴロ/フライ比率は1.00程度であり、打たせて取る傾向のある投手である[41]

人物

名門イェール大学出身であり、2010年にスポーツ専門メディア『Sporting News』が特集した“20 smartest athletes in sports”(スポーツ界で最も賢い20人)では、堂々の1位に輝いた[42]。同僚のライアン・ラバーンウェイ捕手もイェール大学出身であり、2013年8月18日にはMLB史上初となるイェール大学出身者同士のバッテリーが実現した[43]。イェール大学出身者がチームメイトになるのは、63年ぶり2度目であった[44]。また、“Strike 3 Foundation”というチャリティ財団を自ら設立、運営しており、2013年9月には、ロベルト・クレメンテ賞にノミネートされた[45]

詳細情報

年度別投手成績





















































W
H
I
P
2005 SD 1400000001----7816.115113011410642.201.71
2006 BOS 1300000203.0005512.01206111221553.751.50
2008 CLE 700000000----408.1101500700333.241.80
MIN 4200000215.00014938.224014203241971.630.98
'08計 4900000215.00018947.03411920394112101.911.13
2009 1700001202.3336414.11131101113011106.281.53
OAK 60000075013.58321755.13751802440120162.600.99
'09計 77000087015.53328169.24882903553131263.361.11
2010 75000044516.50030474.25392940710126253.011.10
2011 6700000208.00026159.16942112443029253.791.52
2012 ARI 40000020041.00018043.13851301421015132.701.18
BOS 23000010051.0008120.01409211910762.701.15
'12計 63000030091.00026163.15252222612022192.701.17
2013 61000052013.71423759.24931802332016121.811.12
2014 6000002412.33326054.17382812373140365.961.86
2015 4500000411.00028065.069122352462033304.151.42
2016 MIA 1500000202.0006314.0211400700974.501.79
2017 MIN 3000001100.50014331.03841222181019185.231.61
CLE 700000001----164.130200500224.151.15
'17計 3700001101.50015935.14141422231021205.091.56
MLB:12年 57600002330876.4342428570.25365622618174422552502193.451.34

背番号

  • 49(2005年、2008年途中 - 2009年途中)
  • 54(2006年)
  • 58(2008年 - 同年途中)
  • 56(2009年途中 - 2011年)
  • 32(2012年 - 2015年)
  • 17(2016年)
  • 47(2017年 - 同年7月22日)
  • 40(2017年8月26日 - 同年終了)

代表歴

脚注

関連項目

外部リンク

Related Articles

Wikiwand AI