クラフト・バンブー・レーシング
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| 国籍 |
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| 本拠地 | 香港 |
| チーム代表 | フランク・ユー |
| 関係者 |
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| 活動期間 | 2009年 - 現在 |
| カテゴリ | |
| チームズ タイトル | |
| ドライバーズ タイトル | |
| 公式サイト | Craft-Bamboo Racing |
| 2026年のGTワールドチャレンジ・アジア | |
| エントリー名 | Craft-Bamboo Racing |
| レーサー |
77. |
| マシン | メルセデスAMG GT3 EVO |
| タイヤ | ピレリ |
| 2026年のスーパー耐久(ST-X) | |
| エントリー名 | Craft-Bamboo Racing |
| レーサー |
33. |
| マシン | Craft-Bamboo Racing Mercedes-AMG GT3 |
| タイヤ | ブリヂストン |
クラフト・バンブー・レーシング(Craft-Bamboo Racing)は、中華人民共和国香港を拠点に置くレーシングチームである。
2009年にレーシングドライバーのフランク・ユーがクラフト・レーシング、同年7月にテンパス・スポーツのチームディレクターだったリチャード・コールマンがバンブー・エンジニアリングを設立し、前者はアジア選手権で5年間トップチームとして君臨し、後者は2013年の世界ツーリングカー選手権でジェームズ・ナッシュがドライバーズランキング3位を獲得し、GP3にも参戦していた。
2014年に2チームが合併し、現在のチーム名へと変更された[1]。
2017年にコールマンがチームから外され、2020年に訴訟を起こされた[2]。
レース活動
イギリスツーリングカー選手権
2009年シーズン途中、テンパスからハリー・ボルクハードが加入し[3]、トップ10フィニッシュを3回記録し、総合16位で終えた。
ヨーロッパ・ツーリングカーカップ
2010年の世界ツーリングカー選手権に参戦する前に、ポルトガル・ブラガにあるバスコ・サメイロ・サーキットで開催されたヨーロッパ・ツーリングカーカップに出場。ドライバーはボルクハードとドゥアルテ・フェリックス・ダ・コスタ。予選ではコスタが3番手、ボルクハードが4番手を付け、レース1ではコスタが8位、ボルクハードが5位で終えると、レース2ではボルクハードが優勝を狙える位置でレースをリードしたが、スピンアウトして6位、コスタがリードを引き継ぎ、優勝も確実だったが、スピンアウトを喫し、最終的に7位でフィニッシュした。
世界ツーリングカー選手権
シボレー・ラセッティ(2010年-2011年)

2010年に世界ツーリングカー選手権に参戦。ドライバーはボルクハードとダリル・オーヤンを起用[4]。第3戦(モンツァ)でボルクハードがインディペンデントクラス[5]、第5戦(ポルティマオ)でオーヤンが優勝を飾ると[6]、その後第7戦(ブルノ)のレース1で8位に入り、レース2でのリバースポールを獲得したが、その後30秒のタイムペナルティが加算され、17位に降順したものの、レース2ではポールトゥウィンを達成した[7]。第7戦終了後にボルクハードは資金難でチームを離れ[8]、代わりに谷口行規を第8戦(オッシャースレーベン)より起用し、第10戦(鈴鹿)のレース1で優勝を飾った。続くレース2ではオーヤンが勝利を飾り[9]、最終戦(マカオ)ではセルジオ・エルナンデスとのタイトル争いを繰り広げたが、レース1でトム・コロネルと接触しリタイアに終わり、最終的にシリーズ4位に終わったものの、チーム自体はヨコハマ・チームズ・トロフィーで2位を獲得した[10]。
2011年もオーヤンと谷口という布陣で参戦し、開幕戦(クリチバ)までシボレー・ラセッティを使用した[11]。
シボレー・クルーズ(2011年-2013年)
2011年シーズン第2戦(スパ・フランコルシャン)よりラセッティに代わってシボレー・クルーズに切り替え[12]、レース2でオーヤンがヨコハマ・ドライバーズ・トロフィーで優勝を飾った。チームにとってシーズン唯一の優勝となり、チームはヨコハマ・チームズ・トロフィー5位に終わった。

2012年、チームはRMLグループと契約し、シボレーのファクトリー車両を提供することとなった[13]。ドライバーはアレックス・マクドウォールとパスクアル・ディ・サバティーノを起用[14]。第8戦(クリチバ)でサバティーノが気管支炎を患い出場が不可能となったため、ミシェル・ニキャールが代役出場し[15]、インディペンデントクラスのポールポジションを獲得すると、レース1では5位フィニッシュし、インディペンデントクラスで優勝を飾った。第9戦(ソノマ)ではロブ・ホランドと契約し[16]、第10戦(鈴鹿)よりオーヤンがチームに復帰した[17]。マクドウォールは予選4番手からスタートしてレース1を5位で終え、インディペンデントクラスで勝利した。第11戦(上海)のレース1では両ドライバーが1周目の玉突き事故に巻き込まれ、最終的にレース中の事故によりリタイアした[18]。最終戦(マカオ)の木曜のテスト走行でオーヤンがマンダリン・オリエンタル・コーナーのバリアに正面衝突するアクシデントに見舞われたが[19]、予選でインディペンデントクラスのポールポジションを獲得し、そのまま逃げ切り優勝を飾ると[20]、レース2でポールポジションからスタートしたマクドウォールは、スタートでノルベルト・ミケリスに追い抜かれ、4周目にイヴァン・ミュラーと接触しリタイアに終わったが、オーヤンはレース1に次いで優勝しシーズンを締めくくった[21]。

2013年、チーム・エイオンからジェームズ・ナッシュが加入[22]。マクドウォールはチームに残留[23]。開幕戦(モンツァ)のレース1でマクドウォールが3位表彰台を獲得すると、ナッシュがインディペンデント・ドライバーズ・トロフィーをリードし、チームはRMLグループに次ぐ2位を付けた。第2戦(マラケシュ)のレース1でナッシュが3位表彰台に登ると[24]、レース2でインディペンデントクラスで優勝を飾った。第3戦(スロバキア)ではナッシュがレース1、マクドウォールがレース2とインディペンデントクラスで優勝を分け合った。第5戦(ザルツブルクリンク)のレース2の最終周でナッシュがミュラーの猛追を逃げ切り、チームとして初のWTCC総合優勝を飾った[25]。第7戦(ポルト)のレース2でナッシュが2勝目を挙げ、その後マクドウォールは第9戦(ソノマ)と第10戦(鈴鹿)、ナッシュは第11戦(上海)で勝利を飾った。最終戦(マカオ)のレース1ではマクドウォール、ナッシュという隊列でワン・ツー・フィニッシュを飾ると、レース2ではナッシュが4位に入り、シリーズ3位を確定させた。ナッシュとマクドウォールは、シーズンを通してインディペンデントクラスのレースで計12勝と成績を残した。
シボレー・クルーズ TC1(2015年)
2014年にFIA 世界耐久選手権に参戦して休業した後、2015年にシリーズに復帰し、RML・シボレーとの関係を継続し、新たにシボレー・クルーズ TC1を投入し、ドライバーはグレゴワール・ドゥムスティエを起用。開幕戦(テルマス・デ・リオ・オンド)のレース2で10位入賞し、幸先の良いスタートを切ると、第3戦(ハンガロリンク)のレース2でも10位に入った。第5戦(スロバキア)でマシンを大幅なアップグレードを行い、第6戦(ポール・リカール・サーキット)での2回のフリー走行でトップ6を走行した後、リバースグリッドのポールポジションをわずか0.015秒差で逃すと、第10戦(上海)でも同様の競争力を発揮し、フリー走行で上位を走行するも、またもやQ2進出を逃す結果となった。
GP3シリーズ
2013年、Atech CRS GPに代わってGP3シリーズに参戦[26]。エストリル・サーキットでのテストを行った後、ベネズエラ人ドライバーのロベルト・ラ・ロッカを起用したが[27]、ウゴ・チャベス大統領の死去に伴い国の政治情勢の変化により、チームを離れることを余儀なくされ、代わりにカルメン・ホルダを起用[28]。他にイギリス人ドライバーのメルビリー・マッキー[29]とルイス・ウィリアムソンと契約[30]。第4戦(ニュルブルクリンク)のレース2でマッキーがチーム初優勝をもたらすが、シーズン末にロシアンタイムに売却された。
FIA 世界耐久選手権
2014年、チームはプロドライブが運営するアストンマーティン・レーシングと技術提携を締結し、アストンマーティン・ヴァンテージ GTE(カーナンバーは99)を使用。ドライバーはアレックス・マクドウォール、ダリル・オーヤン、フェルナンド・リースを起用[31]。シーズンを通して着実な進歩を遂げ、第2戦(スパ6時間レース)と第4戦(ローンスター・ル・マン)ではクラスリーダーを争った。第3戦(ル・マン24時間レース)での夜間セッション中にリースがクラッシュを喫し、マシンの損傷が激しく修復不能となったため、レース前に撤退を余儀なくされた[32][33]。第5戦(富士6時間レース)ではポールポジションを獲得し、決勝ではAFコルセのフェラーリ2台に次ぐ3位でゴールした。第6戦(上海6時間レース)と最終戦(サンパウロ6時間レース)での好調なパフォーマンスは、99号車の進歩を示し、上海で4位、サンパウロで5位と成績を収め、シーズンを締めくくった。
TCRインターナショナル・シリーズ
セアト・レオン(2015年-2017年)
2015年、チームはルクオイルと提携してTC3仕様のセアト・レオンを使用し、TCRインターナショナル・シリーズに参戦。ドライバーはペペ・オリオラ、ジョルディ・ジェネ、セルゲイ・アファナーシェフの3人を起用し、フランク・ユーは3戦のみ起用された。開幕戦(セパン)のレース1ではオリオラとアファナーシェフがそれぞれ予選7番手と8番手からスタートして2位と3位でフィニッシュし、ダブル表彰台を獲得[34]。レース2ではジェネがポールトゥウィンを決め、オリオラが再び2位表彰台を獲得[35]。ヨーロッパラウンド初戦となる第3戦(バレンシア)のレース1でオリオラがポールトゥウィンを決めると、アファナーシェフが2位、ジェネが3位チェッカーを受け、1-2-3フィニッシュという快挙を成し遂げた。第4戦(ポルトガル)ではジェネが2連続表彰台に登り、レース1で2位、レース2で3位に入った。第7戦(ソチ・オートドローム)ではジェネとオリオラが1-2フィニッシュを決めると、第8戦(レッドブル・リンク)ではオリオラがダブル表彰台、第10戦(タイ)のレース1で優勝、レース2で3位に入ると同時に2度目の1-2-3フィニッシュを決め、ライバルのステファノ・コミニとのポイント差を2に縮め、タイトル争いは最終戦(マカオ)にまでもつれ込んだが、オリオラがラジエータートラブルでリタイアに終わり、最終的にオリオラがシリーズ2位、ジェネがシリーズ3位、アファナーシェフがシリーズ7位だった。
GTアジア
アストンマーティン・ヴァンテージ GT3(2014年-2015年)
2014年初頭、チームはアストンマーティン・レーシングと技術支援でGTアジア・シリーズに参戦し、アストンマーティン・ヴァンテージ GT3を使用。97号車はフランク・ユーがレギュラー参戦し、ウォーレン・ラフ、シュテファン・ミュッケ、リチャード・ライアンとそれぞれのラウンドで組み、99号車はシーズンを通して複数のドライバーによって共有され、ジョナサン・ベンターは6戦まで参戦した。開幕戦(韓国)では堅実な走りでポイントを獲得した後、第2戦(オートポリス)ではポールポジションを獲得したが、決勝では2位に終わった。第4戦(セパン)で初優勝を飾り、ユーは最終戦(マカオ)までタイトルの可能性はあったが、タイトル獲得には至らずランキング7位に終わり、第2戦(オートポリス)のレース2で失格、第3戦(富士)、第5戦(セパン)のレース1でリタイアが響いたものの、チームランキングでは2位を付けた。
2015年も引き続きアストンマーティン・ヴァテージ GT3を使用し、88号車はユーとライアン、99号車はベンターがアストンマーティンからの支援を受けてフルタイム参戦を確保し、ダリル・オーヤンとペアを組んだ。開幕戦(韓国)では88号車がポールポジションを獲得し、決勝3位に入ったが、サマーブレイク期間中にベンターがオーストラリアの自宅で自転車事故に遭った際に足を骨折したため、第4戦(セパン)以降からダニエル・ロイドを起用し、初戦となったセパン12時間レースで優勝を飾ると、続く第5戦(上海)ではダブルウィンを達成し、残り1戦でで99号車がチャンピオンシップ首位に立った[36]。上海ではセーフティカー導入後残り3周で5位だったものの、ロイドが、第1コーナー外側からのオーバーテイクを成功させると、最終周で首位に立ち逆転勝利へと導いた。最終戦(タイ)では予選でトラブルが発生したため、99号車はグリッド後方からのスタートとなったが、ライバルたちが堅実な結果を残し、99号車はライバルであるベントレーのアダリー・フォン/澤圭太とポイントで並んだものの、グリッドでは2番手からスタートし、オーヤンが優勝したため、ドライバーズタイトルを獲得した。
ポルシェ・991 GT3 R(2016年)
チームは2016年初頭、ポルシェ・モータースポーツと提携することを発表した。チームは、アジア太平洋地域におけるポルシェ・モータースポーツの公式テクニカルパートナーに任命された[37]。
GTワールドチャレンジ・アジア
ポルシェ・991 GT3 R(2017年-2018年)

ブランパンGTシリーズアジアの初シーズンに、クラフトバンブーはポルシェ・911 GT3 R2台とケイマン GT4クラブスポーツMR1台をエントリー。フランク・ユーとジャン=マルク・マーリンがGT4を、ダリル・オーヤンとピーター・リーが911 GT3 Rをドライブ。チームはGT4クラスのチャンピオンを獲得し、GT3では4位で終えた[38]。2018年もポルシェ・911 GT3 R2台とケイマン GT4クラブスポーツMR1台をエントリーした。
メルセデスAMG・GT3(2019年-)
2018年末、チームは新たな長期パートナーシップの一環としてメルセデスAMGとの契約を発表した。この契約により、インターコンチネンタルGTチャレンジの1部ラウンドとFIA GTワールドカップにも参戦し、少なくとも2台のメルセデスAMG・GT3と1台のメルセデスAMG・GT4がGTワールドチャレンジ・アジアに参戦し、2019年にGT3チームズチャンピオンシップで5位、GT4で3位を獲得。
FIA GTワールドカップ
2015年
2015年末、FIA GTワールドカップに参戦し、ダリル・オーヤン、リチャード・ライアン、シュテファン・ミュッケの3名を起用。予選ではミュッケがポール、オーヤンが6番手、ライアンが7番手からスタートし、予選レースでミュッケがトップチェッカーを受けたが、アダリー・フォンによって引き起こされたセーフティカー下での違反により、10秒のタイムペナルティが加算され、最終的に3位降順となった。決勝では2009年・2010年マカオグランプリ覇者のエドアルド・モルタラ、レネ・ラスト、レンガー・ヴァン・デル・ザンデとトップ争いを繰り広げ、最終的に3位でフィニッシュ。オーヤンは5位、ライアンはオープニングラップでクラッシュに終わった。
2016年
オーヤンは、FP2でのアクシデントによりクルーが車両の修復を余儀なくされたため、予選セッションに出場できず、最後尾からスタートした。オーヤンは好調なローリングスタートを生かし、1周目に数台をパスし、2周目から5周目はセーフティカーが入り、最終周でモルタラが完璧な12周のスティントを走った後に不注意で接触され、不必要な操作により、オーヤンはレースから退場を余儀なくされ、ピットクルーが表面的な損傷にしか見えなかった損傷を調べたところ、シャシー後部が曲がっており、修復不可能であることが判明した。
2017年
ローレンス・ヴァントールは9番手スタートから3つ順位を上げ、ラファエル・マルチェッロの後ろに並んだが、マルチェッロはすぐに急ブレーキをかけ、右に飛び出し、停止していたダニエル・ジュンカデラを間一髪で避けたものの、ヴァントールはクラッシュしたマシンを避ける術がなく、そのまま後ろに突っ込み、蛇腹状のクラッシュを引き起こすとともに多くのドライバーが激しく追突し、近年で最大規模のGTマシンの玉突き事故の一つとなった。レースは即座に赤旗が提示され、マシンは撤去されたが、ヴァントールが駆る911号車はマシンの損傷が激しく、そのままリタイアに終わった。オーヤンは16番手スタートで、玉突き事故は避けられなかったものの、991号車はラジエーターの損傷だけで済み、ピットに戻ってセーフティカー導入後のレース再開に間に合うように迅速に修復し、オーヤンは5番手から再スタートを切り、ペースに乗れずポジションを落としたものの、その後リズムを取り戻し、長年のマカオでの経験を活かし、予選レース6位でフィニッシュした。
雨天レースのためセーフティカーが先導する中、決勝では6番手からスタートしたが、3周目からはグリーンフラッグが提示され、レースを再開。オーヤンは後方からの追い上げからうまくポジションを守り、6周目にセーフティカーが導入されるまでライバル勢を抑え込んだ。10周目にレースが再開されると、オーヤンはジュンカデラの追い上げを受けたが、リスボアまでしっかりとラインをキープし抑え込んだが、ニコ・ミュラーが駆るアウディがオーヤンの背後に迫り、追突・スピンさせバリアに追突させた。これを受けて再度セーフティカーが導入し、オーヤンはポルシェをピットに戻すことができたが、修復不可能なほどの損傷で、リタイアを余儀なくされた。
2018年
2018年、マシュー・ジャミネとオーヤンの布陣でFIA GTワールドカップに参戦。
2019年

2019年、チームは77号車をエドアルド・モルタラ、88号車をアレッシオ・ピカリエッロの布陣で参戦。モルタラは予選レースで後方からの追突を受け、マシンに大きな損傷を受けたが、決勝では14番手から猛追し、最終的に6位でフィニッシュした。ピカリエッロは、この過酷な市街地コースでで並外れた能力を発揮し、セッションごとに向上し、決勝では6位まで順位を上げたが、後方のBMWからのディフェンス中にブレーキを踏み過ぎてウォールに接触し、リタイアを余儀なくされた。
インターコンチネンタルGTチャレンジ
ポルシェ・991 GT3 R(2018年)
ユーロメカニカは、チームとともにバサースト12時間レース参戦する991号車のポルシェ・911 GT3 Rのタイトルスポンサーとなり、ケビン・エストレ、ローレンス・ヴァントール、アール・バンバーの3名からなるポルシェ・ファクトリードライバーが駆り、5位入賞。また、鈴鹿10時間レースにも参戦し、エストレ、マシュー・ジャミネ、ヴァントールの布陣で991号車を駆った。
メルセデスAMG・GT3(2019年-)
2019年から2020年にかけて、チームはブラック・ファルコン・レーシングと提携し、バサースト12時間レースに参戦。2020年にはレース終了20分前にタイヤがパンクし、トップ3フィニッシュのチャンスを逃したが、5位でチェッカーを受けた。チームは2019年の鈴鹿10時間にも参戦し、ドライバーはイェルマー・ビュールマン、マクシミリアン・ゲッツ、ルカ・ストルツが77号車を駆った。
アジアン・ル・マン・シリーズ

2014年、当初2台のCNマシンとLMP2マシンのエントリーを確定していたが、最終的にはCNクラスでリジェ・JS53・ホンダでアジアン・ル・マン・シリーズに参戦。チームは全戦でクラスポール・優勝・ファステストラップを獲得し、ケビン・ツェーがドライバーズタイトルを獲得した。ツェーの他、マティアス・ベシェ、ジョナサン・ベンター、サムソン・チャン、フランク・ユー、横溝直輝も一部のラウンドで参戦した。チームは2015年にはタイトル防衛のために参戦せず、他シリーズに集中することを選択した。
TCRアジア
2015年6月、チームはTCRアジア・シリーズへの参入を発表した[39]。