ケビン・マギー

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ケビン・マギー (Kevin Magee, 1962年7月20日 - ) は、オーストラリア出身の元オートバイレーサー。1987年・1988年の鈴鹿8時間耐久ロードレース優勝者。

活動期間 1987年 - 1993年
チーム ヤマハスズキ
レース数 36
概要 ケビン・マギー, グランプリでの経歴 ...
ケビン・マギー
1989年イギリスGPを走るマギー(5号車)
グランプリでの経歴
国籍 オーストラリアの旗 オーストラリア
活動期間 1987年 - 1993年
チーム ヤマハスズキ
レース数 36
優勝回数 1
表彰台回数 3
通算獲得ポイント 326.5
ポールポジション回数 1
ファステストラップ回数 1
初グランプリ 1987年 500cc 日本GP
初勝利 1988年 500cc スペインGP
最終勝利 同上
最終グランプリ 1993年 500cc 日本GP
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経歴

キャリア初期

地元オーストラリア、そして日本でのプロダクションバイク(市販量産車)、スーパーバイクでのレースでマギーのキャリアは始まった。

オーストラリア国内のスーパーバイクのレースに、ボブ・ブラウンのチームからドゥカティを駆って参戦、その後はマイケル・ドーソン (レーサー)オランダ語版と一緒にウォーレン・ウィリングが運営するヤマハのディーラーチームからプロダクションレース・スーパーバイクレースに参戦した。当時はプロダクションレースが格上であり、スーパーバイクのシリーズは発展途上にあった。

1985年にモリワキエンジニアリング森脇護により見いだされ、鈴鹿8時間耐久レースにモリワキ8号車で初参戦。翌1986年の鈴鹿8時間耐久ではドーソンとペアを組み、オーストラリアから持ち込んだスーパーバイク仕様のFZ750を駆って、ワークス勢に割って入る2位表彰台を獲得し、世界的に注目を浴びることになった。しかしこの年バサーストで開催された耐久レースでは大きなリードを保っていたにもかかわらず、ピットサインを見て後続が迫っていると勘違いし、結果転倒して足を骨折。GPデビューを遅らせることになってしまった。だが年末に開催されたスワンシリーズ[1]ではヤマハのワークスGPマシンに乗る機会を得て、6レース中2勝を収める活躍を見せた。

世界GPデビュー

1987年、マギーは開幕戦日本GPヤマハ・ワークスの前年型YZR500でスポット参戦し3位争いに加わった。これを見たケニー・ロバーツから誘いを受け、第7戦オランダGPからはチーム・ロバーツよりロードレース世界選手権500ccクラスに、ワイルドカード枠での出場機会を得た。このオランダでは雨の難コンディションだったが初ポイントを獲得、ヤマハからの評価を高め、同年7月末の鈴鹿8時間耐久(世界耐久選手権)ではヤマハ・TECH21チームから参戦する平忠彦のパートナーとして起用されることが決定。しかし直前のフランスGPで平が首を負傷したため欠場することになり、その代役となったマーチン・ウィマーと組んで出場した鈴鹿8耐では、決勝レース終盤の残り5分でヨシムラ・スズキに乗る高吉克郎の転倒もあり、最終ライダーとして猛追していたマギーは逆転劇でヤマハに8耐初優勝をもたらす。さらには、スポーツランドSUGOで開催されたTTフォーミュラ世界選手権(TT-F1クラス)でもヤマハ・YZF750で勝利し、9月にはWGP第13戦ポルトガルGPでトップ争いに加わり、エディ・ローソンランディ・マモラに次いで3位表彰台を獲得、ヤマハによる1-2-3フィニッシュを達成する一翼となった。この表彰台獲得により、マギーは1シーズンに3つの世界選手権レースの表彰台に立った唯一のライダーになった。

1988年、マギーはランディ・マモラの後任[2]としてチーム・ラッキーストライク・ロバーツに正式加入。500ccルーキーのウェイン・レイニーをチームメイトにWGPフル参戦のシートを得た。この年の鈴鹿8耐にはGPと同じくレイニーと組んで参戦し完勝、大会連覇を達成した。

WGPでは第3戦、ハラマで開催されたスペインGPでGP初優勝を果たし、ワイン・ガードナーに次ぐオージーによるチャンピオン候補として将来が有望視される。しかし翌1989年ラグナ・セカで開催された第2戦アメリカGPで、マギーは不幸なアクシデントの当事者となってしまう。

ラグナ・セカでの事故

レース後のクールダウンラップ、4位に入ったマギーはバーンアウトのパフォーマンスをおこない、タイヤスモークをあげていた。その煙でマギーのマシンが見づらくなっていたところにババ・ショバートが突っ込んでしまった。この事故でマギーは足を骨折(2戦欠場後に復帰)、そして重傷を負ったショバートはレーサーとしてのキャリアを終えることになってしまった。

また皮肉なことに翌1990年のアメリカGPでは、マギーは前年と同じ場所でクラッシュし、頭部に重傷を負って1シーズンを棒に振ることになった。1991年スズキから2戦、チーム・ロバーツ・ヤマハから1戦のみの出場に終わった。1992年の日本GPには日本テレコム・ヤマハからワイルドカードでの参戦が予定されていたがフリー走行で転倒し欠場、そして1993年の日本GPにワイルドカード参戦したのがマギーにとって最後のGPレースとなった。

他カテゴリでの活躍

2007年 デモ走行するマギー

マギーはスーパーバイク世界選手権にも何戦か参戦し、1991年と1992年には地元フィリップアイランドで勝利を記録した[3]。1992年には全日本ロードレース選手権GP500クラスでダリル・ビーティーと熾烈なチャンピオン争いを展開。最終戦の最終ラップまでチャンピオンを獲得できる展開だったが[4]筑波サーキットの第2ヘアピン立ち上がりでコースアウト、転倒は免れたもののビーティーに逆転されわずか2ポイント差でランキング2位となった[5]

1994年にはAMAスーパーバイクに参戦し、その後引退を発表した。

引退後

マギーはオーストラリア国内でのMotoGPとスーパーバイク世界選手権のテレビ放送で解説者を務めている。またオートバイ雑誌 " Two Wheels " で時折試乗レポートもおこなっている。

主なレース戦績

全日本ロードレース選手権

さらに見る 年, チーム ...
チーム マシン クラス 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 順位 ポイント
1987年 ヤマハ・レーシングチーム ヤマハ・YZF750 TT-F1 SUZ
1
SUZ
-
SUG
-
SUZ
1
TSU
-
SUG
-
SUG
-
SUZ
-
TSU
-
- -
1991年 ヤマハ・YZR500 500cc TSU
-
SUZ
-
SUG
-
TSU
-
TSU
-
SUG
-
FSW
-
MIN
-
SUZ
8
SUG
4
TSU
-
- -
1992年 0088日本テレコムヤマハRT ヤマハ・YZR500 MIN
C
TSU
3
SUG
3
SUZ
1
TSU
2
SUZ
4
SUG
1
FSW
2
SUZ
5
SEN
C
SUG
DNS
TSU
2
2位 148
1993年 ヤマハ・YZR500 SUZ
DNS
SUG
2
TSU
8
SUZ
Ret
SUG
Ret
SUZ
-
SUG
-
TSU
-
12位 25
1995年 ヨシムラスズキJOMO GP-1プラス スズキ・GSX-R750 SB SUG1
DNS
SUG2
11
TSU
11
FSW
SUZ
SUG1
SUG2
MIN
SUZ1
SUZ2
TIA
SUG1
SUG2
SUZ
26位 7.5
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ロードレース世界選手権

  • 凡例
  • ボールド体のレースはポールポジション、イタリック体のレースはファステストラップを記録。
さらに見る 年, クラス ...
[6]
クラス チーム マシン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 ポイント 順位 優勝
1987 500cc ヤマハ・レーシング(R-1)
ロバーツヤマハ (R-7&13)
YZR500 JPN
NC
SPA
-
GER
-
ITA
-
AUT
-
YUG
-
NED
10
FRA
-
GBR
-
SWE
-
CZE
-
RSM
-
POR
3
BRA
-
ARG
-
11 15位 0
1988 ラッキーストライク・ロバーツ・ヤマハ YZR500 JPN
7
USA
NC
SPA
1
EXP
3
ITA
5
GER
5
AUT
6
NED
4
BEL
5
YUG
5
FRA
9
GBR
5
SWE
6
CZE
NC
BRA
6
138 5位 1
1989 YZR500 JPN
5
AUS
4
USA
4
SPA
INJ
ITA
INJ
GER
7
AUT
5
YUG
4
NED
4
BEL
7
FRA
5
GBR
6
SWE
5
CZE
7
BRA
6
138.5 5位 0
1990 ラッキーストライク・スズキ RGV-Γ500 JPN
4
USA
NC
SPA
INJ
ITA
INJ
GER
INJ
AUT
INJ
YUG
INJ
NED
INJ
BEL
INJ
FRA
INJ
GBR
INJ
SWE
INJ
CZE
INJ
HUN
INJ
AUS
INJ
13 21位 0
1991 ラッキーストライク・スズキ(R1-2)
ロバーツ・ヤマハ(R15)
RGV-Γ500
YZR500
JPN
13
AUS
11
USA
-
SPA
-
ITA
-
GER
-
AUT
-
EUR
-
NED
-
FRA
-
GBR
-
RSM
-
CZE
-
VDM
-
MAL
5
19 19位 0
1993 日本テレコム・ヤマハ YZR500 AUS
-
MAL
-
JPN
9
SPA
-
AUT
-
GER
-
NED
-
EUR
-
RSM
-
GBR
-
CZE
-
ITA
-
USA
-
FIM
-
7 25位 0
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スーパーバイク世界選手権

さらに見る 年, マシン ...
マシン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 順位 ポイント
R1 R2 R1 R2 R1 R2 R1 R2 R1 R2 R1 R2 R1 R2 R1 R2 R1 R2 R1 R2 R1 R2 R1 R2 R1 R2
1991年 ヤマハ・FZR750R GB1
GB2
ES1
ES2
CA1
CA2
US1
US2
AT1
AT2
SM1
SM2
SE1
SE2
JP1
5
JP2
3
MY1
MY2
DE1
DE2
FR1
FR2
IT1
IT2
AU1
1
AU2
2
14位 63
1992年 ヤマハ・FZR750R ES1
-
ES2
-
GB1
-
GB2
-
DE1
-
DE2
-
BE1
-
BE2
-
ES1
-
ES2
-
AT1
-
AT2
-
IT1
-
IT2
-
MY1
-
MY2
-
JP1
2
JP2
2
NL1
-
NL2
-
IT1
-
IT2
-
AU1
1
AU2
2
NZ1
-
NZ2
-
12位 71
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鈴鹿8時間耐久ロードレース[7]

さらに見る 開催年, マシン ...
開催年 マシン チーム ペアライダー 総合順位
1985年 モリワキ・ZERO-X7 モリワキレーシング ロブ・フィリス英語版 9位
1986年 ヤマハ・FZ750 マールボロ・ヤマハ・ディーラーチーム マイケル・ドーソン (レーサー)オランダ語版 2位
1987年 ヤマハ・YZF750 資生堂TECH21 R.T マーチン・ウィマー 1位
1988年 ヤマハ・YZF750 チーム・ラッキーストライク・ロバーツ ウェイン・レイニー 1位
1989年 ヤマハ・YZF750 ウェイン・レイニー リタイヤ
1991年 ヤマハ・YZF750 ネスカフェRT ヤマハ ダグ・チャンドラー 2位
1992年 ヤマハ・YZF750 ネスカフェCAN RT ヤマハ ニール・マッケンジー 2位
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脚注

外部リンク

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