ダリル・オーヤン

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国籍 中華人民共和国の旗 中国 (香港の旗 香港)
生年月日 (1980-03-26) 1980年3月26日(45歳)
デビュー 2014
ダリル・オーヤン
ダリル・オーヤン(2010年10月)
基本情報
国籍 中華人民共和国の旗 中国 (香港の旗 香港)
生年月日 (1980-03-26) 1980年3月26日(45歳)
出身地 カナダの旗 カナダ
ブリティッシュコロンビア州バンクーバー
FIA 世界耐久選手権での経歴
デビュー 2014
所属 アストンマーティン・レーシング
車番 55
出走回数 6
優勝回数 0
ポールポジション 0
ファステストラップ 0
シリーズ最高順位 13位 (LMGTE Pro) (2014)
過去参加シリーズ
2015
2015
2014

2013
2010
20112013
201013
2009
2008

2008–2009
2007
2004–2011
2002–2003
2001
2001
FIA GTワールドカップ
GTアジアシリーズ
FIA 世界耐久選手権
ドバイ24時間レース
DTM
バサースト12時間レース
WTCC
FIA GT選手権
マレーシア・ムデルカ耐久レース
マカオGTカップ
ポルシェ・スーパーカップ
ポルシェ・カレラカップ・アジア
USA ・フォーミュラ・ルノー・1600・プロ
チャイナ・フォーミュラ・フォード2000
カナダ・フォーミュラ・フォード1600
選手権タイトル
2023
2015
2011, 2012
2006, 2008
グレーター・ベイエリアGTカップ(GT3)
GTアジアシリーズ
バサースト12時間レース
ポルシェ・カレラカップ・アジア
ル・マン24時間での経歴
2009, 2013 -
チームエンデュランス・アジア・チーム, INTERUSH
最高位2位 (2013)
クラス優勝0

ダリル・ヘイデン・オーヤン(Darryl Hayden O'Young, 繁体字: 歐陽若曦; 拼音: Ōuyáng Ruòxī; 粤拼: Ngau1joeng4 Joek6hei1; 1980年3月26日 - )は、香港の元レーシングドライバー。カナダバンクーバー出身。

キャリア初期

8歳でレースを始め、1988年にカナダ、アメリカカート選手権でチャンピオンを獲得。

フォーミュラ・フォード1600と2000を経て、Fran-Am Pro1600と2000へ進んだ。

スポーツカー

香港のポルシェ・ディーラーチームのジェブセン&コーからポルシェ・インフィニオン・カレラカップ・アジアに出場し、2005年にマカオグランプリを制覇した。

2004年から2021年までマカオグランプリに出場し、ポルシェ・カレラカップ・アジア、マカオGTカップ、世界ツーリングカー選手権、FIA GTワールドカップなど様々なカテゴリーで活躍し、総合優勝4回、世界ツーリングカー選手権インディペンデントクラスで2度のクラス優勝を飾っている。

マシュー・マーシュ英語版とともにドライブしたポルシェ・996 GT3 RSR珠海国際サーキットにて)

2005年、香港ル・マン・チームからル・マン耐久シリーズに出場。同年FIA GT選手権第9戦(珠海)に同チームから参戦し、GT2クラス4位でフィニッシュした。

2006年、レナウアー・モータースポーツに移籍し、スパ・フランコルシャン24時間レースに出場し、2009年にプロスピード・コンペティションより出場し、GT2クラスで5位を記録。

2006年10月22日、珠海で開催されたポルシェ・カレラカップ・アジア最終戦で2連勝を飾り、初のドライバーズチャンピオンシップのタイトルを獲得。

2007年、シュナーブル・エンジニアリング - LKM - チーム・ジェブセンからポルシェ・モービル1・スーパーカップ英語版に参戦し、ヨーロッパシリーズに参戦した初の香港人ドライバーとなった[1]

2008年、ポルシェ・スーパーカップとポルシェ・カレラカップ・アジアに参戦し、後者では最終戦(バーレーン)でシリーズチャンピオンを獲得し、優勝4回・196ポイントを記録した[2]。同年にセパン・インターナショナル・サーキットで開催されたムデルカ・ミレニアム耐久レース英語版でポルシェ・クラブ・シンガポールから出場し、308周走破し総合優勝を飾った[3]。また、マカオGTカップにも出場し、ダニー・ワッツ英語版に2秒以上の差をつけて優勝し、3度目のポルシェでのマカオ制覇となった[4]

2009年、プロスピード・コンペティションからFIA GT選手権にフル参戦し、FIA GT選手権にフル参戦した初の中国人ドライバーとなった[5]

同年、チーム・ジェブセンからポルシェ・カレラ・カップ・アジアに出場し、総合3位を記録。

また、エンデュランス・アジア・チームからル・マン24時間レースに初出場を果たした(結果は186周リタイア)。

2009年末にデイトナ・インターナショナル・スピードウェイで開催されたARCAストックカーテストにスタービースト・モータースポーツから参加した。

2010年、ブレット・レーシングからデイトナ24時間レースに参戦し、総合20位、GTクラス13位で終えた。

2011年2月6日、マウント・パノラマ・サーキットで開催されたバサースト12時間レース英語版アウディスポーツ・チーム・ヨーストから参戦し、総合優勝を飾った。

2012年2月26日、フェニックス・レーシング英語版からバサースト12時間レースに参戦し、2度目の総合優勝を飾った。

2013年AFコルセからル・マン24時間レースに出場し、Pro-Amクラスで2位表彰台を獲得[6]。レース後「香港をル・マンの表彰台に乗せることができてとても誇りに思います」と述べた[7]

2014年アストンマーティン・レーシングからFIA 世界耐久選手権LMGTE Proクラスに参戦し[8]、第5戦(富士)で3位表彰台を獲得した[9]。チームは2014年のル・マン24時間レースにも出場したが、フェルナンド・リース英語版が練習走行中での事故によりレースから撤退した[10]。同年にマカオGTカップに出場し[11]、総合9位で終えた。

2015年、クラフト・バンブー・レーシングからGTアジアシリーズ英語版に参戦し、4勝を挙げ、シリーズチャンピオンを獲得[12]。また、FIA GTワールドカップ英語版に出場し、総合5位で終えた[13]

2025年10月15日、11月16日に開催されるグレーター・ベイエリア・GTカップを最後にレーシングドライバーから引退を発表し、今後はチーム運営に集中するいう[14]

世界ツーリングカー選手権

バンブー・エンジニアリング (2010–2011)

シボレー・ラセッティ(2010年、ギア・サーキットにて)

2010年バンブー・エンジニアリングから世界ツーリングカー選手権に参戦し、第5戦(ポルトガル)でインディペンデントクラスで初優勝を飾り、総合10位でフィニッシュし初の世界選手権ポイントを獲得した。最終戦(マカオ)でインディペンデントクラスでタイトル獲得の可能性があったが、レース1でトム・コロネルに追突され、リタイアに終わった。

2011年もバンブー・エンジニアリングに残留。第10戦(日本)のレース2でポールポジションからスタートしたが、後方からガブリエル・タルキーニに追突され、リタイアに終わった[15]

スペシャル・チューニング・レーシング/バンブー・エンジニアリング (2012)

2012年スペシャル・チューニング・レーシング英語版に移籍し、セアト・レオンWTCCをドライブしたが[16]、開幕戦(イタリア)の朝のウォームアップ走行中に火災が発生したため、欠場を余儀なくされた[17]。第6戦(オーストリア)のレース1でチャールズ・イング英語版と接触し、医療センターで治療を受けなければならず、レース2を欠場した。第9戦(アメリカ)のレース1のスタートで玉突き事故に巻き込まれたが、走行を続け、最終的に14位でフィニッシュした。第10戦(日本)の直前にスペシャル・チューニング・レーシングから離脱し、バンブー・エンジニアリングに復帰[18]。第11戦(中国)で別の玉突き事故に巻き込まれたが、走行を続行したが、6周目でリタイアした。最終戦(マカオ)のフリー走行中にクラッシュし、終了直前にセッションを中止した[19]。予選でインディペンデントクラスのポールポジションを獲得し、2レースともクラス優勝を飾った。

ROALモータースポーツ (2013)

ROALモータースポーツ英語版 BMW 320TCを駆るオーヤン(2013年鈴鹿サーキットにて)

2013年ROALモータースポーツ英語版に移籍[20]。開幕戦(イタリア)で予選10番手で通過し、レース2ではリバースポールを獲得したが[21]、2レースとも無得点に終わり、レース2の12位が最高位だった。

インターコンチネンタル・ル・マン・カップ

2010年、プロスピード・コンペティションからインターコンチネンタル・ル・マン・カップ最終戦(珠海1000km)に出場したが、119周目でマシンがストップ・リタイアに終わった。

ドイツツーリングカー選手権

2010年、フェニックス・レーシングから解雇されたアレクサンドル・プレマに代わって、ドイツツーリングカー選手権最終戦(上海英語版)にスポット参戦した。

マネジメント

現在、GB3選手権に参戦するビアンカ・ブスタマンテのマネージャーを務めている。

レース戦績

脚注

外部リンク

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