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テネシー・タイタンズ

アメリカンフットボールチーム From Wikipedia, the free encyclopedia

テネシー・タイタンズ英語: Tennessee Titans、略称: TEN) は、アメリカ合衆国テネシー州ナッシュビルに本拠地をおくNFLチーム。AFC南地区に所属している。ホームスタジアムはニッサン・スタジアムで、本部と練習場は同じナッシュビルのメトロセンター・コンプレックスにある「セント・トーマス・スポーツパーク」である。

創設1959年8月3日 (67年前) (1959-08-03)
AFC
AFL東地区
概要 創設, AFL参入 ...
テネシー・タイタンズ
Tennessee Titans
創設 1959年8月3日 (67年前) (1959-08-03)
AFL参入 1960年シーズン
所属地区
チームデザイン
チームロゴ

内側に「T」字と3つの星のある円形に青と赤の炎
チームカラー
  ネイビー
  タイタンズブルー
 
  シルバー
 
ユニフォーム
チーム名
  • テネシー・タイタンズ(1999-現在)
    • テネシー・オイラーズ(1997-1998)
    • ヒューストン・オイラーズ(1960-1996)
ホームタウン
テネシー・タイタンズの位置(アメリカ合衆国内)
1998-現在
1998-現在
1997
1997
1960-1996
1960-1996

テネシー州ナッシュビル(1998-現在)
テネシー州メンフィス(1997)
テキサス州ヒューストン(1960-1996)

ニッサン・スタジアム
 LPフィールド
 ザ・コロシアム
 アデルフィア・スタジアム
(1999-現在)
ヴァンダービルト・スタジアム(1998)
リバティーボウル・メモリアルスタジアム(1997)
アストロドーム(1968-1996)
ライス・スタジアム(1965-1967)
ジェプセン・スタジアム(1960-1964)

永久欠番
獲得タイトル
スーパーボウル創設(1966年)以降
スーパーボウル・チャンピオン (0回)
  • なし
カンファレンス・チャンピオン (1回)
AFC
地区優勝 (8回)
AFL東地区
AFC中地区
AFC南地区
ワイルドカード(14回)
プレーオフ進出(22/61回)
AFL(1960-1969)における実績
AFLチャンピオン
地区優勝
AFL東地区
球団組織
オーナーKSAインダストリー英語版
GMマイク・ボルゴンジ英語版
ヘッドコーチロバート・サラー
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概要

1960年アメリカン・フットボール・リーグ(AFL)創設と共に誕生したチームで、当時はテキサス州ヒューストンジェプセン・スタジアムを本拠地とするヒューストン・オイラーズ(Houston Oilers)という名称であった。創設者でオーナーのバド・アダムス英語版2013年に亡くなるまでチームを所有していた。1970年のNFLとの合併までの間に4度の地区優勝と2度のAFLチャンピオンを果たした(1960年は創設1年目での優勝)。オイラーズはNFL加入後も、1978年から1980年1987年から1993年にかけて、アール・キャンベルウォーレン・ムーンの活躍により連続でプレーオフに出場している。

1997年にヒューストンからテネシー州ナッシュビルに移転した。ナッシュビルの新スタジアム完成までの間、メンフィスリバティーボウル・メモリアルスタジアム英語版で1年間だけプレーをしたが、観客が少なかったため、翌1998年はナッシュビルのヴァンダービルト・スタジアム英語版を本拠地とした。この2年間、チームはテネシー・オイラーズ(Tennessee Oilers)という名称だったが、1999年に新スタジアムのアデルフィア・スタジアム(現:ニッサン・スタジアム)開場に合わせてテネシー・タイタンズへと変更した。

スーパーボウルへは1999年第34回に出場を果たしたものの、セントルイス・ラムズに23-16で敗れた。2003年まではプレーオフ常連だったものの、それ以降は13年間で2度しかプレーオフ進出を果たしていない。2016年以降は持ち直し、2017年、2019年、2020年シーズンにはプレーオフ進出を果たしている。タイタンズは、2,000ヤードラッシャーが2人在籍する唯一のチームである(2009年クリス・ジョンソン2020年デリック・ヘンリー)。

歴史

1960年代から1970年代

RBのビリー・キャノン

1960年、AFL(アメリカン・フットボール・リーグ)の1チーム、ヒューストン・オイラーズとしてテキサス州ヒューストンに本拠地に創設された。オーナーはヒューストンの石油王だったバド・アダムス。チームはハイズマン賞受賞者でオールアメリカンのランニングバック、ビリー・キャノンをNFLとの争いで獲得していた。クォーターバックのジョージ・ブランダ、フランカーのチャーリー・ヘニガン、ランニングバックのチャーリー・トーラー、ガードのボブ・タラミニとオフェンスにはタレントがそろっていた。AFLチャンピオンシップゲームに1960年から1962年と3年連続出場し、最初の2回はロサンゼルス・チャージャーズ(現サンディエゴ・チャージャーズ)を破り優勝、1962年はダブルオーバータイムの末ダラス・テキサンズ(現カンザスシティ・チーフス)に敗れた。1961年11月19日のニューヨーク・タイタンズ戦でジョージ・ブランダがNFL、AFLを合わせたリーグ記録となる7TDパスをあげた[1]

1962年、AFLのチームとして初めてNFLに所属していた選手を獲得、シカゴ・ベアーズのワイドレシーバーだった Willard Dewveall はサンディエゴ・チャージャーズ戦でジャッキー・リー英語版からプロフットボール記録となる99ヤードのタッチダウンレシーブを達成している。1968年にはプロフットボールチームとして初のドーム球場アストロドーム)を本拠地とするチームとなった。

1963年12月22日のオークランド・レイダース戦の第2Qにジョージ・ブランダが2TDパス、FBのチャーリー・トラールが1TDラン、一方、レイダースQBのトム・フローレスに4TDパスを許した。両軍合わせて49得点はNFL、AFLを合わせた1Qの記録となっている[2]。翌1964年1月1日のバッファロー・ビルズ戦ではブランダが1試合パス試投68回の記録を作った。この記録は1994年ドリュー・ブレッドソーが1試合70回のパス試投をするまで30年間破られなかった[3]

1967年、AFLの東地区優勝を果たした。1968年、アストロドームを本拠地としたが、プロフットボールのチームとしてドーム球場を本拠地としたのは、オイラーズが初めてであった。

1969年、6勝6敗1分でプレーオフに進出したが、オークランド・レイダースに7-56で敗れた。

AFLがNFLに吸収合併されてから数年間はオイラーズはAFC中地区で低迷した。1970年は、3勝10敗1分、1971年は、4勝9敗1分に終わり、1972年1973年は2年連続で1勝13敗に終わった。1973年シーズン途中からヘッドコーチを務めていたシド・ギルマンは、1974年に7勝7敗で終わった後、退団した。

1975年バム・フィリップスが新ヘッドコーチとなり、エルビン・ベゼアビリー・ホワイト・シューズ・ジョンソンが加入、1970年代に入り初めて勝ち越してシーズンを終えた。

1976年、5勝9敗に終わったが、1977年、8勝6敗と勝率をあげた。

1978年、この年入団したアール・キャンベルは11月20日のマイアミ・ドルフィンズ戦で199ヤードを走り、4TDをあげるなど、マンデーナイトフットボール2試合で288ヤードを走り7TDをあげるなど[4]、この年リーディングラッシャーとなり[5]ルーキー・オブ・ザ・イヤー及びシーズンMVPに選ばれる活躍で[6]、チームはNFLに加入後初のプレーオフに進出した。キャンベルは3年連続でリーディングラッシャーとなり[5]、チームは1978年から1980年まで3年連続プレーオフに進出したが、その内2回はAFCチャンピオンシップゲームで当時全盛期だったピッツバーグ・スティーラーズに敗れスーパーボウル出場はならなかった。

1978年、キャンベルはレギュラーシーズンに1,450ヤードを走り、チームは11勝5敗でプレーオフに出場した。プレーオフ初戦でデンバー・ブロンコスを破ったが、この試合でキャンベルが負傷、サンディエゴ・チャージャーズ戦でバーノン・ペリーが4インターセプト、相手FGをブロックする大活躍を見せて、勝利した。AFCチャンピオンシップゲームでは、スティールカーテンの前に、9回のターンオーバーを喫し、5-34、1979年のAFCチャンピオンシップゲームではキャンベルが17回のランでわずか15ヤードに抑えられ、13-27で敗れた[7][8]

1980年代から1995年

1980年、11勝5敗で3年連続ワイルドカードでプレーオフに進出したが、オークランド・レイダースに初戦で敗れた。バム・フィリップスヘッドコーチはアダムスオーナーによって解任されて、エド・バイルズが後任となった。

1981年、チームはロードで連勝してスタートしたがその後、ロードで23連敗というNFL記録を作るほど低迷してしまう(この記録は2003年12月21日にデトロイト・ライオンズの24連敗で更新された。)。1981年を7勝9敗、ストライキで短縮された1982年を1勝8敗、1983年を2勝14敗で終えた。1983年第6週でバイルズヘッドコーチは辞任し、チャック・ステュッドリーが暫定ヘッドコーチに就任、シーズン終了後、ヒュー・キャンベルがヘッドコーチとなった。

1984年カナディアン・フットボール・リーグのスーパースター、ウォーレン・ムーンを獲得したが[9]、この年は2勝14敗に終わった。

1985年、チームは高齢のキャンベルをニューオーリンズ・セインツにトレードし、USFLでプレーしていたハイズマン賞受賞者のRBマイク・ロウジャーを獲得した。5勝9敗となったところで、ヒュー・キャンベルは解任され、ジェリー・グランビルがヘッドコーチとなった。

1985年9月29日のダラス・カウボーイズ戦ではムーンがNFL記録となる12サックを浴び4インターセプトを喫するなど散々であった[10]

ダン・パストリーニ

1986年グリーンベイ・パッカーズとの開幕戦に31-3で勝利したが、5勝11敗に終わった。

その後1987年から1993年まで7年連続プレーオフに進出しAFCの強豪の1つとなった。この間1991年には1967年以来となる地区優勝を果たしている。

ストライキで1試合減り、3試合で代替選手が出場した1987年、9勝6敗で7年ぶりにプレーオフに進出、ワイルドカードでは、シアトル・シーホークスをオーバータイムの末破り、ディビジョナルプレーオフでデンバー・ブロンコスに敗れた。

1988年、10勝6敗でワイルドカードでプレーオフに進出、雪の降る敵地クリーブランド・スタジアムクリーブランド・ブラウンズを24-23で破ったが、翌週バッファロー・ビルズに敗れた。

エースQBとしてチームを支えたウォーレン・ムーン(左)

1989年1990年は、ともに9勝7敗でワイルドカードでプレーオフに進出したが、ピッツバーグ・スティーラーズ、シンシナティ・ベンガルズに敗れた。

1991年、チームは25年ぶりに地区優勝を果たした。プレーオフ、デンバー・ブロンコス戦では残り2分07秒、24-23と1点リードしていたが、敵陣2ヤード地点からジョン・エルウェイに98ヤードのドライブで、最後デビッド・トレドウェルに逆転FGを決められて24-26で敗れた[11]

1992年、最終週にバッファロー・ビルズを破り、10勝6敗でプレーオフに進出した。翌週のワイルドカードプレーオフでもビルズと対戦、前週の試合で負傷したジム・ケリーを欠くビルズに対して、後半開始早々35-3とリードしたものの、オーバータイムの末、38-41で敗れた。敗戦直後にその年NFL3位のディフェンスを築いたジム・エディディフェンスコーディネーターは解任された。

1993年、チームは12勝4敗でAFC中地区優勝を果たしたが、プレーオフ2回戦でカンザスシティ・チーフスに敗れた。これに怒ったアダムスによってムーンはミネソタ・バイキングスにトレードされることとなった。

1994年、ムーンを失ったチームは2勝14敗に終わった。

1995年、前年の低成績によりドラフトでは高順位となり、QBスティーブ・マクネアを獲得することができた。

本拠地移転

17年間コーチとして務めたジェフ・フィッシャー

1987年、アダムスオーナーはフロリダ州ジャクソンビルへの移転を計画していることを公表した。この時点でアストロドームは50,000人しかフットボールゲームで収容できず、これはNFLのスタジアムの中で最小であった。市当局は6,700万ドルをかけて10,000人の収容人数増、65のラグジュアリボックスを追加する改修を行ったがこれはその後30年間の増税が必要となった。

1995年、またもアダムスは新スタジアム建設を市当局に働きかけたがアストロドームに代わる新スタジアム建設が控えていたため良い返事を得ることができなかった。そしてテネシー州ナッシュビル市長のフィル・ブレーデセンと秘密交渉をして、1995年シーズン終了後、1998年からナッシュビルに移転することを発表した。翌年のオーナー会議でテネシーへの移転は23-6で承認された[12]。市は1億4400万ドルをかけて新スタジアムを建設することを約束した。後にテネシー州政府も、チーム名をナッシュビルではなくテネシーとすることなどを条件にスタジアム建設の資金を提供している。

1996年、観客が20,000人以下しか入らず、フィールド上の声がメインスタンドでも聞けるほどであった。チームはロードゲームでは6勝2敗だったが、ホームゲームで2勝6敗に終わり8勝8敗であった。市はアダムスに早期移転を了承しこの年がヒューストンでの最後のゲームとなった。

1997年、ナッシュビルには当時収容人数最大のスタジアムは41,000人が入場できるヴァンダービルト・スタジアムヴァンタービルト大学のスタジアム)があったがアダムスはこれを嫌い、メンフィスにあるリバティーボウル・メモリアルスタジアムを新スタジアムができるまでの2年間の本拠地と定めた。そのため本拠地をナッシュビルに置いていたチームはシーズン全ての試合をアウェーで行うかのようになってしまった。この決定はメンフィス、ナッシュビル双方の市民にとって不幸なことでメンフィス市民は対抗意識のあるナッシュビルを本拠地とするチームに関心を示さず、ナッシュビル市民は320kmのドライブをして自分たちのチームの応援に行く羽目になった。1950年代以降史上最低の観客動員となってしまった。このため最後の主催ゲームである対ピッツバーグ・スティーラーズ戦のみヴァンタービルト・スタジアムで行われた。この試合には50,677人の観客が入り、多くのファンが入場できなかったが観客の2/3はスティーラーズファンであった。

1998年、前年の反省からアダムスは方針転換。本拠地をヴァンダービルト・スタジアムに変更した。

ナッシュビル移転後

1998年シーズン中、ナッシュビルに相応しい新しい愛称を募集した。この時、オイラーズから愛称が変更されても、引き続きヒューストン・オイラーズ時代の歴史を引き継いでいく明言した[注 1]。新チームの名称を決めるための委員会が設けられたがそこでアダムスはパワー、強さ、リーダーシップといったイメージが連想される名称とすることを求めた。1998年12月22日に新しいチーム名がテネシー・タイタンズとなることが発表された[注 2]

1999年、ナッシュビルに新スタジアムとなるアデルフィア・スタジアム(現:ニッサン・スタジアム)が開場し新たな本拠地となる。この年、チームはジャクソンビル・ジャガーズに地区優勝こそ譲ったものの13勝3敗で地区2位となりプレーオフに出場。その第1戦となるバッファロー・ビルズ戦で、 後にミュージック・シティ・ミラクル(Music City Miracle)と呼ばれるようになるビッグ・プレイが飛び出す。残り16秒でビルズのフィールドゴールが決まり15-16とリードを許した直後、キックオフをレシーブしたロレンゾ・ニールからのハンドオフを受けたタイトエンドのフランク・ワイチェックが、自陣から見て左サイドライン際にいたケビン・ダイソンにラテラルパス(横方向のパス)を送ったのである。ボールを受けたダイソンは75ヤードを走り逆転のタッチダウンを挙げた[13]。キックオフ・リターン中のパスプレイという虚を突いたこのプレイは「ホームラン・スローバック」と呼ばれている[注 3][14]。その後インディアナポリス・コルツ戦ではエディ・ジョージがチームのプレーオフ記録となる162ヤードを走り、ディフェンスは相手の2年目QBのペイトン・マニングのパスを43回中19回しか成功させず19-16で勝利した。ジャガーズに対してはディフェンスが6回のターンオーバー、セイフティ1回を記録し33-14で勝利し第34回スーパーボウルに出場した。最後の攻撃でケビン・ダイソンが残り1ヤードのところでタックルされて(このプレイはザ・タックルと呼ばれている。)タッチダウンが奪えず16-23で敗れた。なおタイタンズはこの年14勝2敗の成績を残したジャガーズを破った唯一のチームとなった(レギュラーシーズン2勝及びAFCチャンピオンシップゲーム

2000年、チームは13勝3敗でオイラーズ時代の1991年1993年に次いで3度目のAFC中地区優勝を果たしたがプレーオフ初戦でその年の第35回スーパーボウルを制したボルチモア・レイブンズに敗れた。

2002年、この年から再編となったAFC南地区優勝を果たしたがAFCチャンピオンシップゲームでオークランド・レイダースに敗れた。

2003年、所属のスティーブ・マクネアペイトン・マニングとシーズンMVPを分け合う活躍を見せたが第38回スーパーボウルを制したニューイングランド・ペイトリオッツに敗れた。

2004年、主力選手に怪我人が多く出たため5勝11敗に終わる。シーズン終了後チームのフロントはデリック・メイソンサマリ・ロールケビン・カーターなど多くの選手をトレードしたり契約を打ち切った。これはチームがサラリーキャップをオーバーしたためである。

2005年、NFL1若いチームとなる。ドラフト1巡指名のコーナーバック、パックマン・ジョーンズ、オフェンスタックルのマイケル・ルース、3人のワイドレシーバー(ブランドン・ジョーンズコートニー・ロビーロイデル・ウィリアムス)などのルーキーがプレイした。このシーズンは4勝12敗に終わった。

2006年、スティーブ・マクネアはこの年のドラフト4巡目指名権と引換えにボルチモア・レイブンズに移籍となる。結果8勝8敗に終わったがヴィンス・ヤング(この年のドラフト全体3位で指名)が先発した試合では6連勝を含み8勝5敗であった。

2007年、10勝6敗となりプレーオフに出場したが1回戦でサンディエゴ・チャージャーズに敗れている。

QBのケリー・コリンズ

2008年、開幕戦でQBのヴィンス・ヤングが負傷し、ケリー・コリンズが先発することとなったがチームはニューヨーク・ジェッツに敗れるまで開幕から10連勝を果たし[15]、シーズンを13勝3敗で終えプレーオフの第1シードを獲得した[16][17]。しかしディビジョナル・プレーオフでボルチモア・レイブンズに敗れてシーズンを終えた[18]

2009年、チームはコリンズと2年間1500万ドルの契約を結んだ[19]。開幕前期待されたものの開幕戦から6連敗を喫した[15]。次の試合より先発QBをケリー・コリンズからヴィンス・ヤングに変更した後、連勝を続け奇跡のプレーオフ進出なるかと注目を浴び[20][21]プレーオフは逃したものの8勝8敗でシーズンを終えた。シーズン最終戦まで11試合連続で100ヤードラッシュを見せた[22]クリス・ジョンソンが史上6人目となるシーズン2000ヤードラッシュを達成した[23]。ジョンソンはRBとしてのリーグ最高年俸を期待し[24]契約の見直しを要求、8月にチームが提示した金額での契約に応じた[25]

2010年、チームはNFL選手会代表も務める、プロボウルCのケビン・マワイと再契約を結ばなかった[26]。また5年間で38.5サックをあげた[27]カイル・バンデンボッシュも失った[28]。チームは5勝2敗と好スタートを切ったもののヴィンス・ヤングが負傷した後、成績は低迷し残り9試合で8敗し、6勝10敗に終わりプレーオフ出場を逃した。ヴィンス・ヤングは戦力外を通告された。ジェフ・フィッシャーヘッドコーチはアダムスオーナーより続投を明言された[29]がその後解任され、マイク・マンチャックがヘッドコーチに就任、シアトル・シーホークスからQBマット・ハッセルベックを獲得した。

2011年、シーズン開幕戦直前までクリス・ジョンソンがホールドアウトを行い、開幕戦にこそ間に合ったものの、最終的に1,047ヤード獲得 (1回平均4.0ヤード)と、自己最低の成績に終わった。しかし、ハッセルベックがムーン以外ではチーム初となる年間パス3,500ヤードを達成するなどの活躍もあり、シーズンは9勝7敗で終えた。タイブレークにより、チームはプレーオフこそ逃したが、先発QBとHCが変わったにもかかわらず、下馬評を大きく上回る活躍を見せた。

2012年、2年目のQBジェイク・ロッカー(ドラフト全体8位指名)がハッセルベックとの先発争いに勝って、エースQBに指名された。ロッカーは、第4週に負傷退場、左肩を脱臼していることが分かった[30]

2013年、三年連続してプレーオフ出場を逃してHCのマイク・マンチャックは解任された。

2014年、ケン・ウィゼンハントがHCに就任した。だがチームは二年連続して地区最下位となる。

プロボウルに5年連続で選出されたDLのジャーレル・ケーシー

2015年、この年までの間に新スタジアムの命名権者の破綻などにより名称は変遷していたが、新命名権者が日産自動車となり、スタジアム名はニッサン・スタジアムとなる。これは20年の長期にわたる命名権契約である。この年のドラフト全体2位でQBマーカス・マリオタを指名した。シーズン終盤にウィゼンハントは解任され、マイク・ムラーキーが臨時HCとなる。

2016年、この年もマイク・ムラーキーがHCを勤め地区二位となったがプレーオフは逃した。

2017年、ワイルドカードでプレーオフに進出し、初戦はカンサスシティ・チーフスを破ったが二戦目でニューイングランド・ペイトリオッツに敗れた。翌日、マイク・ムラーキーは退任し、後任はマイク・ブレイベルが就任した。

2018年、最終戦で敗れてプレーオフ進出を逃した。

2019年は、シーズン途中からマーカス・マリオタに代えて、マイアミ・ドルフィンズからトレードされたライアン・タネヒルを先発QBとして起用し始めた。シード6位のワイルドカードでプレーオフ進出を果たし、初戦では前年のスーパーボウルチャンピオンでシード3位のニューイングランド・ペイトリオッツを破り、第二戦ではシード1位のボルティモア・レイブンズを破った。だがAFCチャンピオンシップゲームではカンサスシティ・チーフスに敗れた。

2020年、マリオタはラスベガス・レイダースに移籍した。デリック・ヘンリー(RB)の史上8人目となる2000ヤード超えランなどの活躍もあり、最終戦で勝利し11勝5敗で地区優勝を遂げた。プレーオフでは初戦でボルティモア・レイブンズに敗れた。

2021年は、アトランタ・ファルコンズよりWRフリオ・ジョーンズをトレードで獲得した。12勝5敗でカンファレンス1位となり、プレーオフではワイルドカード・ラウンドを免除されたが、初戦でシンシナティ・ベンガルズに敗れた。

2022年、第13週のフィラデルフィア・イーグルスに敗れた2日後、7勝5敗と地区首位に立っていたが、7年間を共にしたGMのジョン・ロビンソンを解雇した。チームはこの年のドラフトA・J・ブラウンをトレードで放出していたが、ブラウンがその試合で2タッチダウンをあげる活躍を見せていた[31]。最後の7試合は7連敗を喫し、最終戦でジャクソンビル・ジャガーズに敗れて7勝10敗でシーズンを終え、地区優勝とプレーオフを逃した。翌日OCのトッド・ダウニングを解任した。フォーティナイナーズの人事部門責任者だったラン・カートンを新GMとした。

2023年11月、2027年に使用開始予定である新スタジアムの命名権をさらに20年間、日産に与える契約を結んだ[32]。第15週に地区最下位が決定し、プレーオフ進出の道は断たれた。シーズン終了直後、HCのブレイベルは解雇された[33]シンシナティ・ベンガルズのOCであったブライアン・キャラハンが後任となった[34]

2024年も低迷しプレーオフを逃した。3勝にとどまってカンファレンスでも最下位となり、タイブレーカー規定により2025年ドラフトでは第一位の指名順を得た。シーズン後、GMカートンは解雇された[35]。後任のGMにはチーフスのアシスタントGMだったマイク・ボルゴンジが就任した[36]

2025年は開幕から1勝5敗と低迷し、HCのキャラハンを解雇してシニア攻撃アシスタントのマイク・マッコイが暫定の後任となった[37]。12試合を終えたところで地区最下位とプレーオフを逃すことが決まった。サンフランシスコ・フォーティーナイナーズのDCロバート・サラーを後任のHCとした[38]

文化

テネシー・タイタンズ・チアリーダーズ

Luv Ya Blue

1970年代後半、ヒューストン・オイラーズ(当時)のファンによってLuv Ya Blue(ラブ・ヤ・ブルー)というムーブメントが起きた。大きなフラッシュカード、応援歌、ポンポンなど、NFLというよりカレッジフットボールを彷彿とさせる応援を行っていた。

マスコット

オフィシャルマスコットは、テネシー州の動物であるアライグマT-ラック(T-Rac)。1999年8月のプレシーズンマッチ、アトランタ・ファルコンズ戦が初出場となる。

チアリーダー

1975年からテネシー・タイタンズ・チアリーダーズ(Tennessee Titans Cheerleaders)として活動を行っており、2017年から3シーズン曽我小百合(元富士通フロンティアーズチアリーダー)が在籍した[39]。また、「エール・リーダーズ」と呼ばれる男性チアリーディングも存在する。

 :1度対戦  :2度対戦

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テネシー・タイタンズ 2026
米国日本対戦相手スコア勝敗開催地備考
19/13(日)9/14(月)ニューヨーク・ジェッツニッサン・スタジアム
29/20(日)9/21(月)フィラデルフィア・イーグルスニッサン・スタジアム
39/27(日)9/28(月)@ニューヨーク・ジャイアンツメットライフ・スタジアム
410/4(日)10/5(月)@ボルチモア・レイブンズM&Tバンク・スタジアムtitans
510/11(日)10/12(月)ヒューストン・テキサンズニッサン・スタジアム
610/18(日)10/19(月)@インディアナポリス・コルツルーカス・オイル・スタジアム
710/25(日)10/26(月)クリーブランド・ブラウンズニッサン・スタジアム
811/1(日)11/2(月)@シンシナティ・ベンガルズペイコー・スタジアムtitans
9Bye Week
1011/15(日)11/16(月)ジャクソンビル・ジャガーズニッサン・スタジアム
1111/22(日)11/23(月)@ダラス・カウボーイズAT&Tスタジアム
1211/29(日)11/30(月)@ジャクソンビル・ジャガーズエバーバンク・スタジアム
1312/6(日)12/7(月)ワシントン・コマンダースニッサン・スタジアム
1412/13(日)12/14(月)@デトロイト・ライオンズフォード・フィールドtitans
1512/20(日)12/21(月)インディアナポリス・コルツニッサン・スタジアム
1612/27(日)12/28(月)@ラスベガス・レイダースアレジアント・スタジアム
171/3(日)1/4(月)ピッツバーグ・スティーラーズニッサン・スタジアム
18@ヒューストン・テキサンズリライアント・スタジアム
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AFC南地区 2025
チーム勝率DIVCON総得点総失点平均得点平均失点SOVSOS
(3)ジャクソンビル・ジャガーズ1340.7655-110-247433627.919.8.425.478
(5)ヒューストン・テキサンズ1250.7065-110-240429523.817.4.441.522
インディアナポリス・コルツ890.4712-46-646641227.424.2.382.540
テネシー・タイタンズ3140.1760-62-1028447816.728.1.275.574
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AFC 2025
順位チーム地区勝率DIVCONSOVSOS
地区優勝
1デンバー・ブロンコス西1430.8245-19-3.378.422
2ニューイングランド・ペイトリオッツ1430.8245-19-3.370.391
3ジャクソンビル・ジャガーズ1340.7655-110-2.425.478
4ピッツバーグ・スティーラーズ1070.5884-28-4.453.503
ワイルドカード
5ヒューストン・テキサンズ1250.7065-110-2.441.522
6バッファロー・ビルズ1250.7064-29-3.412.471
7ロサンゼルス・チャージャーズ西1160.6475-18-4.425.469
8インディアナポリス・コルツ890.4712-46-6.382.540
9ボルチモア・レイブンズ890.4713-35-7.408.507
10マイアミ・ドルフィンズ7100.4123-33-9.378.488
11シンシナティ・ベンガルズ6110.3533-35-7.451.521
12カンザスシティ・チーフス西6110.3531-53-9.363.514
13クリーブランド・ブラウンズ5120.2942-44-8.418.486
14ラスベガス・レイダース西3140.1761-53-9.451.538
15ニューヨーク・ジェッツ3140.1760-62-10.373.552
16テネシー・タイタンズ3140.1760-62-10.275.574
タイブレーク
・ ブロンコス・ペイトリオッツ:共通の対戦相手との勝率によりブロンコスが上位
・ テキサンズ・ビルズ:直接対決での全勝によりテキサンズが上位
・ コルツ・レイブンズ:カンファレンス内勝率によりコルツが上位
・ チーフス・ベンガルズ:カンファレンス内勝率によりベンガルズが上位
・ レイダース・ジェッツ・タイタンズ:カンファレンス内勝率によりレイダースが上位
・ ジェッツ・タイタンズ:勝利相手の勝率(SOV)によりジェッツが上位
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2026年シーズン

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タイタンズ の当年及び近年のシーズン成績
成績Con地区地区ConSOSSOV平均得点平均失点
2026 000.0000-00-0----
2025 レギュラーシーズン敗退16位4位3140.1760-62-10.574.27516.728.1
2024 レギュラーシーズン敗退16位4位3140.1761-53-9.522.43118.327.1
2023 レギュラーシーズン敗退14位4位6110.3531-54-8.522.42217.921.6
2022 レギュラーシーズン敗退11位2位7100.4123-35-7.511.33617.521.1
2021 ディビジョナル敗退1位優勝1250.7065-18-4.472.48024.620.8
2020 ワイルドカード敗退4位優勝1150.6885-18-4.475.39830.727.4
2019 AFC決勝敗退6位2位970.5623-37-5.488.46525.120.7
2018 レギュラーシーズン敗退8位3位970.5623-35-7.520.46519.418.9
2017 ディビジョナル敗退5位2位970.5625-18-4.434.39620.922.2
2016 レギュラーシーズン敗退7位2位970.5622-46-6.465.45823.823.6
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成績

AFC南地区

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年度地区優勝2位3位4位
チームチームチームチーム
2025 JAX(3w)1340 HOU(5d)1250 IND890 TEN3140
2024 HOU(4d)1070 IND890 JAX4130 TEN3140
2023 HOU(4d)1070 JAX980 IND980 TEN6110
2022 JAX(4d)980 TEN7100 IND4121 HOU3131
2021 TEN(1d)1250 IND980 HOU4130 JAX3140
2020 TEN(4w)1150 IND(7w)1150 HOU4120 JAX1150
2019 HOU(4d)1060 TEN(6c)970 IND790 JAX6100
2018 HOU(3w)1150 IND(6d)1060 TEN970 JAX5110
2017 JAX(3c)1060 TEN(5d)970 IND4120 HOU4120
2016 HOU(4d)970 TEN970 IND880 JAX3130
2015 HOU(4w)970 IND880 JAX5110 TEN3130
2014 IND(4c)1150 HOU970 JAX3130 TEN2140
2013 IND(4d)1150 TEN790 JAX4120 HOU2140
2012 HOU(3d)1240 IND(5w)1150 TEN6100 JAX2140
2011 HOU(3d)1060 TEN970 JAX5110 IND2140
2010 IND(3w)1060 JAX880 HOU6100 TEN6100
2009 IND(1s)1420 HOU970 TEN880 JAX790
2008 TEN(1d)1330 IND(5w)1240 HOU880 JAX5110
2007 IND(2d)1330 JAX(5d)1150 TEN(6w)1060 HOU880
2006 IND(3v)1240 TEN880 JAX880 HOU6100
2005 IND(1d)1420 JAX(5w)1240 TEN4120 HOU2140
2004 IND(3d)1240 JAX970 HOU790 TEN790
2003 IND(3c)1240 TEN(5d)1240 JAX5110 HOU5110
2002 TEN(2c)1150 IND(5w)1060 JAX6100 HOU4120
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AFC中地区

  • BAL:ボルチモア・レイブンズ、CIN:シンシナティ・ベンガルズ、CLE:クリーブランド・ブラウンズ、PIT:ピッツバーグ・スティーラーズ、HOU→TEN:ヒューストン・オイラーズ→テネシー・オイラーズ→テネシー・タイタンズ、JAX:ジャクソンビル・ジャガーズ
  • 1982年シーズンはストライキの影響により、地区別成績ではなくカンファレンス上位8チームがプレイオフ進出するルールであったが、ここでは地区別に変換して表記する。
  • 括弧内の数字はプレイオフ出場時のシード順(シード制導入前は表記なし)、文字はv:スーパーボウル優勝、s:スーパーボウル敗退・カンファレンス優勝、c:カンファレンス決勝敗退、d:ディビジョナルプレーオフ敗退、w:ワイルドカードプレイオフ敗退。1982年についてはd:2回戦敗退、w:1回戦敗退。
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年度地区優勝2位3位4位5位6位
チームチームチームチームチームチーム
2001 PIT(1c)1330 BAL(5d)1060 CLE790 TEN790 JAX6100 CIN6100
2000 TEN(1d)1330 BAL(4v)1240 PIT970 JAX790 CIN4120 CLE3130
1999 JAX(1c)1420 TEN(4s)1330 BAL880 PIT6100 CIN4120 CLE2140
1998 JAX(3d)1150 TEN880 PIT790 N 6100 CIN3130
1997 PIT(2c)1150 JAX(5w)1150 TEN880 CIN790 BAL691
1996 PIT(3d)1060 JAX(5c)970 CIN880 HOU880 BAL4120
1995 PIT(2s)1150 CIN790 HOU790 CLE5110 JAX4120
1994 PIT(1c)1240 CLE(4d)1150 CIN3130 HOU2140
1993 HOU(2d)1240 PIT(6w)970 CLE790 CIN3130
1992 PIT(1d)1150 HOU(5w)1060 CLE790 CIN5110
1991 HOU(3d)1150 PIT790 CLE6100 CIN3130
1990 CIN(3d)970 HOU(6w)970 PIT970 CLE3130
1989 CLE(2c)961 HOU(4w)970 PIT(5d)970 CIN880
1988 CIN(1s)1240 CLE(4w)1060 HOU(5d)1060 PIT5110
1987 CLE(2c)1050 HOU(4d)960 PIT870 CIN4110
1986 CLE(1c)1240 CIN1060 PIT6100 HOU5110
1985 CLE(3d)880 CIN790 PIT790 HOU5110
1984 PIT(3c)970 CIN880 CLE5110 HOU3130
1983 PIT(3d)1060 CLE970 CIN790 HOU2140
1982 CIN(3w)720 PIT(4w)630 CLE(8w)450 HOU180
1981 CIN(1s)1240 PIT880 HOU790 CLE5110
1980 CLE(2d)1150 HOU(5w)1150 PIT970 CIN6100
1979 PIT(2v)1240 HOU(4c)1150 CLE970 CIN4120
1978 PIT(1v)1420 HOU(5c)1060 CLE880 CIN4120
1977 PIT(3d)950 CIN860 HOU860 CLE680
1976 PIT(3c)1040 CIN1040 CLE950 HOU590
1975 PIT(1v)1220 CIN(4d)1130 HOU1040 CLE3110
1974 PIT(v)1031 HOU770 CIN770 CLE4100
1973 CIN(d)1040 PIT(d)1040 CLE752 HOU1130
1972 PIT(c)1130 CLE(d)1040 CIN860 HOU1130
1971 CLE(d)950 PIT680 HOU491 CIN4100
1970 CIN(d)860 CLE770 PIT590 HOU3101
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AFL東地区

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地区優勝2位3位4位5位
チームチームチームチームチーム
1969 NY(d)1040 HOU(d)662 BOS4100 BUF4100 MIA3101
1968 NY(V)1130 HOU770 MIA581 BOS4100 BUF1121
1967 HOU(a)941 NY851 BUF4100 MIA4100 BOS3101
1966 BUF(a)941 BOS842 NY662 HOU3110 MIA3110
スーパーボウル開始
1965 BUF(a)1031 NY581 BOS482 HOU4100
1964 BUF(v)1220 BOS1031 NY581 HOU4100
1963 BOS(a)761 BUF(d)761 HOU680 NY581
1962 HOU(a)1130 BOS941 BUF761 NY590
1961 HOU(v)1031 BOS941 NY770 BUF680
1960 HOU(v)1040 NY770 BUF581 BOS590
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主な選手

現役選手

永久欠番

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テネシー・タイタンズ 永久欠番一覧
背番号 選手 ポジション 在籍期間
1ウォーレン・ムーンWarren MoonQB1984–1993
9スティーブ・マクネアSteve McNairQB1995-2005
27エディ・ジョージEddie GeorgeRB1996-2003
34アール・キャンベルEarl CampbellRB1978–1984
43ジム・ノートンJim NortonS, P1960–1968
63マイク・マンチャックMike MunchakOG1982–1993
65エルビン・ベゼアElvin BetheaDE1968–1983
74ブルース・マシューズBruce MatthewsOT1983–2001
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プロフットボール殿堂入り

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プロフットボール殿堂入りメンバー一覧
選手
背番号名前ポジション在籍期間選出年
16ジョージ・ブランダGeorge BlandaQB, K1960–19661981
29ケン・ヒューストンKen HoustonS1967–19721986
35ジョン・ヘンリー・ジョンソンJohn Henry JohnsonFB19661987
34アール・キャンベルEarl CampbellRB1978–19841991
18, 40チャーリー・ジョイナーCharlie JoinerWR1969–19721996
63マイク・マンチャックMike MunchakOG1982–19932001
87デイブ・キャスパーDave CasperTE1980–19832002
65エルビン・ベゼアElvin BetheaDE1968–19832003
1ウォーレン・ムーンWarren MoonQB1984–19932006
74ブルース・マシューズBruce MatthewsOT1983–20012007
78カーリー・カルプCurley CulpDT1974–19802013
12ケン・ステイブラーKen StablerQB1980–19812016
52ロバート・ブラジルRobert BrazileLB1975-19842018
84ランディ・モスRandy MossWR20102018
68ケビン・マワイKevin MawaeC2006–20092019
73スティーブ・ハッチンソンSteve HutchinsonOG20122020
コーチ・エグゼクティブ
名前役職在籍期間選出年
サミー・ボウSammy Baughヘッドコーチ19641963
シド・ギルマンSid Gillmanヘッドコーチ1973–19741983
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リング・オブ・オナー

歴代ヘッドコーチ

  • ルー・リムカス (1960-1961)
  • ウォリー・レム (1961)
  • ポップ・アイビー (1962-1963)
  • サミー・ボウ (1964)
  • ヒュー・タイラー (1965)
  • ウォリー・レム (1966-1970)
  • エド・ヒューズ (1971)
  • ビル・ピーターソン (1972-1973)
  • シド・ギルマン (1973-1974)
  • バム・フィリップス (1975-1980)
  • エド・バイルズ (1981-1983)
  • チャック・スタドリー (interim) (1983)
  • ヒュー・キャンベル (1984-1985)
  • ジェリー・グランビル (1985-1989)
  • ジャック・パーディー (1990-1994)
  • ジェフ・フィッシャー (1994-2010)
  • マイク・マンチャック (2011-2013)
  • ケン・ウィゼンハント (2014-2015)
  • マイク・ムラーキー (2015-2017)
  • マイク・ブレイベル (2018-2023)
  • ブライアン・キャラハン (2024-2025)
  • マイク・マッコイ (2025) (暫定)
  • ロバート・サラー

脚注

外部リンク

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