パット・ドブソン
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1980年 | |
| 基本情報 | |
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| 国籍 |
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| 出身地 | ニューヨーク州バッファロー |
| 生年月日 | 1942年2月12日 |
| 没年月日 | 2006年11月22日(64歳没) |
| 身長 体重 |
6' 3" =約190.5 cm 190 lb =約86.2 kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投右打 |
| ポジション | 投手 |
| プロ入り | 1959年 アマチュアFA |
| 初出場 | 1967年5月31日 |
| 最終出場 | 1977年9月19日 |
| 経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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選手歴 | |
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コーチ歴 | |
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この表について
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パトリック・エドワード・ドブソン・ジュニア(Patrick "Pat" Edward Dobson, Jr. , 1942年2月12日 - 2006年11月22日)は、アメリカ合衆国ニューヨーク州バッファロー出身のプロ野球選手(投手)。右投げ右打ち。
1959年シーズン前にMLBのデトロイト・タイガースと契約を結び、入団した。
マイナーリーグで7シーズン過ごした後、1967年5月31日の対クリーブランド・インディアンス戦でMLBデビュー。1968年のワールドシリーズに中継ぎ投手として3試合登板した。
1969年12月4日にタイガースがサンディエゴ・パドレスとの間で2対1のトレードを成立させ、ジョー・ニークロとの交換でパドレスへ移籍した。
1970年は先発投手として定着し、251.0回を投げて14勝15敗を記録。12月1日に今度はパドレスがボルチモア・オリオールズとの間で2対4のトレードを成立させ、オリオールズへ移籍した。
1971年は9試合連続完投勝利も含め、6月8日から7月31日の試合にかけて12連勝を飾った。9月24日の対インディアンス戦で完封勝利を収め、シーズン20勝(8敗)に到達。ジム・パーマー、マイク・クェイヤー、デーブ・マクナリーも20勝に到達し、このシーズンのオリオールズは1920年のシカゴ・ホワイトソックス以来、MLB史上2例目となる20勝カルテットを形成した。ワールドシリーズでは3試合登板。唯一先発した第4戦では、初回にロベルト・クレメンテから三振を奪った後、続くウィリー・スタージェルとアル・オリバーに連続適時二塁打を浴び、5.1回を投げて3失点の内容で敗戦投手になった。また、同年11月2日に日本の富山市の県営富山野球場で行われた日米野球第7戦の対巨人戦では、3与四球を出しながら二塁を踏ませないノーヒットノーランを達成した。
1972年はオールスターゲームに選出された。防御率は前年の2.90から2.65に改善したが、16勝18敗と負け越した。11月30日にオリオールズがアトランタ・ブレーブスとの間で4対2のトレードを成立させ、デーブ・ジョンソンらと共にブレーブスへ移籍した。
1973年は防御率4.99・3勝7敗を記録したのち、6月7日にトレードでニューヨーク・ヤンキースへ移籍した。ドブソンは「最高の守備力を持つチームから最低の守備力のチームへ移ってしまった」とブレーブス守備陣に対しての不満を訴えていた[1]。
1974年に281.0回を投げて防御率3.07・19勝15敗の成績で復活、ヤンキース先発陣の中で最も良い数字だった。
1975年は207.2回を投げて防御率4.07だったが、11勝14敗と負け越した。11月22日にオスカー・ギャンブルとの交換でインディアンスへ移籍した。
1976年は217.1回を投げて防御率3.48・16勝12敗を記録し、7年連続で二桁勝利を達成。
1977年は大きく成績を落とし、1978年4月14日にインディアンスから放出されて現役を引退した[1]。
現役引退後はミルウォーキー・ブルワーズ、パドレス、カンザスシティ・ロイヤルズ、オリオールズで投手コーチを務めた。
1997年からはサンフランシスコ・ジャイアンツのゼネラルマネージャー(GM)特別補佐兼スカウトを務めた。