ラムシュプリンゲ
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| 紋章 | 地図 (郡の位置) |
|---|---|
| 基本情報 | |
| 連邦州: | ニーダーザクセン州 |
| 郡: | ヒルデスハイム郡 |
| 緯度経度: | 北緯51度57分 東経10度00分 / 北緯51.950度 東経10.000度座標: 北緯51度57分 東経10度00分 / 北緯51.950度 東経10.000度 |
| 標高: | 海抜 211 m |
| 面積: | 70.5 km2 |
| 人口: |
5,460人(2024年12月31日現在) [1] |
| 人口密度: | 77 人/km2 |
| 郵便番号: | 31195 |
| 市外局番: | 05183 |
| ナンバープレート: | HI, ALF |
| 自治体コード: |
03 2 54 044 |
| 行政庁舎の住所: | Kloster 3 31195 Lamspringe |
| ウェブサイト: | www.lamspringe.de |
| 首長: | アンドレアス・フンベルト (Andreas Humbert) |
| 郡内の位置 | |
| 地図 | |
| |

ラムシュプリンゲ (ドイツ語: Lamspringe) は、ドイツ連邦共和国ニーダーザクセン州南部のヒルデスハイム郡に属する町村(以下、本項では便宜上「町」と記述する)である。ラムシュプリンゲは、ヘバー山地に接する州認定の保養地である。行政機関がある首邑はラムシュプリンゲ地区である。
位置
ラムシュプリンゲ地区は、北東のハルプラーゲ山地、南東のヘバー山地、西のザックヴァルトの間に位置し、ランメ川の源流域に面している。この町は、アルフェルト (ライネ) - バート・ザルツデトフルト - ボッケネム - バート・ガンダースハイムの4都市の中間に位置している。
近隣の大都市は、北にハノーファー (50 km)、南東にゲッティンゲン (40 km) がある。これよりも近い都市では、東にゴスラー (30 )、北にヒルデスハイム (30 km) がある。
自治体の構成
自治体ラムシュプリンゲは、15のオルツタイツ(旧自治体を基本とする小地区)と8つのオルトシャフト(行政上の地区)からなる[2]。
- グラステ
- ハルバルンゼン
- イルメンゾイル
- ラムシュプリンゲ(グラスヒュッテ、ロルフスハーゲン、ツィーゲルヒュッテを含む)
- ネッツェ
- ノイホーフ(アンメンハウゼン、ヴェラースハイムを含む)
- ゼーレム(エーフェンゼンを含む)
- ヴォルタースハウゼン(ホルンゼンを含む)
歴史
地名
この集落の古い表記には、872年頃 Lammespringensium、873年 Lammespring、1138年 Lamspringensi、1391年 Lamme がある。これらの地名は、ライネ川の上/中流域にあるゲルマン語以前の河川名に由来する。その語源としてはバルト語およびスラブ語の一般的な語で、「折れたもの、風による倒木」を意味する "lom"、「畑の低い場所」を意味する "lomà"、「水たまり、穴」を意味する "lãma" が考えられる[3]。
集落と修道院の建設
ラムシュプリンゲが、9世紀のラムシュプリンゲ修道院の創建と同じ時期に建設された集落であったかどうかは定かではない[4]。中世、ラムシュプリンゲは、フランクフルトからゲッティンゲンやヒルデスハイムを経由して北海に至る軍事・交易街道沿いに位置した。集落の発展は修道院の創建と結びついている。この修道院は、872年に女子修道院として初めて文献に記録されており、ヒルデスハイム司教アルトフリートが十分の一税徴収権をこの修道院に譲渡したと記されている。修道院とそれに伴うこの集落の歴史は、1696年にこの修道院の修道士によって記述されたが、現在ではその原本は失われている。
16世紀初めに創作された創建伝承では、この修道院は847年にランメ川源流域に拠ったインメディング家出身のザクセン人貴族 Ricdag 伯とその妻 Imhildis によって女子修道院として創建された。彼らの一人娘 Ricburga が初代の修道院長となった。創建者の甥にあたるヒルデスハイム司教アルトフリートも創建に寄与した。さらにこの創建伝承によれば、創建者の Ricdag 夫妻はローマに巡礼し、教皇セルギウス2世(在位: 844年 - 847年)から殉教者である聖ハドリアヌスの遺骨を授けられたとされている。

発展
ラムシュプリンゲの集落と修道院は、ハルツ山地の西、ハルプラーゲ、ヘバー、ハルラートの山並みに護られるように囲まれた、住環境に優れた立地にあった。さらに古い軍事・交易街道が通る峠が近くにあった。水と石材が産出することが定住を支えた。日雇い労働者、農夫、職人、雑役夫など多くの労働力を必要とした修道院がその後の農耕民の町ラムシュプリンゲの発展を促した。この修道院は14世紀になるまでにヒルデスハイム司教区で最も裕福な修道院であり、何世紀にもわたって常に良好な経済活動を行っていた。集落はこの修道院の隆盛の恩恵を受けていた。ラムシュプリンゲは、交易およびビール醸造の中心地となっていった。こうした発展は、1803年に修道院が廃止された後も継続した。
1519年から1523年にヒルデスハイム司教とブラウンシュヴァイク公との間で戦われたヒルデスハイム教会フェーデの間に、ラムシュプリンゲは焼き討ちされ、修道院は略奪された。ラムシュプリンゲはその後約100年間ヴェルフ家の支配下に置かれた。第二次辺境伯戦争の際、1552年に傭兵隊長フォルラート・フォン・マンスフェルトによって襲撃され、女子修道院もランツクネヒト(傭兵)たちに蹂躙された。三十年戦争はラムシュプリンゲに酷い打撃を与えた。ルッターの戦い後、1626年に傭兵たちがこの集落で略奪をはたらき、十数軒の家屋に火を放った。戦後、修道院施設は壊滅的な状態であった。

修道院
ラムシュプリンゲ修道院は、創建時からその後何世紀にもわたって寄進により豊かな財産を授けられていた。12世紀には、10基の水車や17の集落の十分の一税徴収権が修道院の財産に含まれていた。所領はゼーゼンからブラウンシュヴァイクにおよび、シャウムブルガー・ラントにも有していた。所領の中心はラムシュプリンゲの東部とアムベルガウであった。この修道会は12世紀から13世紀に約180人の修道女を擁する最盛期を迎えた。
ラムシュプリンゲは修道院とともに、1643年にヒルデスハイム主要条約に基づき、ヴェルフ家支配からヒルデスハイム司教領に戻された。1568年からルター派となっていた教区教会に対して再カトリック化はなされなかった。司教は、廃墟と化していた修道院に、イングランドから追放された英国ベネディクト会の修道士を招き入れた。修道士らは、この施設を経済的および宗教的に活性化した。彼らは、1670年から21年間かけて三廊式ハレンキルヒェの聖ハドリアンおよび聖ディオニシウス教会を建設した。1730年には、当時の基準ではかなり大きな、長さ 90 m のフロントファサードを持つ修道院の新しい建物が建設された。1803年に修道院は閉鎖され、王室所有地となった。
20世紀
1902年、ラムシュプリンゲは、鉄道クライエンゼン - ヒルデスハイム線に接続した。これによりさらなる工業誘致が進んだ。
1935年から1938年にかけてフリッツ・シャラーは旧修道院庭園に屋外劇場を建設した。
1944年2月20日に10発の炸裂弾がラムシュプリンゲに投下され、1名が犠牲となった。この攻撃による被害はわずかであった。
ラムシュプリンゲでは、1951年に修道院創立1100年祭が祝われた。1週間にわたって祝祭イベントが開催され、多くの住民が参加した。この祝賀会は、戦後の困難な状況のため4年間延期されていた。このアニバーサリーを機会に、1951年に地元の薬剤師が5節からなる「ラムシュプリンゲの歌」を作詞した。
第二次世界大戦後、ラムシュプリンゲの企業は、東ドイツの市場を失ったことでますます苦境に陥っていった。やがて人口も3,000人を下回るまで減少した。1980年代には、鉄道路線が廃止されたにもかかわらず、ドイツ再統一により経済は上向いた。金属、包装関連の多くの企業がラムシュプリンゲに進出した。これには、アウトバーン7号線、連邦道3号線および64号線の中央に位置する立地が重要な役割を果たした。
ラムシュプリンゲは、2015年にEUのLEADERプログラム(自治体主導型地域開発プログラム)に基づき創設され、ニーダーザクセン州南部の多くの市町村が参加する「レギオン・ライネベルクラント」(直訳: ライネベルクラント地方)に参加した。
2016年11月1日の自治体統合
ザムトゲマインデ・ラムシュプリンゲ(集合自治体)は、2016年11月1日にアインハイツゲマインデ・ラムシュプリンゲ(統合自治体)に移行した[5]。それ以前、ラムシュプリンゲはザムトゲマインデの行政機関所在地であった。
行政
議会
ラムシュプリンゲの町議会は16議席からなる[6]。
首長
ザムトゲマインデ時代の最後の町長(名誉職)はラルス・ヘル (SPD) であった。彼の任期は2016年10月31日に終了した。ザムトゲマインデからアインハイツゲマインデへの移行に伴い、2016年9月11日に専任の町長を選出する選挙が必要となった。ラルス・ヘルは立候補しなかった。アンドレアス・フンベルト(無所属)が、74.1 % の支持票を獲得して、SPD所属の対立候補のカティア・ショーナーに勝利し[7]、2016年11月1日に町長に就任した。
紋章
この町は、1938年9月25日にハノーファー州総督から市の紋章を授与された。アルフェルト郡の郡長は同年12月19日にこれを市に授与した[8]。
図柄: 赤地。緑の土地に跳ねる銀の羊 ("ein springendes Lamm")。その左上(向かって右上)に銀の葉と金の実をつけた金のホップの蔓[8]。
解説: ラムシュプリンゲの新しい紋章デザインは、この町の中世の紋章を参考に制作された。それは、かつてこの地にあった重要な修道院の修道院長によって、17世紀に何の理由も示さずに奪い取られたものであった。新しい紋章では、修道院長が付け加えた修道院長杖が削除され、その代わりに、かつて大変に収益性が高く町の富の基盤を造ったホップ栽培を表すホップの蔓が採用された。これは、町の古い印章や紋章にもシンボルとして用いられていた。
文化と見どころ


建築
- 三廊式ハレンキルヒェの旧修道院教会「聖ハドリアンおよび聖ディオニシウス」教会。2009年からはカトリックのバート・ガンダースハイム教会区の支教会となっている。
- 修道院長棟と寄宿舎棟を含む修道院の建物。
- ゾフィエン教会ラムシュプリンゲは1692年に献堂された。この教会は尖頭アーチの窓と三面の内陣を持つ。塔は1819年に増築された。カンツェルアルター(説教壇と祭壇が一体化したもの)はバロック時代に製作された。
公園
- ランメ川の水源のグロッテがあるクロスターパルク(直訳: 修道院公園)。かつて修道院に属しており、そこで野菜が栽培されていた広さ 5.5 ha の修道院庭園は、1965年から公共の公園施設となっている。ここには、1984年の彫刻家シンポジウムの彫像も展示されている。
スポーツ
ラムシュプリンゲには多くのスポーツクラブがある。その最大のクラブ「TuSpoラムシュプリンゲ」は、約600人以上の会員を擁しており、サッカー、体操、ハンドボール、空手、卓球、バドミントン部門がある。この他のクラブには、「射撃クラブ・ラムシュプリンゲ・フォン1901 e.V.」、「テニスクラブ・ラムシュプリンゲ」、「乗馬クラブ Flenithigau」、「ヴェストハルツァー・スキークラブ e.V.」がある。
年中行事
- 1988年から開催されている「ラムシュプリンゲの9月」。1ヶ月間にわたって旧修道院の修道院長棟で文化・芸術エンターテイメント分野の様々なイベントが開催される。このイベントは高品質の全国的なイベントとなった。著名な参加者には、ギュンター・グラス、マルティン・ヴァルザー、パウル・クーン、あるいはミラノ・スカラ座やベルリン・フィルハーモニー管弦楽団のメンバーがいる。2003年からは修道院カレンダーの間で「哲学サロン」が開催されている。
- 8月最終末には1681年に処刑された聖人オリヴァー・プルンケットの祭典の恒例行事として巡礼が行われる。修道院教会「聖ハドリアンおよび聖ディオニシウス教会」にはこの聖人の聖遺物箱がある。その遺骨は1685年に修道院長マウルス・コルカーによってラムシュプリンゲにもたらされた。
- 2007年からの脱穀祭
経済と社会資本
交通
ラムシュプリンゲは、アウトバーン7号線、連邦道3号線および64号線から近い。最寄りの駅は、ボーデンブルク(バート・ザルツデトフルト市内)、フレーデン、バート・ガンダースハイム、クライエンゼン(アインベック市内)にあり、クライエンゼンからインターシティ網に接続している。最寄りの飛行場はバート・ガンダースハイムにあり、最寄りの空港はハノーファー=ランゲンハーゲン空港である。
かつては、グロース・デュンゲン駅からバート・ガンダースハイム駅へのランメタール鉄道がラムシュプリンゲを通っていた。当時、ラムシュプリンゲにはこの路線の駅があった。

観光業
州指定のヘバー山地沿いの保養地にとって観光業は極めて重要である。1990年代にクライエンゼン - ヒルデスハイム線の一部、ラムシュプリンゲとバート・ガンダースハイムとの間の計 12 km が自転車道に改修された。その沿道には、国際的な芸術家の彫刻作品が設置されており、この自転車道はラムシュプリンゲ - バート・ガンダースハイム彫刻の道という別名を持つ。ラムシュプリンゲ修道院とブルンスハウゼン修道院(バート・ガンダースハイム)の2つの旧修道院を結ぶというこの道のコンセプトは、エルンスト・アウグスト・クヴェンゼンによって発案された。
メディア
ラムシュプリンゲには、固有の新聞はない。ラムシュプリンゲでは日刊紙として「ヒルデスハイマー・アルゲマイネ・ツァイトゥング」と「アルフェルダー・ツァイトゥング」が流通している。雑誌「ケールヴィーダー」と「RuBS」が週刊で刊行されている。
教育
ラムシュプリンゲには基礎課程学校と、旧本課程学校に入居しているオーバーシューレが各1校ある。最寄りの総合学校やギムナジウムは、バート・ザルツデトフルト、ヒルデスハイム、バート・ガンダースハイム、アルフェルトに存在する。
人物
出身者
- クルト・ハイスマイヤー(1905年 - 1967年)ノイエンガンメ強制収容所の医師
ゆかりの人物
- ヴィルヘルム・カイテル(1882年 - 1946年)陸軍将校(1940年から陸軍元帥)。1938年から1945年までドイツ国防軍最高司令官を務め、1944年10月、アドルフ・ヒトラーからラムシュプリンゲにある 246 ha の森林を報酬として授与された。
- ヘルベルト・バッケ(1896年 - 1947年)政治家 (NSDAP)。1931年からラムシュプリンゲのNSDAP地方支部指導指導者の地位を引き継いだ。