アール・ウィルソン

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生年月日 1934年10月2日
没年月日 (2005-04-23) 2005年4月23日(70歳没)
アール・ウィルソン
Earl Wilson
レッドソックス時代(1966年)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 ルイジアナ州ポンチャトゥラ
生年月日 1934年10月2日
没年月日 (2005-04-23) 2005年4月23日(70歳没)
身長
体重
6' 3" =約190.5 cm
216 lb =約98 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1953年
初出場 1959年7月28日
最終出場 1970年9月22日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

ロバート・アール・ウィルソンRobert Earl Wilson, 1934年5月8日 - 2005年4月23日)は、MLBの元選手。ポジションは投手アメリカ合衆国ルイジアナ州ポンチャトゥラ出身。

アール・ローレンス・ウィルソン(Earl Lawrence Wilson)として誕生したが、後に改名した。

ボストン・レッドソックス

1953年ボストン・レッドソックスと契約。1954年はマイナーで145.2イニングを投げ167四球を記録するなど制球に課題があった。1959年7月28日クリーブランド・インディアンス戦で、球団史上初の黒人投手としてメジャーデビュー。23.2イニングで31四球と荒れ球ぶりは変わらなかった。1962年は5月から先発に定着し、6月26日ロサンゼルス・エンゼルス戦でメジャー初完封。最終的に12勝8敗・防御率3.90を記録。1963年は前半戦で8勝7敗・防御率2.41と好調だったが、後半戦は3勝9敗・防御率5.81と不調に陥り、11勝16敗・防御率3.76、共にリーグワーストの105四球・21暴投の成績だった。1964年は202.1イニングを投げて73四球に留めたが、リーグワースト2位の37被本塁打。1965年はそれまでの自身最多となる13勝を挙げるが14敗、リーグワーストタイの102自責点だった。1966年6月14日に2選手との交換トレードで、1選手と共にデトロイト・タイガースに移籍。

デトロイト・タイガース

移籍後は7月31日から9月7日にかけて9連勝を記録するなど、シーズン通算で18勝11敗・防御率3.07、リーグ3位の264.0イニング、キャリアハイの200奪三振を記録した。1967年は22勝11敗・防御率3.27、前年と同数でリーグ3位の264.0イニングを記録し、ジム・ロンボーグと並んで最多勝のタイトルを獲得。チームはレッドソックス、ミネソタ・ツインズと熾烈な優勝争いを演じたが、1ゲーム差の2位に終わった。1968年は13勝12敗、キャリアハイの防御率2.85を記録し、31勝のデニー・マクレイン、17勝のミッキー・ロリッチと共に3本柱を形成し、チームは2位ボルチモア・オリオールズに12ゲーム差を付けてリーグ優勝。セントルイス・カージナルスとのワールドシリーズでは第3戦に先発したが、6四球を与えて5回途中3失点で降板し敗戦投手。登板はこの1試合のみだったが、チームは4勝3敗で23年ぶりのワールドチャンピオンとなった。1969年は12勝10敗・防御率3.31の成績で、チームはオリオールズに19ゲーム差を付けられ2位。1970年7月15日サンディエゴ・パドレスに移籍。

以後

移籍後は1勝6敗・防御率4.85に留まり、シーズン通算で5勝12敗・防御率4.58に終わる。1971年1月13日に解雇され、引退。

投手ながら打撃に優れ、1962年以降は毎年本塁打を放ち、通算35本塁打を記録した。

2005年4月23日心臓発作によりミシガン州サウスフィールドの自宅で死去[1]。70歳没。

詳細情報

脚注

外部リンク

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