ウィジャボード (競走馬)

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欧字表記 Ouija Board
香港表記 占卜
性別
ウィジャボード
2005年香港ヴァーズ パドック
欧字表記 Ouija Board
香港表記 占卜
品種 サラブレッド
性別
毛色 鹿毛
生誕 2001年3月6日
死没 2022年11月29日(21歳没)
Cape Cross
Selection Board
生国 イギリスの旗 イギリス
生産者 Stanley Estate And Stud Co.
馬主 Lord Derby
調教師 Edward A.L.Dunlopイギリス
競走成績
生涯成績 22戦10勝
獲得賞金 3,510,682(英貨換算)
勝ち鞍
G1英オークス2004年
G1愛オークス2004年
G1BCフィリー&メアターフ2004年・2006年
G1香港ヴァーズ2005年
G1プリンスオブウェールズS2006年
G1ナッソーS2006年
G3プリンセスロイヤルS2005年
ListedプリティーポリーS2004年
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ウイジャボードOuija Board、香港表記占卜)とはイギリス競走馬である。2004年2006年ヨーロッパ年度代表馬(カルティエ賞)ならびに2004年のアメリカ最優秀牝馬エクリプス賞)とBHB賞年度代表馬を受賞している。馬主である第19代ダービー伯爵エドワード・スタンリーはオーナーブリーダーで、生産した馬のうち牡馬は売却、牝馬のみを所有するというスタンスを取っており、当時はウイジャボードが唯一の所有馬であった。

名前の由来は、Ouija Board(霊応盤心霊術で使われる占い用のボード)より。祖母Ouijaと母Selection Boardからの連想。

2歳・3歳時代(2003年・2004年)

2歳時の2003年は、10月にデビューし初戦は3着に敗れたものの、次走は4馬身差で勝利。この年はもう1戦(3着)でシーズンを終えた。

2004年になると初戦のプリティーポリーステークス英語版を6馬身差で勝ちオークスの有力候補に躍り出た。そのオークスでは4番人気に押され、1番人気オールトゥービューティフルに7馬身差をつけて優勝、そして1か月半後のアイリッシュオークスもレースレコードで制覇すると3ヶ月の休みをはさみ凱旋門賞に向かった。凱旋門賞は牡馬の強豪が集まることから6番人気にすぎなかったが、結果はバゴ、チェリーミックスに次ぐ3着と健闘した。ヨーロッパシーズン終了後はアメリカに遠征し、ブリーダーズカップ・フィリー&メアターフを勝利している。2004年は牡馬に中心的な存在がおらず、オークス7馬身差勝利、牡馬に混じっての凱旋門賞3着、遠征先での勝利などの実績が決め手となり2004年カルティエ賞年度代表馬とBHB賞年度代表馬を受賞した。

古馬時代(2005年・2006年)

2005年も現役続行し、コロネーションカップに出走予定も左前脚に腫瘍が見つかりプリンスオブウェールズステークスに回る。しかし2番人気に応えられず7着に終わったうえ、落鉄の影響で裂蹄を発症してしまい休養に入った。相手にも恵まれたプリンセスロイヤルステークスでは復帰戦を勝利で飾ったが、連覇を狙ったブリーダーズカップ・フィリー&メアターフではインターコンチネンタルの2着に敗れた。次走をジャパンカップに定めるものの、高速競馬、しかも2分22秒1という日本レコードでの決着では分が悪くアルカセットの5着に敗れた[1]。それでも中1週で挑んだ香港ヴァーズでは牡馬の強豪を抑えて優勝した[2]

さらに翌2006年も現役を続けた。初戦に選んだドバイシーマクラシックではハーツクライの4着、その後もクイーンエリザベス2世カップ3着[3]コロネーションカップ2着と、善戦はするものの勝ちきれないレースが続いていたが、同年4戦目となったプリンスオブウェールズステークスでは、2006年のドバイワールドカップエレクトロキューショニストドバイデューティーフリーデヴィッドジュニアらを下し、昨年の香港ヴァーズ以来となる勝利を飾った。しかし次走のエクリプスステークスではデヴィッドジュニアの5着と敗退。次走の3歳上牝馬限定で行われるナッソーステークスでは1番人気に支持され、3番人気アレクサンダーゴールドランに頭差をつけて優勝した。続くアイリッシュチャンピオンステークスでは2番人気に支持され、1番人気ディラントーマスと叩き合いの末、クビ差の2着に敗れた。3度目の出走となるブリーダーズカップ・フィリー&メアターフでは1番人気に支持され、同レース2度目の優勝を果たし、G1・7勝目を挙げた。また、2006年度カルティエ賞年度代表馬、同最優秀古馬を受賞した。この年度代表馬の受賞は2004年以来2度目の受賞であり、カルティエ賞の創設以来初めて、2度の年度代表馬となった。同年8戦目、ランフランコ・デットーリとともにジャパンカップに再び挑戦したが、ディープインパクトの3着に敗れた[4]。その後香港ヴァーズに出走予定であったが故障を発症し出走取り消し[5]の上引退、繁殖入りすることになった。

牡馬と比べて能力のピークが短いと言われる牝馬でありながら、3年連続でG1を制覇しており、息の長い活躍を見せていた。その功績を称え、2007年からウィンスターディスタフハンデキャップ(米GIII)がウィジャボードハンデキャップと名称変更されることになった。

競走成績

出走日競馬場競走名距離着順騎手着差1着(2着)馬
2003.10.3ニューマーケット未勝利芝7f 3着E.アハーン1 1/2馬身Secret Charm
10.21ヤーマウス未勝利芝7f8y 1着J.スペンサー4馬身(Rydal)
11.1ニューマーケット牝馬S芝8f 3着J.スペンサー4馬身Spotlight
2004.5.2ニューマーケットプリティーポリーS準重芝10f 1着K.ファロン6馬身(Sahool)
6.4エプソムオークスG1芝12f10y1着K.ファロン7馬身(All Too Beautiful)
7.18カラ愛オークスG1芝12f1着K.ファロン1馬身Punctilious
10.3ロンシャン凱旋門賞G1芝2400m3着J.ムルタ1 1/2馬身Bago
10.30ローンスターパークBCフィリー&メアターフG1芝11f1着K.ファロン1 1/2馬身(Film Maker)
2005.6.15ヨークプリンスオブウェールズSG1芝10f88y7着J.スペンサー29馬身Azamour
9.24ニューマーケットプリンセスロイヤルSG3芝12f 1着L.デットーリ2 1/2馬身(Briolette)
10.29ベルモントパークBCフィリー&メアターフG1芝10f2着J.ベイリー1 1/4馬身Intercontinental
11.27東京ジャパンCGI芝2400m5着K.ファロン0.3秒アルカセット
12.11沙田香港ヴァーズG1芝2400m1着K.ファロン0.4秒Six Sense
2006.3.25ナドアルシバドバイシーマクラシックG1芝2400m4着K.ファロン1.50秒Heart's Cry
4.23沙田クイーンエリザベス2世CG1芝2000m3着L.デットーリアタマIrridescence
6.2エプソムコロネーションCG1芝12f10y2着L.デットーリ1 3/4馬身Shirocco
6.21アスコットプリンスオブウェールズSG1芝10f1着O.ペリエ1/2馬身Electrocutionist
7.8サンダウンエクリプスSG1芝10f7y5着C.スミヨン3馬身David Junior
8.5グッドウッドナッソーSG1芝9f192y1着L.デットーリ短頭Alexander Goldrun
9.9レパーズタウン愛チャンピオンSG1芝10F 2着J.スペンサークビDylan Thomas
11.4チャーチルダウンズBCフィリー&メアターフG1芝11f1着L.デットーリ2 1/4馬身(Film Maker)
11.26東京ジャパンCGI芝2400m3着L.デットーリ0.4秒ディープインパクト

繁殖入り後

2007年よりスタンレーハウススタッドで繁殖入りし、3月13日キングマンボの仔を受胎した。2008年2月9日、初仔となる牡馬(鹿毛)を出産した。この馬にはVoodoo Prince(後にOur Voodoo Princeに改名)という名前がつけられ、オーストラリアに移籍するまでは母と同じくダンロップ調教師が管理していた。繁殖2年目はモンズーンとの仔を2009年に出産。その後は2年連続してガリレオと交配され、2010年2011年に同馬との仔を出産している[6]

このうち2011年に生まれたGalileoとの牡駒Australiaが2014年の英ダービー愛ダービー勝ち馬となり、Our Voodoo PrinceもG3を勝つなど、産駒も優れた成績を収めている。

2022年11月30日(現地時間29日)、「サラブレッドデイリーニュース」電子版より同月29日に死亡したことが発表された[7]。21歳没。

血統表

脚注

外部リンク

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