カミロ・パスカル

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国籍アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国へ移住)
生年月日 (1934-01-20) 1934年1月20日(92歳)
身長
体重
5' 11" =約180.3 cm
185 lb =約83.9 kg
カミロ・パスカル
Camilo Pascual
カミロ・パスカル(1962年)
基本情報
国籍アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国へ移住)
出身地  キューバ
ハバナ州ハバナ
生年月日 (1934-01-20) 1934年1月20日(92歳)
身長
体重
5' 11" =約180.3 cm
185 lb =約83.9 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1951年
初出場 1954年4月15日
最終出場 1971年5月5日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴
  • ミネソタ・ツインズ (1978 - 1980)

カミロ・アルベルト・パスカル・ルスCamilo Alberto Pascual Lus , 1934年1月20日 - )は、キューバハバナ州ハバナ出身の元プロ野球選手投手)。右投げ右打ち。愛称"Little Potato"リトル・ポテト)。

兄のカルロス・パスカル英語版MLBでプレーしていた。

1951年に17歳で生まれ育ったハバナを離れ、マイナーリーグのチームに入団した。

冬の時期は1952-1953シーズンから1960-1961シーズンまでキューバ国内リーグ"リーガ・クバーナ・デ・ベイスボル"でプレーした。1955-1956シーズンはカリビアンシリーズ優勝に輝いたエレファンテス・デ・シエンフエゴスエース投手として活躍し、リーグMVPを受賞した。

1954年4月15日にワシントン・セネタースMLB初登板。初登板の対ボストン・レッドソックス戦では3を投げ、0与四球・3被安打で無失点の内容だった。

デビュー後数年は制球難に苦しむが、年々与四球の割合を減らしていった。

1959年は5月からシーズン終盤まで好調を維持し、オールスターゲームに選ばれた。このシーズンは最終的には238.2回を投げ、防御率2.64・185奪三振を記録した。

テッド・ウィリアムズが「18年間のアメリカンリーグで最も恐れられた」と語ったほどの効果的なカーブを投げ、速球とのコンビネーションで奪三振を量産。1961年から1963年まで3年連続で最多奪三振のタイトルを獲得した。

1965年のツインズは球団記録の102勝を挙げ、移転後初のリーグ優勝を果たした。しかしパスカルはシーズンの後半戦に右腕の故障に苦しみ、ワールドシリーズの3戦に先発登板したものの、打線は1点も取れずに5回・3失点で敗戦投手となった。チームは3勝4敗で惜しくもワールドチャンピオンを逃した。

1966年も故障が完治せず、103.0回・8勝・防御率4.89の成績で終えた。同年12月にワシントン・セネターストレードされた。

1967年は164.2回・12勝・防御率3.28を記録し、復活した。

1968年は201.0回・13勝・防御率2.69と前年よりも成績を上げた。

1969年は9イニング換算で6以上のペースで与四球を出し、防御率も6点台と苦しむ。同年7月にはシンシナティ・レッズ へ移籍したが、レッズでは7.1回を投げ、7失点と散々な内容だった。

1970年4月にレッズから放出されたものの、同じ日にロサンゼルス・ドジャースと契約を結んだ。しかし8月に放出された。

1971年4月にクリーブランド・インディアンスと契約を結んだが、2ヶ月足らずで放出され、現役を引退した。

1978年から1980年まではツインズでコーチを務めた。

1983年キューバ野球殿堂入りを果たした[1]

現在はキューバ人コミュニティがあるフロリダ州マイアミに在住しており[2]1989年からラテンアメリカ担当のスカウトとして働いている[3]オジー・カンセコアレックス・コーラフランクリン・グティエレスらと契約を結んだ。

2012年7月にツインズ野球殿堂入りを果たした[4][5]

プレースタイル

当初はサイドスロー気味のフォームだったが、シエンフエゴスのコーチであったドルフ・ルケの助言により、オーバースローに転向。カーブの制球が安定してから成績も向上した。武器としていたのは鋭く落ちる速いカーブで、球速の遅い大きな変化のカーブも投げていた。投球のおよそ6割を速球が占め、高めの速球勝負を好んだ[3]


詳細情報

年度別投手成績





















































W
H
I
P
1954 WS2
MIN
484100473--.364539119.1126761--6604365564.221.57
1955 43161002123--.143605129.015857066822194886.141.77
1956 39276006182--.250848188.2194338946162701311235.871.50
1957 29268208170--.320752175.21681176531135085804.101.39
1958 31276218120--.400742177.11661460231463266623.151.27
1959 3230176317100--.630984238.22021069731855380702.641.14
1960 26228301282--.600639151.21391153221432065513.031.27
1961 3533158215160--.4841056252.1205261001322170114973.461.21
1962 3433185320110--.6451053257.223625595220661100953.321.14
1963 313118312190--.7001011248.120521814320210076682.461.15
1964 3636141115120--.5561136267.124530986321380121983.301.28
1965 2727511930--.750659156.0126126305967167583.351.21
1966 2119202860--.571447103.011393002563163564.891.39
1967 WS3 282751012100--.545673164.21471543331067073603.281.15
1968 313184013120--.520830201.01811159441116072602.691.19
1969 1413000250--.28624855.149123815343042426.831.57
CIN 51000000------377.1142400310778.592.45
'69計 1914000250--.28628562.263144215374049497.041.68
1970 LAD 100000000------5914.0122511800442.571.21
1971 CLE 91000220--.5009723.117011012000983.091.20
MLB:18年 529404132361417417010--.506124152930.227032561069516121678612133411833.631.29
  • 各年度の太字はリーグ最高
  • WS2(ワシントン・セネタース)は、1961年にMIN(ミネソタ・ツインズ)に球団名を変更

獲得タイトル・記録

背番号

  • 27 (1954年 - 1956年)
  • 17 (1957年 - 1969年) 
  • 33 (1969年) 
  • 17 (1970年)
  • 35 (1971年)
  • 36 (1971年)

脚注

関連項目

外部リンク

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