ドン・ラーセン

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生年月日 (1929-08-07) 1929年8月7日
没年月日 (2020-01-01) 2020年1月1日(90歳没)
ドン・ラーセン
Don Larsen
1954年
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 インディアナ州ミシガンシティ
生年月日 (1929-08-07) 1929年8月7日
没年月日 (2020-01-01) 2020年1月1日(90歳没)
身長
体重
6' 4" =約193 cm
215 lb =約97.5 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1947年
初出場 1953年4月18日
最終出場 1967年7月7日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

ドナルド・ジェームズ・ラーセンDonald James Larsen1929年8月7日 - 2020年1月1日[1])は、 アメリカ合衆国インディアナ州ミシガンシティ出身のプロ野球選手投手)。右投右打。

ニューヨーク・ヤンキース時代、1956年のワールドシリーズ第5戦(対ブルックリン・ドジャース)でワールドシリーズ史上初のパーフェクト・ゲームを達成した(2022年現在ポストシーズン唯一の完全試合であり、ワールドシリーズのノーヒッターとしても唯一)選手[2]

1953年セントルイス・ブラウンズでメジャーデビュー。「夜遊び」が好きで、このためかなかなか好成績はあげられなかった。翌1954年にチームはボルチモアに移転しオリオールズとなったが、この年3勝21敗の成績でア・リーグ最多敗戦を記録。この年のオフ、史上最多の17名が関与したトレードニューヨーク・ヤンキースに移籍(オリオールズ7人対ヤンキース10人)。ただしこれで行状があらたまったわけではなく、移籍初年度の1955年にはスプリング・トレーニング中に早朝5時に車を電信柱にぶつけている。監督のケーシー・ステンゲルは「電報でも出しに行ったんだろう。(時間が)早すぎるというか、遅すぎるというか。」と語っていたという。

1956年には自己最多の11勝(7敗)をあげてチームのリーグ優勝に貢献。その年のワールドシリーズはヤンキースとブルックリン・ドジャース(当時はニューヨーク)の「地下鉄シリーズ」となった。ドジャースの本拠地エベッツ・フィールドで開幕し、ドジャースがまず連勝。ヤンキー・スタジアムに移った第3・4戦はヤンキースが連勝し、迎えた第5戦。先発したラーセンはドジャース打線相手にワールドシリーズ史上初の完全試合を達成した[3]。2023年終了時点で唯一の記録である。シリーズは最終戦までもつれたがヤンキースが勝ち、ラーセンはシリーズMVP及びベーブ・ルース賞に選ばれた。

1957年も10勝をあげるが、二桁勝利はその2シーズンのみ。ヤンキースには1959年まで在籍し、その後は1960年カンザスシティ・アスレチックス(そのときの交換相手の一人にロジャー・マリスがいる)、1961年途中にシカゴ・ホワイトソックス1962年サンフランシスコ・ジャイアンツ1964年途中にヒューストン・コルト45's1965年よりアストロズに名称変更)、1967年シカゴ・カブスに移籍し、1967年限りで現役引退。

1999年7月18日には、ヤンキー・スタジアムで始球式を行っているが、この試合ではデビッド・コーン(ニューヨーク・ヤンキース)がモントリオール・エクスポズを相手に完全試合を達成している[4]

晩年は2018年6月17日にヤンキー・スタジアムで開催されたオールドタイマーズ・デー英語版に登場し、その際には日本のマスコミに大谷翔平ロサンゼルス・エンゼルス)を激励するコメントを残している[5]

2020年1月1日食道がんのため、アイダホ州ヘイデン英語版の緩和ケア施設で死去した[6]90歳没

備考

早稲田実業高等学校時代の王貞治は投手としてプレーしていたが、コントロールに難のあるところがあった。そこで早実の総監督的立場だった久保田高行のアドバイスなどでノーワインドアップ投法にフォームを矯正することになり、王はフォーム固めの参考とするために荒川博(当時=毎日オリオンズ)の家で、ノーワインドアップで投げていたドン・ラーセンの投球フォームの映像を見ていたことを語っている[7]

詳細情報

年度別投手成績





















































W
H
I
P
1953 SLB 38227207122--.368828192.22011164--4963099894.161.38
1954 292812103210--.125892201.22131889--18020106984.371.50
1955 NYY 1913510922--.81841297.08185132441038333.061.36
1956 38206101151--.688759179.21331996071073072653.261.27
1957 27204111040--.714605139.2113128700816068583.741.43
1958 1919530960--.600491114.110045234550043393.071.33
1959 2518310670--.462560124.2122147622697065604.331.59
1960 KCA 22150001100--.09138183.297114210432055505.381.66
1961 81000100--1.0007515.021211011320974.202.13
CWS 253000722--.77831574.16452921532036344.201.25
'61計 334000822--.80039089.18574022664045414.131.40
1962 SF 4900005411--.55638086.18394772586044424.381.51
1963 460000773--.50026162.04683090444023213.051.23
1964 60000010--.0004610.1100610600554.351.55
HOU 3010210481--.333424103.19242041581036262.261.08
'64計 3610210491--.308470113.210242651641041312.451.13
1965 11000000------275.180310100335.062.06
BAL 271000121--.33323454.05342021400022162.671.35
'65計 282000121--.33326159.16142331410025192.881.42
1967 CHC 30000000------184.051200100449.001.75
通算:14年 41217144111819123--.47167081548.0144213072535268493907286503.781.40
  • 各年度の太字はリーグ最高
  • SLA(セントルイス・ブラウンズ)は、1954年にBAL(ボルチモア・オリオールズ)に球団名を変更

表彰

記録

完全試合内容

打順打者1回2回3回4回5回6回7回8回9回
1ギリアム三振二ゴ遊ゴ
2リース三振二飛中飛
3スナイダー右直三振左飛
4ロビンソン遊ゴ右飛投ゴ
5ホッジス三振中飛三飛
6アモロス二飛二ゴ中飛
7フリロ右飛二飛右飛
8キャンパネラ三振二飛二ゴ
9マグリー中飛三振
代打ミッチェル三振

※ゴ:ゴロの略

  • 総投球数:97球

脚注

関連項目

外部リンク

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