リック・アギレラ
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2016年5月28日 | |
| 基本情報 | |
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| 国籍 |
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| 出身地 | カリフォルニア州サンガブリエル |
| 生年月日 | 1961年12月31日(63歳) |
| 身長 体重 |
6' 5" =約195.6 cm 205 lb =約93 kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投右打 |
| ポジション | 投手 |
| プロ入り | 1983年 MLBドラフト3巡目 |
| 初出場 | 1985年6月12日 |
| 最終出場 | 2000年9月6日 |
| 経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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リチャード・ウォーレン・アギレラ(Richard Warren Aguilera , 1961年12月31日 - )は、アメリカ合衆国カリフォルニア州出身の元プロ野球選手(投手)。

(1986年)
高校時代は投手兼三塁手として活躍し、1980年のMLBドラフトでセントルイス・カージナルスが内野手として37巡目(全体803位)で指名するが入団せず、ブリガムヤング大学に進学。1983年のMLBドラフトでニューヨーク・メッツから投手として3巡目(全体58位)指名を受け入団。
1985年6月12日にメジャー初登板を果たす。メッツ時代は先発投手として活躍し、1985年から1987年は3年連続2桁勝利を記録し、1986年のワールドシリーズ制覇にも貢献。ただし、当時メッツはドワイト・グッデン、ロン・ダーリング、シド・フェルナンデス、ボブ・オヘーダ、のちにデビッド・コーンといった強力な先発投手が在籍し、アギレラの存在は先発ローテーションの5番手といった存在であった。
1986年のヒューストン・アストロズとのナ・リーグチャンピオンシップシリーズ、ボストン・レッドソックスとのワールドシリーズでも、登板はリリーフによるものだけであった。2勝3敗と追い詰められたワールドシリーズ第6戦(シェイ・スタジアム)では延長10回表に登板して2失点し、その裏も二死まで追い込まれ、敗戦投手となるところであったが、メッツ打線の連打と相手投手の暴投で同点に追いつき、レッドソックスの一塁手のビル・バックナーの痛恨の失策で逆転サヨナラ勝ちし、アギレラは幸運にも勝利投手となった(詳細はこちらを参照)。1988年は故障もあってシーズンは11試合の登板に終わる。ロサンゼルス・ドジャースとの地区優勝決定シリーズには救援で登板。
1989年はロジャー・マクダウエルの不振、および移籍(6月にフィリーズにトレード)もあってリリーフに転向し、7セーブを記録したが、7月に前年のサイ・ヤング賞投手フランク・バイオーラとの交換で、ケビン・タパーニ、デビッド・ウエスト(のちダイエーでもプレイ)らと共にミネソタ・ツインズに移籍。移籍後のツインズでは先発に再転向するが、1990年にそれまでのクローザージェフ・リアドンの移籍があり、クローザーに再転向。すると1990年には32セーブを記録し、チームがワールドシリーズ制覇を果たした1991年には42セーブ、以後1993年まで4年連続30セーブを記録した。この間、3回のオールスター出場を果たした。
メッツからツインズへの移籍時の交換相手となったバイオーラは1990年には20勝を記録するが、1991年限りでフリーエージェントでレッドソックスに移籍。一方、アギレラはクローザーとして、タパーニはスターターとしてこの年16勝を記録し、1991年のワールド・チャンピオンに貢献している。メッツにとって痛恨のトレードの一つとも言える。
1995年には一時ボストン・レッドソックスに移籍するが、1996年には再びツインズに戻り、1989年以来の先発投手に再転向し、この年アトランタで行われたアトランタオリンピックの野球日本代表の現地での調整試合にも先発としてマウンドにあがった。しかしシーズンでは8勝6敗、防御率5.42に終わり、翌年から再びリリーフに転向して1997年には26セーブ、1998年には38セーブと活躍。1999年途中にシカゴ・カブスに移籍し、29セーブを記録した2000年を最後に現役を引退。
2024年シーズン終了時点で通算318セーブはMLB歴代24位、ツインズで記録した254セーブは球団記録であったが、ジョー・ネイサンが記録を更新した。