ボッケネム
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| 紋章 | 地図 (郡の位置) |
|---|---|
| 基本情報 | |
| 連邦州: | ニーダーザクセン州 |
| 郡: | ヒルデスハイム郡 |
| 緯度経度: | 北緯52度00分30秒 東経10度07分45秒 / 北緯52.00833度 東経10.12917度座標: 北緯52度00分30秒 東経10度07分45秒 / 北緯52.00833度 東経10.12917度 |
| 標高: | 海抜 110 m |
| 面積: | 109.96 km2 |
| 人口: |
9,465人(2024年12月31日現在) [1] |
| 人口密度: | 86 人/km2 |
| 郵便番号: | 31167 |
| 市外局番: | 05067 |
| ナンバープレート: | HI, ALF |
| 自治体コード: |
03 2 54 008 |
| 行政庁舎の住所: | Buchholzmarkt 1 31167 Bockenem |
| ウェブサイト: | www.bockenem.de |
| 首長: | ライナー・ブロック (Rainer Block) |
| 郡内の位置 | |
| 地図 | |
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ボッケネムまたはボケネム (ドイツ語: Bockenem, [ˈbɔkənəm] (
音声ファイル)[2]) は、ドイツ連邦共和国ニーダーザクセン州ヒルデスハイム郡に属する市である。2022年5月15日現在、中核市区の人口は 4,030人、すべての市区を含めた市全域の人口は 9,600人である (Zensus 2022[3])。
位置
ボッケネムとその市域に含まれる地区は、アムベルガウに位置している。その広さはおおむね 9×10 km であり、ハルツ山地北西部の盆地の一部をなす。アムベルガウ盆地は、南北にネッテ川が流れ、その北側はレース=ヴァイン=ブーフベルクの山並み、南はイェルツァー山地、東はハインベルク山地とブラウネ・ハイデ、南西はハルプラーゲ山地を境界とする。連邦道243号線沿いに南約 16 km にハルツ山麓の街ゼーゼンが、北 25 km に司教座都市で郡庁所在地のヒルデスハイムがある。
市の構成
行政上、現在のボッケネム市が形成されたのは、1974年3月1日の地域・行政再編によるものであった。これにより、それまで独立した市であったボッケネムは、アムベルガウの周辺の村と統合され、同時にそれまで存在していたネッテ川左岸のヒルデスハイマー・アムベルガウと右岸のブラウンシュヴァイギッシャー・アムベルガウという政治的区分が解消された。ボッケネムには以下の村落風のオルトシャフト(地区)が存在する。かっこ内は2015年1月1日現在の人口である。
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隣接する市町村
ボッケネムに隣接する市町村は、北東がゼールデ(ヴォルフェンビュッテル郡)、東がランゲルスハイム、南がゼーゼン(ともにゴスラー郡)、西がラムシュプリンゲ、北西がバート・ザルツデトフルト、北がホレ(以上、3市町村はヒルデスハイム郡)である。
歴史
ボッケネムとアムベルガウの中心部全域は、初期入植史の観点から紀元後600年以前に最初の入植が始まった。文献に bukenem として最初の記述が登場するのは1154年で、ゴスラーのリーヒェンベルク修道院の所有権を確認する記録である。これより早い1131年という記述がこの文書にあるが、これは古くからの所有権を主張するためのものであり、虚偽であることが判っている。集落名の古い表記には、bukenem、bukeneím、bokenum、bukenem がある。これらは。「ブナの森の中の住居」と解釈することができる。アムベルガウの中心に位置するボッケネム村が都市へ昇格するまでには、長い過程があった。その過程は、ヴォールデンベルク伯コンラート1世およびヨハン1世によってヒルデスハイムやゴスラーが持つ権利と同等の都市権が授けられた1300年10月16日まで続いた。ヴォールデンベルク伯コンラート1世は、早くも1314年に、この新しい街をヒルデスハイム司教ハインリヒ2世に売却した。これに先立ち彼は1314年3月15日にヴォールデンベルク家が持つガンダースハイム修道院のレーエンの権利を放棄していた。
ボッケネムは、1314年から1523年までヒルデスハイム司教領に属した。ブラウンシュヴァイク公領と接する南の領邦境界沿いというその立地により、数十年のうちに、急速な市内整備や、市壁、塔、土塁、堀を含む防衛施設の建設がなされた。市壁に囲まれた領域の広さは、おおむね 400×400 m であった。1390年に、おそらくヒルデスハイム司教によって建設された城に関する記述があるが、1513年には借金の担保となった。この城は三十年戦争で酷く破壊された後荒廃し、1785年以後は姿を消した。城跡には、1847年以降に「ユンケルンホーフ」と呼ばれる木組み建築が建設された[4]。
14世紀から15世紀にかけて、数多くのギルドが形成されたこの街は、経済的にも発展を遂げた。交易上の結びつきは主に、ヒルデスハイムやブラウンシュヴァイクとの間で成立していた。その経済的・政治的重要性に応じて、1427年4月10日のザクセン・ハンザに参加した。

最盛期とも呼べるような上向きの発展は、1519年、ヒルデスハイム司教区とブラウンシュヴァイク公領との間で勃発したヒルデスハイム教会フェーデによって終焉を迎えた。この戦いは3年間におよび、甚大な被害をもたらした。ボッケネムは、1522年に焼き討ちに遭い、市内の建物の3/4が灰となった。1523年に締結された和平条約によりボッケネムはブラウンシュヴァイク公領に属することとなった。この状態は1643年まで続いた。この時期、1542年10月19日に宗教改革家ヨハネス・ブーゲンハーゲンがこの街に来訪したことによりプロテスタント化がなされた。ブラウンシュヴァイク時代には、三十年戦争が起こり、この街とその周辺地域が甚大な被害を受け、多額の軍税を要求され、その上ペストが蔓延した。人口は1/3ほどにまで減少した。1643年4月9日に締結された特別和約によりボッケネムはネッテ川西岸に位置する村落とともにヒルデスハイム司教区に返還されたが、川の右岸にある6か村はブラウンシュヴァイク領に留まった。このアムベルガウの政治的分割は1974年まで続いた。
その後1850年までの時代、1685年、1785年、1847年に酷い都市火災が起こり、町の発展はその都度後退を余儀なくされた。これにより街は重要性を失った。1847年4月9日の火災では、325軒の住宅のうち235軒が全焼し、ブーフホルツ市長により組織された復興工事により1870年頃にやっと復旧した。これ以後再び隆盛に向かったが、ボッケネムの農耕市民的な性質は遺された。タワークロックと鐘の製造業者ヴォイレと製糖・缶詰工場といった最初の工業企業が設立され、1887年にはデルネブルク(現在はホレ町内)とゼーゼンとを結ぶ鉄道がこの街に接続した。住宅建設は1870年から、かつての中世都市防衛施設の外側に拡張していった。この頃人口は1,900人に達し、世紀の変わり目頃には約2,400人にまで増加した。
ゼーゼンとヒルデスハイムとの中間に位置するボッケネムは小都市の精確を保持している。ナチ時代のボッケネムは、国家社会主義の牙城であった。第二次世界大戦の結果、故郷を逐われた人々や難民によってこの街の人口は倍増した。それまでの代表的な大企業の倒産や、多くの新規企業の創業により、1960年代から多くの住宅地建設がなされた。ミレニアムの替わり目からこの街は、人口構造の変化とそれに伴う人口減少、若者の流出、伝統的な商業活動の著しい衰退に苦しんでいる。
住民
人口推移
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宗教
住民の大半が福音主義ルター派教会に属している。地理上の中心地は、パーペンベルクの市場の裏にある教会エリアで、聖パンクラティウス教会、共同体ハウス、旧教会監督官庁舎がある。旧教会監督官庁舎には牧師の住居と教会共同体事務所が入居している。小さなカトリックの共同体は、ゼーゼン教会区が管轄しており、アム・アルテン・フリートホーフ通り沿いの聖クレメンス教会で礼拝が行われている。より小規模な宗教団体としては、中核市区に新使徒教会とアドヴェンティステン、ボルヌムに自由キリスト教会がある、
行政
議会
ボッケネムの市議会は、24議席からなる。これは人口9,001人から10,000人の自治体の議員定数である[5]。議員は5年ごとの直接選挙で選出される。市議会選挙で選出された24人の議員の他に専任市長も投票権を有して市議会に参加する。
首長
住民に選出された専任市長は、ライナー・ブロック(無所属)である。
地区議会
中核市区を含め各オルツタイルには市区議会と市区長が存在する。
紋章
図柄: 金地と赤地に左右二分割。それに被せて銀の鋸歯状の垂れ飾り付き斜め帯が描かれている。
解説: ヴォールデンベルク伯は、1225年頃にヴェルダー伯からボッケネムに関する高権を相続し、1300年に市に昇格させた。1314年からヒルデスハイム司教が領主となった。14世紀初めの大印章には、右に聖カタリナ(車輪を持つ)、左に聖パンクラティウス(剣を持つ)を従えた聖母がゴシック様式の壁龕の中に描かれたデザインが用いられていた。聖パンクラティウスは、1234年に記録されている教会の守護聖人であった。柱の根元にヴォールデンベルク家の紋章が描かれた盾がある。この紋章には鋸歯状の垂れ飾りがついた「Turnierkragen」と呼ばれる帯が描かれている。この紋章では、市の紋章の赤色の代わりに銀色が使われている。金と赤はヒルデスハイム司教領の紋章に由来する。
旗
長辺と平行に黄-赤に塗り分けられ(幅は1:1)、その中央に市の紋章が配されている。
姉妹都市
文化と見どころ
建築
ほとんどが1847年の大火後の時代に建設された建物からなる木組み建築の街ボッケネムは、1990年からドイツ木組みの家街道に加盟している。この街は「エルベ川からハルツ山地へ」地域ルートの一部である。
歴史的旧市街の主な見どころとしては、ブーフホルツマルクト、聖パンクラティウス教会、塔時計と鐘の博物館、旧教会監督官庁舎、1847年の都市火災を免れたヴィンケル通りの聖霊礼拝堂とその隣に建つ旧ベギン会会堂が挙げられる。
ゴシック様式のハレンキルヒェである聖パンクラティウス教会の外観は、1403年に献堂された教会堂に倣っている。1847年の都市火災で大きく損傷した後1850年に再建され、2013年から14年に最新の修復がなされた。
旧教会監督官庁舎(キルヒホーフ2番地)はこの街で最も古い世俗の家屋である。この木組み建築は1523年に建設され、1584年に増築された。梁の豊かな彫刻と様々な模様の格子窓をもつこの建物は、旧市街の大部分がそうであるように、保護文化財として保護されている。この建物は、三十年戦争当時の1626年に皇帝軍司令官ティリー伯が起居し、その後おそらくヴァレンシュタインも住んでいた。
旧市街の南西部にかつての中世の村がある。広場に面して1350年頃に聖霊礼拝堂とベギン会会堂が建設され、後者には最近になるまで高齢の独身女性たちが暮らしていた。
村落の風情を遺す周辺の市区部での見どころとしては、歴史的な高炉が遺るボルヌム地区の旧ヴィルヘルムスヒュッテ、フォルカースハイム地区の旧城館(現在はドイツ赤十字の老人ホームが入居している)がある。自然分野での見どころは、ケーニヒスダールムの北西にあるニーダーザクセン最大の陥没孔ディルスグラーベンや、ウプシュテットのティー広場にあるセンネンボダイジュが挙げられる。
- ベギン会会堂
- ヴィルヘルムスヒュッテの高炉跡
- フォルカースハイムの旧城館

時の博物館
ブーフホルトマルクトの「時の博物館」は、かつてのボッケネムにあったタワークロックおよび鐘の製造業者 J.K.ヴォイレの製品を展示している[6]。
年中行事
「Kulturladen am Markt」は、市内で定期的な文化行事を開催しており、中でも聖パンクラティウス教会での教会音楽会、特にエンゲルハルト大オルガンによるコンサートは重要なイベントである。毎年開催される市場のイベントには、11月のマルティーニの大市場、アドヴェントの時期のクリスマス村、4月の春の市場がある。奇数年ごとにボッケネムのハンザの日が、5年ごとにアムベルガウの日がある。2年に1度開催されるアムベルガウのフィールドの日も大きな反響がある。
経済と社会資本
企業
この街の経済構造は、ボーフムで創業した工業系企業のメテオール、ベトンバウ、インデュノーム、HAW-リニングスの大きく依存している。メテオール・エラストマー・ソリューションズ GmbH(旧豊田合成メテオール)は、約1100人の従業員を雇用しており、主に自動車産業向けにゴム製シールシステムを製造している。ベトンバウは、変電所向けの様々なコンクリート製空間ユニットを供給している。この企業は200人の労働力を雇用している。インデュノームは、約100人を雇用して機械部品を製造しており、HAW-リニングスは、大型タンクやタンク車の腐食防止の領域で活動している。この企業は200人を雇用している。この他に、本市にはいくつかの中規模企業、数多くのサービス業や多彩な手工業業者がある。産業道路およびアウトバーンの近くに広い商工業地があり、さらに拡張や企業進出の可能性がある。労働市場における労働者の多くは産業労働者である。一方、市の周辺では農業が盛んである。
交通
道路
ボッケネムは、連邦道243号線沿いに位置し、連邦アウトバーン7号線にはこの街の名前がつけられたインターチェンジがある。北のハノーファー広域地区やブラウンシュヴァイク広域地区へはアウトバーン経由で 60 および 45 km の距離にある。南のゲッティンゲンへはアウトバーン経由で 65 km である。
鉄道
廃線となった鉄道デルネブルク - ゼーゼン線のボルヌムとデルネブルクとの区間をHAW-リニングスの企業路線が利用している。さらに年に数回、歴史的な機関車が保存鉄道としてこの路線を運行する[7]。
ボッケネム駅は1990年以降旅客駅として利用されていない。1960年代、この駅には西側に旅客用プラットホーム、貨物輸送の積み降ろし用ランプが2本、ボッケネム製糖工場への接続路線があった。2019年9月9日、ボッケネム市議会は旅客の近郊鉄道輸送を促進するため駅の再稼働を決議した[8]。
インフラストラクチャー
この街には第10学年までのオーバーシューレが存在する。中核市部には幼稚園が2園あり、周辺市区には4つの託児施設がある。医療体制は、一般医、歯科医、薬局、救護ステーション、その他のケア施設からなる。中核市区に3施設、周辺市区に3施設の介護設備を持つ老人ホームがある。市はいくつかのスポーツ施設を有しており、広く知られている屋外プールも運営している。
人物
出身者
- エルンスト・デガー(1809年 - 1885年)画家。
- ルドルフ・カール・リューネブルク(1903年 - 1949年)数学者、物理学者。