マイアミ・ドルフィンズ

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創設1965年8月16日 (60年前) (1965-08-16)
AFC
  • 1971
  • 1972
  • 1973
  • 1982
  • 1984
旧AFC東地区
  • 1971
  • 1972
  • 1973
  • 1974
  • 1979
  • 1981
  • 1983
  • 1984
  • 1985
  • 1992
  • 1994
  • 2000
マイアミ・ドルフィンズ
Miami Dolphins
創設 1965年8月16日 (60年前) (1965-08-16)
AFL参入 1966年シーズン
所属地区
  • NFL(1970-現在)
    • AFC(1970-現在)
東地区(1970-現在)
東地区(1966-1969)
チームデザイン
チームロゴ

太陽[注 1]をバックに跳ねるイルカ
チームカラー
  アクア
  オレンジ
 
ユニフォーム
チーム名
  • マイアミ・ドルフィンズ(1966-現在)
ホームタウン
1966-現在の位置(アメリカ合衆国内)
1966-現在
1966-現在

フロリダ州マイアミガーデンズ(1987-現在)
フロリダ州マイアミ(1966-1986)

ハードロック・スタジアム (1987-現在)
旧称

  • サンライフ・スタジアム (2010-2016)
  • ランドシャーク・スタジアム (2009-2010)
  • ドルフィンズ・スタジアム (2005-2006)
  • プロ・プレイヤー・スタジアム (1996-2005)
  • ジョー・ロビー・スタジアム (1987-1996)
  • ドルフィン・スタジアム (1984-1987, 2007-2008)

マイアミ・オレンジボウル (1966-1986)

永久欠番
獲得タイトル
スーパーボウル・チャンピオン (2回)
カンファレンス・チャンピオン (5回)
AFC
  • 1971
  • 1972
  • 1973
  • 1982
  • 1984
地区優勝 (13回)
旧AFC東地区
  • 1971
  • 1972
  • 1973
  • 1974
  • 1979
  • 1981
  • 1983
  • 1984
  • 1985
  • 1992
  • 1994
  • 2000
AFC東地区
  • 2008
ワイルドカード(11回)
  • 1970
  • 1978
  • 1990
  • 1995
  • 1997
  • 1998
  • 1999
  • 2001
  • 2016
  • 2022
  • 2023
プレーオフ進出(25/60回)
  • 1970
  • 1971
  • 1972
  • 1973
  • 1974
  • 1978
  • 1979
  • 1981
  • 1982
  • 1983
  • 1984
  • 1985
  • 1990
  • 1992
  • 1994
  • 1995
  • 1997
  • 1998
  • 1999
  • 2000
  • 2001
  • 2008
  • 2016
  • 2022
  • 2023
球団組織
オーナースティーブン・ロス
GMジョン・エリック・サリバン
ヘッドコーチジェフ・ハフリー英語版

マイアミ・ドルフィンズ英語: Miami Dolphins、略称: MIA)は、アメリカ合衆国フロリダ州マイアミ都市圏に位置するマイアミガーデンズに本拠地をおくNFLチーム。AFC東地区に所属している。ホームスタジアムは、ハードロック・スタジアム。フロリダ州にあるプロスポーツチームの中で最も古い歴史を持っている。AFC東地区の4チームの中で唯一、アメリカン・フットボール・リーグ(AFL)の創設メンバーではない。

チーム名

チームは1966年、弁護士で政治家のジョー・ロビーと俳優でコメディアンのダニー・トーマスによって創設され、AFLの一員となった。マイアミにはかつて、のちにボルチモア・コルツとなるオール・アメリカ・フットボール・カンファレンス(AAFC)のチーム「マイアミ・シーホークス」が1946年の1年だけ存在したが、以降フットボールチームはなかった。チーム創設後の数年間、トレーニングキャンプと練習施設は、ボカラトンにある全寮制の私立男子予備校「セント・アンドリュー・スクール」に設けられた。1970年にAFLとNFLが合併したことにより、NFLに加盟し、AFC東地区に所属することになった。

スーパーボウルは、第7回1972年)と第8回1973年)の2度制覇しており、1972年にはNFL史上唯一となるパーフェクトシーズン(レギュラーシーズン14試合全勝、ポストシーズン3試合全勝)を果たしている。またドルフィンズを26年指揮したヘッドコーチ、ドン・シュラの時代、チームはわずか2回しか負け越さなく、現在までNFLの最多勝利ヘッドコーチとなっている。

チーム名は、チーム創設前年の1965年に公募された。19,843人の応募によって1000を越える候補があり、マリナーズ、マロウダーズ、ムスタングス、ミサイルズ、ムーンズ、シャークス、サンズなどが有力候補にあがった中、最も多い622通の応募があり、またフロリダ近海に生息し人気がある動物であることから、イルカの「ドルフィンズ」が選ばれた。「ドルフィンズ」に応募した人の中から抽選に当選したファンには、ドルフィンズのホームゲームを生涯にわたり観戦できるパスが贈られた。ドルフィンには、イルカのほか、スピード感、知性という意味を持たせている。

歴史

創設者で初代オーナーのジョー・ロビー

チームはジョー・ロビーダニー・トーマスによって創設され[注 2]1966年AFLに加盟した。最初の4シーズンはジョージ・ウィルソンヘッドコーチの下で15勝39敗2分の成績しか残すことはできなかった。しかし1970年にポール・ブラウンの教え子であり、ボルチモア・コルツ第3回スーパーボウルに出場させたドン・シュラがヘッドコーチになると好成績をあげるようになる。

1970年に10勝4敗の好成績をあげて地区優勝を果たし初のプレーオフ進出を果たした。この年はオークランド・レイダースにプレーオフで敗れたが、QBボブ・グリーシーRBラリー・ゾンカジム・キイックWRポール・ウォーフィールドを擁したチームはこの年からAFC東地区で4年連続優勝を果たすこととなった。

1971年にはディビジョナル・プレーオフでダブルオーバータイムまでもつれNFL史上最長となった82分40秒のカンザスシティ・チーフスとの試合を制するなどして第6回スーパーボウル出場を決めたがダラス・カウボーイズに3-24で敗れた。

1972年、スーパーボウルで勝利し、全勝優勝を果たした。

1972年、ドン・シュラヘッドコーチに率いられたチームはシーズンを14勝0敗の全勝で終え、プレーオフでも負けなく[1]第7回スーパーボウルワシントン・レッドスキンズを14-7で破りスーパーボウル初優勝を果たし、シーズン無敗のパーフェクトシーズンを達成した[注 3]。このシーズン第5週のチャージャーズ戦でエースQBのボブ・グリーシーが負傷し、それ以降の試合を控えQBだったアール・モラルが先発した[注 4]。グリーシーはピッツバーグ・スティーラーズとのAFCチャンピオンシップゲームで復帰し、スーパーボウルでも先発出場した。またノーネームディフェンスと呼ばれた[注 5]ラインバッカーのニック・ブオニコンティ、ディフェンシブエンドのビル・スタンフィル、ディフェンシブタックルのマニー・フェルナンデス、セイフティのディック・アンダーソンジェイク・スコットらの守備はリーグ1の成績を残した。

ドルフィンズは1シーズンのラッシング記録を作り、ゾンカとマーキュリー・モリスは2人とも1000ヤードラッシャーとなった。2人のランニングバックが1000ヤードラッシャーとなったのはNFL初の記録であった。この攻撃は後にプロフットボール殿堂入りを果たすOTのジム・ランガー、Gのラリー・リトルら強力なオフェンスラインによって支えられた。

1973年シーズンも12勝2敗でレギュラーシーズンを終え、第8回スーパーボウルではミネソタ・バイキングスを24-7で破りスーパーボウル連覇を遂げた。翌1974年も地区優勝を果たしたが、プレーオフ初戦でオークランド・レイダースに敗れ、スーパーボウル3連覇はならなかった[2]。このシーズン終了後、ゾンカ、キイック、ウォーフィールドの3人がワールド・フットボール・リーグ(WFL)に移籍しチームを離れた。

1976年チームは6勝8敗に終わったが続く5シーズン中4シーズンに10勝以上をあげた。1977年、10勝4敗で終えたがボルチモア・コルツに地区優勝を奪われプレーオフを逃した。1978年にはワイルドカードでプレーオフ出場を果たしたがヒューストン・オイラーズに敗れた。

1979年、ゾンカが復帰し10勝6敗で地区優勝を果たしたがプレーオフではピッツバーグ・スティーラーズに敗れた。

1980年、ボルチモア・コルツ戦でQBボブ・グリーシーが肩を負傷、ルイジアナ州立大学出身のデビッド・ウッドリーが先発することになった。グリーシーはこの後復帰することなくシーズン終了とともに引退した。チームは8勝8敗でプレーオフを逃した。

1981年、11勝4敗1分で地区優勝を果たした。この年のQBはウッドリーとドン・ストロックが先発した。チームはプレーオフでサンディエゴ・チャージャーズと対戦、第1Qだけで相手に24点をあげられてリードを許したが38-38と追いつき延長の末38-41で敗れた[3] (Epic in Miami) 

ストライキでシーズンが短縮された1982年には、7勝2敗でAFC2位となり第17回スーパーボウルまで進んだがワシントン・レッドスキンズに敗れた。このシーズンのドルフィンズのディフェンスはボブ・バウムハウワービル・バーネットライル・ブラックウッドキム・ボカンバーグレン・ブラックウッドダグ・ベターズボブ・ブルジンスキーらBの頭文字の選手がそろっていたためキラーBディフェンスと呼ばれた。またこの年から1987年まで、Cドワイト・スティーブンソンらオフェンスラインが相手に許したサックは、6年連続リーグ最少であった[4]

マリーノ時代

1984年には2年目のQBダン・マリーノがNFLシーズン記録となる48本のタッチダウンパスを投げて第19回スーパーボウルまで進みサンフランシスコ・49ersと対戦した。マリーノ対ジョー・モンタナとして注目された試合はモンタナに軍配があがりドルフィンズはまたしても優勝を逃した。

1990年代初めには同地区のライバル、バッファロー・ビルズと激しく地区優勝を争ったがビルズが4年連続スーパーボウルに出場することとなった。

1992年は地区優勝を果たしてホームアドバンテージを持っていたが、ワイルドカードプレーオフでヒューストン・オイラーズを相手に32点差からの逆転で勝ち上がったビルズにAFCチャンピオンシップゲームで敗れてスーパーボウル出場は果たせなかった。

1994年11月27日のジェッツ戦でダン・マリーノアーロン・グレンにサックされそうになったがスパイクするフェイクを見せた後、マーク・イングラムへの逆転のTDパスを成功させた。このプレイは"The Fake Spike"として知られている( (Clock Play) )。

1995年ドン・シュラがプレーオフも含めて347勝とNFLヘッドコーチ歴代最多勝利(それまでの記録はジョージ・ハラスの324勝)退任、ダラス・カウボーイズで2度のスーパーボウルを制したジミー・ジョンソンが後任となりGMを兼任した。

ジョンソンの就任2年目の1997年からチームは3年連続でワイルドカードでプレーオフ出場を果たしたがいずれも初戦で敗退した。

1999年10月の試合でマリーノが負傷し戦線を離脱[5]、シーズン終了後NFLのQB記録を数々塗り替えたマリーノが現役を引退した。彼が在籍している間チームは地区優勝5回、プレーオフには10回出場し、スーパーボウルにも1回出場を果たした。

2000年以降

2000年1月16日ジョンソンは突如辞任を発表、彼の下で長年アシスタントコーチを務めているデイブ・ウォンステッドが後任となりチームは2000年2001年とプレーオフに出場したが、2004年チームが1勝8敗となったところで母校、ピッツバーグ大学のヘッドコーチに就任するため辞任、ジム・ベイツが指揮を執り残り7試合を3勝4敗で終えた。

2002年3月8日にニューオーリンズ・セインツとのトレードで2つの1巡目指名権を含む4つのドラフト指名権と引き換えに、リッキー・ウィリアムズ英語版を獲得した。

2005年、チームはルイジアナ州立大学のヘッドコーチ、ニック・セイバンを新ヘッドコーチに迎えた。

2006年ジェイソン・テイラーが最優秀守備選手に選ばれた[4]

2007年シーズンはトレント・グリーンがエースQBとなったが4試合が終了したところでグリーンは故障者リスト入りしてしまった。残りの試合はクレオ・レモンジョン・ベックが先発したがその後その時点でNFLのリーディングラッシャーを走っていたRBのロニー・ブラウンも失ってしまった。このシーズンニューヨーク・ジャイアンツとのホームゲームがロンドンで行われた。これはNFLのレギュラーシーズンのゲームが北米大陸以外で行われる初の試合となった。この試合後2001年からチームに在籍したWRのクリス・チェンバースサンディエゴ・チャージャーズに放出した。12月16日のボルチモア・レイブンズ戦に延長の末勝利したがこのシーズン1勝に終わり15敗した8チーム目となった。シーズン終盤、ビル・パーセルズがチームのフロント入りを果たした。第15週の12月16日のボルチモア・レイブンズ戦に延長の末22-16で勝ち連敗を16で止めた。しかしこのシーズンは1勝に終わりレギュラーシーズンに15敗した[6]8チーム目となった。(その後2008年にデトロイト・ライオンズがシーズン16連敗で記録を更新した。)

シーズン終了とともにGMのランディ・ミューラー、ヘッドコーチのキャム・キャメロンは解任された。またシーズンオフに2人のプロボウル選出選手を放出した(LBのザック・トーマスとは再契約をせず、DEのジェイソン・テイラーをワシントン・レッドスキンズのドラフト2巡目指名権とトレードした。)。新ヘッドコーチにはパーセルズがダラス・カウボーイズのヘッドコーチを務めていた時のアシスタントコーチであるトニー・スパラノが就任[7]、ドラフト全体1位でミシガン大学のOTのジェイク・ロングを獲得した。またブレット・ファーヴを獲得したニューヨーク・ジェッツのQB、チャド・ペニントンと契約を結んだ[6]

ワイルドキャットからパスを投げようとするロニー・ブラウン

2008年シーズンも開幕戦・第2週と連敗スタートであったが、第3週のニューイングランド・ペイトリオッツ戦に38-13で勝利し、ロードゲームでの連敗を11で止めたばかりか、ペイトリオッツが2006年シーズンの第15週以来続けてきたレギュラーシーズンでの連勝も21で止めた[8](なお2006年シーズンの第14週の相手はこのドルフィンズである)。この試合で導入し大成功したオフェンス・プレー「ワイルドキャット・フォーメーション」は、2008年シーズンのトレンドとなり、ドルフィンズのみならず、NFLの多くのチームが導入した。前年の1勝15敗から11勝5敗と大きく勝ち星をあげたチームは2000年以来の地区優勝を果たした。前年より10勝多く勝ち星を積み上げたチームはこれまでに1999年のインディアナポリス・コルツのみであった。プレーオフではボルチモア・レイブンズと対戦し敗れた。

2009年、スティーブ・ロスにより買収される。落札額は、11億ドル。米スポーツ界のフランチャイズ契約で最高額を記録した。シーズン早々にエースQBペニントンを怪我で失ったがQBチャド・ヘニーが先発QBとなった。シーズン終盤まで7勝6敗と大混戦のプレーオフ争いに参加したが最後の3試合に連敗してプレーオフを逃した。

2010年、ディフェンスコーディネーターにマイク・ノーランが就任した[9]。シーズンではエースQBのペニントン、2番手QBのチャド・ヘニーが故障がちで苦戦を強いられて[10][リンク切れ]プレーオフを逃した[11]

2011年2月、ポール・ソリアイをフランチャイズ選手に指定した[12]。第4週にエースQBのヘニーがシーズン絶望となり[13]、マット・ムーアが先発QBとなった。チームは開幕から7連敗し、その後3連勝したが、4勝9敗となったところで、スパラノヘッドコーチは解任されトッド・ボウルスアシスタントヘッドコーチが暫定ヘッドコーチに就任した[14]。ボウルスが指揮を執った初戦、この年加入したレジー・ブッシュが自己ベストの203ヤードを走る活躍を見せて勝利した[15]。ボウルスヘッドコーチ就任後の3試合でチームは2勝1敗の成績をあげて[16]、6勝10敗でシーズンを終えた。シーズン終了後の1月20日、チームはグリーンベイ・パッカーズのオフェンスコーディネーターを務めていたジョー・フィルビンを新ヘッドコーチとして発表した[17]

2012年、チームはドラフト1巡目(全体8位)で指名したライアン・タネヒルを開幕QBに指名した。

2013年10月、ジョナサン・マーティンが心の病となりチームを離脱した。その背景には、チームメートのリッチー・インコグニートから人種差別的中傷のボイスメールを受けるなどの嫌がらせを受けたことが明らかとなった[18]。インコグニートはNFLから無期限の出場停止処分を受けた[19]。2014年2月14日、独立した調査機関による調査報告書が公表され、マーティンだけでなくアシスタントトレーナーもパワーハラスメントを受けていたと指摘がなされた[20]

地区一位を続けるニューイングランド・ペイトリオッツの陰で不振を続けたが、2016年には新HCにアダム・ゲイズを迎え、8年ぶりにワイルドカードでプレーオフ進出を果たした。2017年2018年には連続してプレーオフを逃し、アダム・ゲイズは解雇された。後任はニューイングランド・ペイトリオッツのプレーコーラーを務めていたブライアン・フローレスとなった。2019年3月、ドラフト指名権とのトレードでライアン・タネヒルをテネシー・タイタンズへ放出した[注 6]。4月、アリゾナ・カージナルスのQBジョシュ・ローゼンをドラフト指名権とのトレードで獲得した。この年は地区最下位となった。

2020年は前年に獲得したライアン・フィッツパトリックとドラフト1巡目(全体5位)ルーキーのトゥア・タゴヴァイロアの2人のQBが先発試合を分け合い、10勝を挙げながらもプレーオフを逃した。

2021年は開幕戦の勝利の後7連敗を喫したが、その後は7連勝を重ねたものの、地区3位となり5年連続してプレーオフを逃した。シーズン直後、HCのフローレスが解雇された。後任にはサンフランシスコ・フォーティーナイナーズのOCマイク・マクダニエルが就任した。2022年3月24日、WRタイリーク・ヒルカンザスシティ・チーフスから2022年のNFLドラフト1巡目(全体29番目)、2巡目、4巡目、さらに2023年のNFLドラフト4巡目、6巡目と交換にトレードで得た[21]

マイク・マクダニエルの時代

2022年2月、前HCのフローレスはドルフィンズ、ジャイアンツ、ブロンコス、そしてリーグを相手取って集団訴訟を起こした[22]。コーチ雇用に関してジャイアンツとブロンコスに人種差別的な行動があったと主張し、ドルフィンズのオーナーはドラフトでの上位順位を得るために意図的に試合に負けるよう促して負けるごとに賞金を出し、さらにはFAになる前の選手と接触するよう促したと主張している。他の元NFLコーチも原告として訴訟に参加している。

2022年は、終盤で5連敗を喫し、さらに最後の2試合はタゴヴァイロアが脳震盪プロトコルでの対象となって欠けるも、最終戦でジェッツに勝利して第7シードのワイルドカードで6年ぶりにプレーオフ進出を果たした。プレーオフ初戦ではトンプソンが先発QBとなり、ビルズに敗れた。DCジョシュ・ボイヤーを解雇した。

2023年は第16週にプレーオフ進出を決めた。地区首位で迎え、地区2位のビルズ相手の勝てば第2シードとなるはずの最終試合では第4QTRまで14-7とリードするも、ハーティーの96ヤード・パントリターン・タッチダウンで同点に追いつかれ、その後逆転されて地区2位に落ち、第6シードでプレーオフに進んだ。プレーオフ初戦でカンザスシティ・チーフスに敗れた。

2024年は最終週でプレーオフを逃した。

2025年は4試合目でエースWRのタイリーク・ヒルがシーズン終了となる負傷に見舞われた[23]。2025年11月1日、2016年からGMを務めていたクリス・グリアが辞任し、チャンプ・ケリーが暫定GMとなった[24]。第15週を終えてプレーオフの望みは消えた。レギュラーシーズン終了後、マクダニエルは解任された。2026年1月9日、グリーンベイ・パッカーズの人事担当副社長を務めていたジョン・エリック・サリバンを新たにGMとした。HCはパッカーズ元DCのジェフ・ハフリーを採用した。

チーム施設

練習場

ドルフィンズトレーニング施設

チームの練習場と球団本部は、同じマイアミ都市圏のデイビーに置かれている。1993年、ノバ・サウスイースタン大学の構内にチーム専用のトレーニング施設を開設し、2006年には「ザ・バブル」と呼ばれるドーム型のフィールドが建てられた。しかし、2021年、ハードロック・スタジアム(マイアミガーデンズ)北西側に1億3500万ドルかけて建築した新しいトレーニング施設「バプティスト・ヘルス・トレーニング・コンプレックス」に移転予定である。

文化

マイアミ・ドルフィンズ・チアリーダーズ

マスコット

チームの公式マスコットは、T.D.(The Dolphin)。チーム公式サイトによると、1997年4月18日にジミー・ジョンソン前ヘッドコーチがサインしたと書かれている。初出場は、1997年8月10日のシカゴ・ベアーズ戦。2001年にはオハイオ州カントンで開催されたホール・オブ・フェイム・ゲームにNFLのマスコットとして初めて参加した。2005年の春節パレードin香港に招待されて参加した。他にも、2015年5月2日にイリノイ州シカゴで行われた2015 NFLドラフトタウンに招かれている。

チアリーディング

チーム公式のチアリーディングチームのマイアミ・ドルフィンズ・チアリーダーズ(Miami Dolphins Cheerleaders)は、試合日などにハードロック・スタジアムで様々なダンスを披露している。毎年、プロボウルにチアリーダーを送っている。また、毎年インディアン・プレミアリーグに多くの卒業生を送っている。

2026年シーズン

ドルフィンズ の当年及び近年のシーズン成績
成績Con地区地区ConSOSSOV平均得点平均失点
2025 レギュラーシーズン敗退10位3位7100.4123-33-9.488.37820.424.9
2024 レギュラーシーズン敗退10位2位890.4713-36-6.419.29420.321.4
2023 ワイルドカード敗退6位2位1160.6474-27-5.450.35829.223.0
2022 ワイルドカード敗退7位2位980.5293-37-5.539.46023.423.5
2021 レギュラーシーズン敗退9位3位980.5294-26-6.464.37920.121.9
2020 レギュラーシーズン敗退8位2位1060.6253-37-5.467.34725.221.1
2019 レギュラーシーズン敗退15位4位5110.3122-44-8.484.46319.130.9
2018 レギュラーシーズン敗退10位2位790.4384-26-6.469.44619.927.1
2017 レギュラーシーズン敗退11位3位6100.3752-45-7.543.53117.624.6
2016 ワイルドカード敗退6位2位1060.6254-27-5.455.34122.723.8
2015 レギュラーシーズン敗退11位4位6100.3751-54-8.469.46919.424.3
2026年シーズンのドルフィンズの対戦相手
AFCNFC
前年西地区南地区北地区東地区西地区南地区北地区東地区
1位 ブロンコス ジャガーズ スティーラーズ ペイトリオッツ シーホークス パンサーズ ベアーズ イーグルス
2位 チャージャーズ テキサンズ レイブンズ ビルズ ラムズ バッカニアーズ パッカーズ カウボーイズ
3位 チーフス コルツ ベンガルズ ドルフィンズ 49ers ファルコンズ バイキングス コマンダース
4位 レイダース タイタンズ ブラウンズ ジェッツ カージナルス セインツ ライオンズ ジャイアンツ

 :1度対戦  :2度対戦

マイアミ・ドルフィンズ 2025
米国日本対戦相手スコア勝敗開催地備考
19/7(日)9/8(月)@インディアナポリス・コルツ8-330-1ルーカス・オイル・スタジアムR
29/14(日)9/15(月)ニューイングランド・ペイトリオッツ27-330-2ハードロック・スタジアムR
39/18(木)9/19(金)@バッファロー・ビルズ21-310-3ハイマーク・スタジアムR
49/29(月)9/30(火)ニューヨーク・ジェッツ27-211-3ハードロック・スタジアムR
510/5(日)10/6(月)@カロライナ・パンサーズ24-271-4バンク・オブ・アメリカ・スタジアムR
610/12(日)10/13(月)ロサンゼルス・チャージャーズ27-291-5ハードロック・スタジアムR
710/19(日)10/20(月)@クリーブランド・ブラウンズ6-311-6ハンティントン・バンク・フィールドR
810/26(日)10/27(月)@アトランタ・ファルコンズ34-102-6メルセデス・ベンツ・スタジアムR
910/30(木)10/31(金)ボルチモア・レイブンズ6-282-7ハードロック・スタジアムR
1011/9(日)11/10(月)バッファロー・ビルズ30-133-7ハードロック・スタジアムR
1111/16(日)11/17(月)ワシントン・コマンダース16-134-7スペイン エスタディオ・サンティアゴ・ベルナベウR
12Bye Week
1311/30(日)12/1(月)ニューオーリンズ・セインツ21-175-7ハードロック・スタジアムR
1412/7(日)12/8(月)@ニューヨーク・ジェッツ34-106-7メットライフ・スタジアムR
1512/15(月)12/16(火)@ピッツバーグ・スティーラーズ15-286-8アクリシュア・スタジアムR
1612/21(日)12/22(月)シンシナティ・ベンガルズ21-456-9ハードロック・スタジアムR
1712/28(日)12/29(月)タンパベイ・バッカニアーズ20-177-9ハードロック・スタジアムR
181/4(日)1/5(月)@ニューイングランド・ペイトリオッツ10-387-10ジレット・スタジアムR
レギュラーシーズン敗退
AFC東地区 2025
チーム勝率DIVCON総得点総失点平均得点平均失点SOVSOS
(2)ニューイングランド・ペイトリオッツ1430.8245-19-349032028.818.8.370.391
(6)バッファロー・ビルズ1250.7064-29-348136528.321.5.412.471
マイアミ・ドルフィンズ7100.4123-33-934742420.424.9.378.488
ニューヨーク・ジェッツ3140.1760-62-1030050317.629.6.373.552
AFC 2025
順位チーム地区勝率DIVCONSOVSOS
地区優勝
1デンバー・ブロンコス西1430.8245-19-3.378.422
2ニューイングランド・ペイトリオッツ1430.8245-19-3.370.391
3ジャクソンビル・ジャガーズ1340.7655-110-2.425.478
4ピッツバーグ・スティーラーズ1070.5884-28-4.453.503
ワイルドカード
5ヒューストン・テキサンズ1250.7065-110-2.441.522
6バッファロー・ビルズ1250.7064-29-3.412.471
7ロサンゼルス・チャージャーズ西1160.6475-18-4.425.469
8インディアナポリス・コルツ890.4712-46-6.382.540
9ボルチモア・レイブンズ890.4713-35-7.408.507
10マイアミ・ドルフィンズ7100.4123-33-9.378.488
11シンシナティ・ベンガルズ6110.3533-35-7.451.521
12カンザスシティ・チーフス西6110.3531-53-9.363.514
13クリーブランド・ブラウンズ5120.2942-44-8.418.486
14ラスベガス・レイダース西3140.1761-53-9.451.538
15ニューヨーク・ジェッツ3140.1760-62-10.373.552
16テネシー・タイタンズ3140.1760-62-10.275.574
タイブレーク
・ ブロンコス・ペイトリオッツ:共通の対戦相手との勝率によりブロンコスが上位
・ テキサンズ・ビルズ:直接対決での全勝によりテキサンズが上位
・ コルツ・レイブンズ:カンファレンス内勝率によりコルツが上位
・ チーフス・ベンガルズ:カンファレンス内勝率によりベンガルズが上位
・ レイダース・ジェッツ・タイタンズ:カンファレンス内勝率によりレイダースが上位
・ ジェッツ・タイタンズ:勝利相手の勝率(SOV)によりジェッツが上位

成績

AFC東地区(4地区制)

地区優勝2位3位4位
チームチームチームチーム
2025 NE (2s)1430 BUF(6d)1250 MIA7100 NYJ3140
2024 BUF(2c)1520 MIA890 NYJ5120 NE4130
2023 BUF(2d)1160 MIA(6w)1160 NYJ7100 NE4130
2022 BUF(2d)1330 MIA(7w)980 NE890 NYJ7100
2021 BUF(3d)1160 NE (6w)1070 MIA980 NYJ4130
2020 BUF(2c)1330 MIA1060 NE790 NYJ2140
2019 NE (3w)1240 BUF(5w)1060 NYJ790 MIA5110
2018 NE (2v)1150 MIA790 BUF6100 NYJ4120
2017 NE (1s)1330 BUF(6w)970 MIA6100 NYJ5110
2016 NE (1v)1420 MIA(6w)1060 BUF790 NYJ5110
2015 NE (2c)1240 NYJ1060 BUF880 MIA5110
2014 NE (1v)1240 BUF970 MIA880 NYJ4120
2013 NE (2c)1240 NYJ880 MIA880 BUF6100
2012 NE (2c)1240 MIA790 NYJ6100 BUF6100
2011 NE (1s)1330 NYJ880 MIA6100 BUF6100
2010 NE (1d)1420 NYJ(6c)1150 MIA790 BUF4120
2009 NE (3w)1060 NYJ(5c)970 MIA790 BUF6100
2008 MIA(3w)1150 NE1150 NYJ970 BUF790
2007 NE (1s)1600 BUF790 NYJ4120 MIA1150
2006 NE (4c)1240 NYJ(5w)1060 BUF790 MIA6100
2005 NE (4d)1060 MIA970 BUF5110 NYJ4120
2004 NE (2v)1420 NYJ(5d)1060 BUF970 MIA4120
2003 NE (1v)1420 MIA1060 BUF6100 NYJ6100
2002 NYJ(4d)970 NE970 MIA970 BUF880

AFC東地区(3地区制)

地区優勝2位3位4位5位
チームチームチームチームチーム
2001 NE(2v)1150 MIA(4w)1150 NYJ(6w)1060 IND6100 BUF3130
2000 MIA(3d)1150 IND(6w)1060 NYJ970 BUF880 NE5110
1999 IND(2d)1330 BUF(5w)1150 MIA(6d)970 NYJ880 NE880
1998 NYJ(2c)1240 MIA(4d)1060 BUF(5w)1060 NE(6w)970 IND3130
1997 NE(3d)1060 MIA(6w)970 NYJ970 BUF6100 IND3130
1996 NE(2s)1150 BUF(4w)1060 IND(6w)970 MIA880 NYJ1150
1995 BUF(3d)1060 IND(5c)970 MIA(6w)970 NE6100 NYJ3130
1994 MIA(3d)1060 NE(5w)1060 IND880 BUF790 NYJ6100
1993 BUF(1s)1240 MIA970 NYJ880 NE5110 IND4120
1992 MIA(2c)1150 BUF(4s)1150 IND970 NYJ4120 NE2140
1991 BUF(1s)1330 NYJ(6w)880 MIA880 NE6100 IND1150
1990 BUF(1s)1330 MIA(4d)1240 IND790 NYJ6100 NE1150
1989 BUF(3d)970 IND880 MIA880 NE5110 NYJ4120
1988 BUF(2c)1240 IND970 NE970 NYJ871 MIA6100
1987 IND(3d)960 NE870 MIA870 BUF780 NYJ690
1986 NE(3d)1150 NYJ(4d)1060 MIA880 BUF4120 IND3130
1985 MIA(2c)1240 NYJ(4w)1150 NE(5s)1150 IND5110 BUF2140
1984 MIA(1s)1420 NE970 NYJ790 IND4120 BUF2140
1983 MIA(2d)1240 NE880 BUF880 BAL790 NYJ790
1982 MIA(2s)720 NYJ(6c)630 NE(7w)540 BUF450 BAL081
1981 MIA(2d)1141 NYJ(4w)1051 BUF(5d)1060 BAL2140 NE2140
1980 BUF(3d)1150 NE1060 MIA880 BAL790 NYJ4120
1979 MIA(3d)1060 NE970 NYJ880 BUF790 BAL5110
1978 NE(2d)1150 MIA(4w)1150 NYJ880 BUF5110 BAL5110
1977 BAL(2d)1040 MIA1040 NE950 BUF3110 NYJ3110
1976 BAL(2d)1130 NE(4d)1130 MIA680 NYJ3110 BUF2120
1975 BAL(3d)1040 MIA1040 BUF860 NYJ3110 NE3110
1974 MIA(d)1130 BUF(d)950 NE770 NYJ770 BAL2120
1973 MIA(v)1220 BUF950 NE590 NYJ4100 BAL4100
1972 MIA(v)1400 NYJ770 BAL590 BUF491 NE3110
1971 MIA(s)1031 BAL(c)1040 NE680 NYJ680 BUF1130
1970 BAL(v)1121 MIA(d)1040 NYJ4100 BUF3101 BOS2120

AFL東地区

地区優勝2位3位4位5位
チームチームチームチームチーム
1969 NY(d)1040 HOU(d)662 BOS4100 BUF4100 MIA3101
1968 NY(V)1130 HOU770 MIA581 BOS4100 BUF1121
1967 HOU(a)941 NY851 BUF4100 MIA4100 BOS3101
1966 BUF(a)941 BOS842 NY662 HOU3110 MIA3110

主な選手

現役選手

永久欠番

マイアミ・ドルフィンズ 永久欠番一覧
背番号 選手 ポジション 在籍期間
12ボブ・グリーシーBob GrieseQB1967–1980
13ダン・マリーノDan MarinoQB1983–1999
39ラリー・ゾンカLarry CsonkaFB1968-1974, 1979

永久欠番にはなっていないものの、選手への敬意を込めて以下の背番号は現在使用されていない。

プロフットボール殿堂入り

プロフットボール殿堂入りメンバー一覧
選手
背番号名前ポジション在籍期間選出年
42ポール・ウォーフィールドPaul WarfieldWR1970–19741983
39ラリー・ゾンカLarry CsonkaFB1968–1974, 19791987
62ジム・ランガーJim LangerC1970–19791987
12ボブ・グリーシーBob GrieseQB1967–19801990
66ラリー・リトルLarry LittleOG1969–19801993
57ドワイト・スティーブンソンDwight StephensonC1980–19871998
85ニック・ブオニコンティNick BuonicontiLB1969–1974, 19762001
13ダン・マリーノDan MarinoQB1983–19992005
34サーマン・トーマスThurman ThomasRB20002007
88クリス・カーターCris CarterWR20022013
55ジュニア・セアウJunior SeauLB2003–20052015
99ジェイソン・テイラーJason TaylorDE1997–2007, 2009, 20112017
コーチ・エグゼクティブ
名前役職在籍期間選出年
347ドン・シュラDon Shulaヘッドコーチ1970–19951997
ビル・パーセルズBill Parcellsエグゼクティブ副社長2008–20102013
ボビー・ベサードBobby Beathardディレクター1972–19772018
ジミー・ジョンソンJimmy Johnsonヘッドコーチ1996–19992020
ジョージ・ヤングGeorge Youngスカウト1975–19782020

注)ドン・シュラの番号 347 は、コーチとしてのNFL勝利数。(ドルフィンズでは 276 勝)

オナー・ロール

歴代ヘッドコーチ

脚注

関連項目

外部リンク

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