ナシールッディーン・シャー
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| ナシールッディーン・シャー Naseeruddin Shah | |||||||||||||||
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ナシールッディーン・シャー(2012年) | |||||||||||||||
| 生年月日 | 1950年7月20日(75歳) | ||||||||||||||
| 出生地 |
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| 職業 | 俳優 | ||||||||||||||
| ジャンル | ヒンディー語映画 | ||||||||||||||
| 配偶者 |
マナラ・シークリー(離婚) ラトナー・パータク・シャー(1982年-) | ||||||||||||||
| 著名な家族 |
ザミールッディーン・シャー(兄) ヒーバ・シャー(娘) イマード・シャー(息子) ヴィヴァーン・シャー(息子) | ||||||||||||||
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ナシールッディーン・シャー(Naseeruddin Shah、1950年7月20日 - )は、インドの俳優。パラレル映画や国際市場で活動しており[1][2]、世界映画で最も優秀な俳優の一人とされている。これまでに国家映画賞 主演男優賞、フィルムフェア賞 主演男優賞、ヴェネツィア国際映画祭 男優賞を受賞しており、映画界への貢献を認められパドマ・シュリー勲章、パドマ・ブーシャン勲章を授与されている[3]。
1950年7月20日、ウッタル・プラデーシュ州バラバンキのナワーブの家に生まれた[4]。彼の高祖父は第一次アングロ・アフガン戦争やインド大反乱で活躍してサルダナーのナワーブの称号を得たヤン=フィシャーン・カーンであり、一族にはイクバル・アリー・シャー、アミナ・シャー、オマール・アリー=シャー、イドリース・シャーがいる[5]。また、兄のザミールッディーン・シャーはインド陸軍の軍人(最終階級は中将)であり[6]、現役時代にインド陸軍参謀次長(人事・システム担当)やインド軍法会議の構成委員を務め、退役後はアリーガル・ムスリム大学の副学長を務めている[7][8]。
ナシールッディーン・シャーはセント・アンセルム・シニア・セカンダリー・スクール、セント・ジョゼフ・カレッジで教育を受け、1971年にアリーガル・ムスリム大学を卒業した。卒業後はデリーに移り、国立演劇学校で演技を学んでいる。
キャリア
映画
1967年に『Aman』でエキストラ出演し、その後は俳優として『Nishant』『Aakrosh』『Sparsh』『真っ赤なスパイス』『Albert Pinto Ko Gussa Kyoon Aata Hai』『ゴアの恋歌』『Bhavni Bhavai』『Junoon』『Mandi』『Mohan Joshi Hazir Ho!』『Katha』『Jaane Bhi Do Yaaro』に出演した。
1980年に出演した『Hum Paanch』をきっかけにヒンディー語映画の主要俳優として活躍するようになり、1982年には『Dil Aakhir Dil Hai』でラーキー・グルザールと共演した。1983年にはシャーのキャリアにとって重要な作品となる『Masoom』に出演し[9]、同作は母校のセント・ジョゼフ・カレッジで撮影が行われた。1986年に出演した『Karma』でディリープ・クマールと共演し、その後は『Ijaazat』『Jalwa』『Hero Hiralal』に出演した。1988年に出演したH・R・F・キーティング原作の『ボンベイ大走査線』ではコーデ警部役を演じ、妻のラトナー・パータク・シャーと共演した。また、『Maalamaal』『Game』ではアディティヤ・パンチョリと共演している。
『Ghulami』『Tridev』『Vishwatma』などのマルチスター映画にも出演し、1994年には100本目の出演作となる『Mohra』で悪役を演じ、フィルムフェア賞 悪役賞にノミネートされた。また、同年にはT・V・チャンドランの『Ponthan Mada』でマラヤーラム語映画デビューし、マンムーティが演じる農奴と不合理な友情を育む地主役を演じた。1999年に出演した『Sarfarosh』ではアーミル・カーンと共演し[10]、2000年にはナトラム・ゴドセの視点からガンディー暗殺事件を描いた『ヘー・ラーム』でカマル・ハーサンと共演し、マハトマ・ガンディー役を演じた[11]。
国際市場にも進出し、2001年にミーラー・ナーイルの『モンスーン・ウェディング』に出演し、2003年にショーン・コネリーと共演した『リーグ・オブ・レジェンド/時空を超えた戦い』ではネモ船長役を演じた。同年には『マクベス』を翻案した『Maqbool』に出演し、2004年には『Asambhav』でアルジュン・ラームパール、プリヤンカー・チョープラーと共演した。2005年に『Iqbal』『The Great New Wonderful』に出演し、アカデミー国際長編映画賞インド代表作品に選出された『Paheli』では妻のラトナー・パータク・シャーと共にナレーションを務めた[12]。2006年に『Yun Hota Toh Kya Hota』で監督デビューし、コーンコナー・セーン・シャルマー、パレーシュ・ラーワル、イルファーン・カーン、アーイシャー・ターキヤー、イマード・シャー、ラヴィ・バシュワーニーが出演している[13]。2007年に出演したショエーブ・マンスールの『神に誓って』でパキスタン映画デビューした。2008年に出演した『A Wednesday!』ではフィルムフェア賞 主演男優賞にノミネートされた。その後、2009年に『Today's Special』、2011年に『ダーティー・ピクチャー』に出演し、2013年にはアカデミー国際長編映画賞パキスタン代表作品に選出された『Zinda Bhaag』に出演した。2016年に『The Blueberry Hunt』『Waiting』に出演している。2017年には『The Hungry』に出演し、同作は第42回トロント国際映画祭で特別招待作品として上映された[14]。また、ヴィーナー・バクシーの『The Coffin Maker』にも出演したが、同作は劇場公開されず個人観賞用として保管されている[15]。
映画以外の活動

1977年にトム・アルター、ベンジャミン・ギラニと共同で劇団「モトニー・プロダクション」を立ち上げた。最初の舞台作はサミュエル・ベケットの『ゴドーを待ちながら』で、1979年7月29日にプリトヴィ劇場で上演された[16]。1988年にはガーリブの半生を描いたテレビシリーズ『Mirza Ghalib』でガーリブ役を演じ[17]、1989年にはジャワハルラール・ネルーの著作『インドの発見』を原作とした『Bharat Ek Khoj』ではシヴァージー役を演じている[18]。また、1990年代には『Turning Point』の司会者も務めた[19]。また、児童向けオーディオブック『Karadi Tales』のナレーションも務めている[20]。
自伝の執筆に関心を持ち、10年間かけて100ページほどの内容を執筆している。シャーは未完成の自伝を友人の歴史家ラーマチャンドラ・グハーに見せたところ、自伝を完成させて出版社に持ち込むように勧められた[21]。完成した自伝は2014年に『And Then One Day』のタイトルで、ハミシュ・ハミルトン社から出版された[22]。
私生活
ナシールッディーン・シャーは19-20歳の時にスレーカ・シークリーの妹で女優のマナラ・シークリー(芸名:パルヴィーン・ムラード)と結婚したが、彼女が15歳年上で離婚歴があり子供もいたことから両親は結婚に反対した[23]。2人の間には娘ヒーバが生まれたものの、間もなく結婚生活は破綻して別居生活が始まった[23]。1970年代にディナ・パータクの娘ラトナー・パータクと出会い恋愛関係に発展し、後に『真っ赤なスパイス』『ボンベイ大走査線』などで共演した[24]。この間に2人は同棲しており、シャーはマナラと離婚するためにマフルの準備を進めていた。1982年に2人は結婚し[25]、同じ年にマナラが死去している[23]。ラトナーとの間には2人の息子(イマード・シャー、ヴィヴァーン・シャー)が生まれ、シャー夫妻はヒーバを含めた子供たちと共にムンバイで暮らしている[26]。ヒーバ、イマード、ヴィヴァーンは共に俳優としてヒンディー語映画で活動している[23]。
フィルモグラフィー

- ミュージカル女優(1977年)
- 踊り子(1981年)
- 渡河(1984年)
- ゴアの恋歌(1985年)
- 青春の終着点(1987年)
- 真っ赤なスパイス(1987年)
- ボンベイ大走査線(1988年)
- ヘー・ラーム(2000年)
- モンスーン・ウェディング(2001年)
- リーグ・オブ・レジェンド/時空を超えた戦い(2003年)
- クリッシュ 仮面のヒーロー(2006年)
- 神に誓って(2007年)
- イエローブーツの娘(2011年)
- 人生は二度とない(2011年)
- ダーティー・ピクチャー(2011年)
- クリッシュ(2013年)
- ファニーを探して(2014年)