デヒア

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デヒア
欧字表記 Dehere[1][2]
品種 サラブレッド[2]
性別 [1][2]
毛色 鹿毛[1][2]
生誕 1991年4月13日[1][2]
死没 2014年5月15日(23歳没)[3]
Deputy Minister[1][2]
Sister Dot[1][2]
母の父 Secretariat[1][2]
生国 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国(ケンタッキー州)[1][2]
生産者 Due Process Stables[1]
馬主 Due Process Stables[1]
調教師 Reynaldo Nobles (USA)[1]
競走成績
タイトル エクリプス賞最優秀2歳牡馬(1993年)[1]
生涯成績 9戦6勝[1][2]
獲得賞金 723,712ドル[1]
勝ち鞍
GIホープフルステークス1993年
GIシャンペンステークス1993年
GIIファウンテンオブユースステークス1994年
GIIサラトガスペシャルステークス1993年
GIIIサンフォードステークス1993年
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デヒア (Dehere) [2]とはアメリカ合衆国生産の競走馬種牡馬。主な勝ち鞍に1993年ホープフルステークスシャンペンステークスなど。1993年のエクリプス賞最優秀2歳牡馬に選出された。馬名は当時大学バスケットボールのスター選手であったテリー・デヒアー英語版に由来する[4]

  • 特記事項なき場合、本節の出典はEQIBASE[1]

1993年6月30日、モンマスパーク競馬場でのメイドン競走でデビューし初勝利を挙げると、続くG2競走サラトガスペシャルステークス英語版、G3競走サンフォードステークス英語版を2戦とも後方からの鋭い追い込みで連勝。G1競走初出走となったホープフルステークスでは、一転して逃げの策から2着に2馬身半差を付け、G1初制覇を果たした。次走のフューチュリティステークスは逃げたホーリーブルに半馬身届かぬ2着に終わるも、続くシャンペンステークスは4馬身差で勝利してG1競走2勝目を挙げた。ブリーダーズカップ・ジュヴェナイルは圧倒的な1番人気見当に支持されたものの、レースでは5番手から伸びずブロッコの8着[5]。この敗戦がありながらも、この年のエクリプス賞選考ではブロッコを退けて最優秀2歳牡馬に選ばれた。

3歳を迎えた1994年、2月ガルフストリームパーク競馬場のアローワンス競走で復帰して2着とすると、次走のG2競走ファウンテンオブユースステークス英語版では後のケンタッキーダービーゴーフォージンを下して重賞5勝目を挙げる。しかし、次戦に予定していたフロリダダービーへの調教中に右後脚管骨を骨折し[4]、そのまま競走馬引退となった。3戦目サンフォードステークスから4戦騎乗したクリス・マッキャロンは、「自分が乗ったなかで最もスピードのある2歳馬だった」と語っている[4]

競走成績

以下の内容は、EQIBASE[1]の情報および記載法に基づく。

出走日競馬場競走名距離頭数枠番
(PP)
馬番
(Pgm)
着順騎手斤量(lb./kg換算)タイム着差/タイム差勝ち馬/(2着)馬
1993.6.30 モンマスパーク メイドン ダ5f 12 1 1 1着 J. ブラヴォ 118/53.5 0:59.10 4馬身 (Justinthefastlane)
7.29 サラトガ サラトガスペシャルS G2 ダ6f 9 1 1 1着 E. メイプル 117/53 1:09.92 クビ (Slew Gin Fizz)
8.13 サラトガ サンフォードS G3 ダ6f 6 2 2 1着 C. マッキャロン 122/55.5 1:10.48 5馬身 (Prenup)
8.29 サラトガ ホープフルS G1 ダ6.5f 7 3 3 1着 C. マッキャロン 122/55.5 1:15.97 2馬身1/2 (Slew Gin Fizz)
9.18 ベルモントパーク フューチュリティS G1 ダ7f 6 4 5 2着 C. マッキャロン 122/55.5 (1/2馬身) Holy Bull
10.16 ベルモントパーク シャンペンS G1 ダ8f 6 2 2 1着 C. マッキャロン 122/55.5 1:35.91 4馬身 (Crary)
11.6 サンタアニタ ブリーダーズカップ・ジュヴェナイル G1 ダ8.5f 11 7 7 8着 C. マッキャロン 122/55.5 (12馬身1/2) Brocco
1994.2.5 ガルフストリームパーク アローワンス ダ8.5f 4 1 1 2着 M. スミス 115/52 3/4馬身 Ride the Rails
2.19 ガルフストリームパーク ファウンテンオブユースS G2 ダ8.5f 6 6 2x 1着 C. ペレ 119/54 1:44.70 3/4馬身 Go for Gin

引退後

競走馬引退後はクールモア・グループに種牡馬として購買され、ケンタッキー州のアッシュフォードスタッドを拠点に供用された[4]。初年度よりシャトル種牡馬としてオーストラリアでも種付けを行い、同地での2年目の産駒からゴールデンスリッパーステークスなどの優勝馬ベルドゥジュール、G1競走3勝のディファイアーらを輩出した。アメリカで新種牡馬ランキング2位となったのち、2000年に日本軽種馬協会によって購買され、供用拠点を日本へ移した[4]。日本への輸出後、まずオーストラリアで1999年/2000年度のオーストラリアの2歳チャンピオンサイアーとなり、アメリカでも2002年のチャンピオンサイアーとなった[6]。日本国内およびオーストラリア向けのシャトル種牡馬として繋養されたのち、2005年にクールモアによって買い戻されてアシュフォードスタッドに戻る[4][6]。さらに2010年にトルコへ輸出され[4]、トルコ国内において28頭の産駒から10頭の勝ち上がり馬を出していた[3]2014年5月15日、トルコのイズミトペンションスタッド心臓発作を起こして息を引き取った[3]

主な産駒

※日本調教馬(カナ表記)を除いてはG1競走優勝馬のみ記載。

主なブルードメアサイアー産駒

血統表

脚注

参考文献

外部リンク

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