ロイヤルタッチ
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| ロイヤルタッチ | |||||||||
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第44回京都新聞杯パドック(1996年10月13日) | |||||||||
| 欧字表記 | Royal Touch[1] | ||||||||
| 品種 | サラブレッド[1] | ||||||||
| 性別 | 牡[1] | ||||||||
| 毛色 | 黒鹿毛 | ||||||||
| 生誕 | 1993年3月24日[1] | ||||||||
| 死没 | 2019年2月2日(26歳没)[2] | ||||||||
| 登録日 | 1995年6月1日 | ||||||||
| 抹消日 | 1998年12月26日 | ||||||||
| 父 | サンデーサイレンス[1] | ||||||||
| 母 | パワフルレディ[1] | ||||||||
| 母の父 | マルゼンスキー[1] | ||||||||
| 生国 |
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| 生産者 | 藤原牧場[1] | ||||||||
| 馬主 | 太田美實[1] | ||||||||
| 調教師 | 伊藤雄二(栗東)[1] | ||||||||
| 競走成績 | |||||||||
| 生涯成績 | 15戦3勝[1] | ||||||||
| 獲得賞金 | 3億1054万7千円[1] | ||||||||
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ロイヤルタッチ(欧字名:Royal Touch、1993年3月24日 - 2019年2月2日)は、日本の競走馬、種牡馬[1]。主な勝ち鞍に1995年のラジオたんぱ杯3歳ステークス、1996年のきさらぎ賞。
サンデーサイレンスの2世代目産駒[3]としてバブルガムフェロー、ダンスインザダーク、イシノサンデーとともに「サンデー四天王」を形成した[4][2]。
3歳(1995年)
デビュー戦は1995年12月3日、1番人気に推され武豊騎乗で勝利した。
鞍上にオリビエ・ペリエを迎えた2戦目のラジオたんぱ杯3歳ステークスでは、イシノサンデー(1番人気)、ダンスインザダーク(2番人気)を抑え勝利した。このレースではサンデーサイレンス産駒が1着から3着までを占め、朝日杯3歳ステークスを優勝したバブルガムフェローとともに翌年のクラシックもサンデーサイレンス一色の雰囲気を作り出した。
4歳(1996年)
4歳初戦のきさらぎ賞でもペリエが騎乗、ダンスインザダークとの一騎討ちを制し、重賞2連勝となった。
次走の若葉ステークスでは短期免許が切れたペリエが帰国したため、蛯名正義が騎乗。無敗のままクラシックロードを進むかに見えたが、重馬場の影響もありミナモトマリノスに2馬身半の差を付けられた2着と完敗、初黒星を喫した。
皐月賞では騎乗予定だった蛯名が騎乗停止中で騎乗できず、南井克巳が騎乗。弥生賞を勝利したダンスインザダークが熱発で、スプリングステークスを勝利したバブルガムフェローが骨折でともに出走を回避したため、押し出される形で1番人気になったが、イシノサンデーを捕らえ切れず2着に惜敗した。日本ダービーでも南井が騎乗して兄弟制覇を狙ったが、フサイチコンコルドの末脚になす術もなく4着に敗れ、デビュー以来初めて連対を逃した。
秋は鞍上に岡部幸雄を迎え、ライバルたちに先んじて函館記念から始動したが、古馬の壁に跳ね返されて6着に敗れ、当時菊花賞のステップレースであった京都新聞杯でもダンスインザダークに完敗。そして、菊花賞でもダンスインザダークの鬼脚に屈し2着に敗れ、結局クラシックを1つも勝つ事ができなかった。
年末の有馬記念では、この年の三冠を走った馬として唯一出走[5]。2歳上のサクラローレル、1歳上のマーベラスサンデー、マイネルブリッジに次ぐ4着と健闘した。
5歳(1997年)
5歳初戦の京都記念では約1年ぶりの勝利を期待されて、久々に1番人気に推されたが、ユウトウセイに敗れた。続く産経大阪杯でもマーベラスサンデー、ユウトウセイの3着に敗れ、天皇賞(春)ではレース中に跛行を発症して競走中止となり、勝利から見放されてしまった。
故障明けで6か月ぶりの実戦となった天皇賞(秋)では、岡部がバブルガムフェローに騎乗するため、蛯名正義を鞍上に迎えたが、同厩のエアグルーヴと同期のバブルガムフェローの壮絶な叩き合いに加われず、4着に敗れた。そして、次走のジャパンカップでは11着と初めて二桁着順を喫した。
その後、脚部不安で1年間休養ののち引退した。
競走成績
以下の内容は、netkeiba.com[6]およびJBISサーチ[7]に基づく。
| 年月日 | 競馬場 | 競走名 | 格 | 距離(馬場) | 頭 数 | 枠 番 | 馬 番 | オッズ(人気) | 着順 | タイム (上り3F) | 着差 | 騎手 | 斤量 (kg) | 勝ち馬/(2着馬) |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1995.12.3 | 阪神 | 3歳新馬 | 芝2000m(良) | 11 | 6 | 6 | 2.0(1人) | 1着 | 2:05.2 (34.8) | -0.1 | 武豊 | 54 | (エイシンエルーセラ) | |
| 12.23 | 阪神 | ラジオたんぱ3歳S | GIII | 芝2000m(良) | 15 | 5 | 9 | 9.4(4人) | 1着 | 2:02.7 (34.8) | 0.0 | O.ペリエ | 54 | (イシノサンデー) |
| 1996.2.4 | 京都 | きさらぎ賞 | GIII | 芝1800m(良) | 10 | 8 | 9 | 1.7(1人) | 1着 | 1:48.2 (34.7) | 0.0 | O.ペリエ | 56 | (ダンスインザダーク) |
| 3.17 | 中山 | 若葉S | OP | 芝2000m(不) | 12 | 7 | 9 | 1.1(1人) | 2着 | 2:04.4 (38.0) | 0.4 | 蛯名正義 | 56 | ミナモトマリノス |
| 4.14 | 中山 | 皐月賞 | GI | 芝2000m(良) | 18 | 3 | 6 | 3.6(1人) | 2着 | 2:00.8 (35.4) | 0.1 | 南井克巳 | 57 | イシノサンデー |
| 6.2 | 東京 | 東京優駿 | GI | 芝2400m(良) | 17 | 6 | 12 | 3.9(2人) | 4着 | 2:26.8 (35.2) | 0.7 | 南井克巳 | 57 | フサイチコンコルド |
| 8.18 | 函館 | 函館記念 | GIII | 芝2000m(良) | 12 | 6 | 8 | 2.3(1人) | 6着 | 2:00.5 (35.8) | 0.7 | 岡部幸雄 | 54 | ブライトサンディー |
| 10.13 | 京都 | 京都新聞杯 | GII | 芝2200m(良) | 11 | 7 | 8 | 5.1(2人) | 3着 | 2:14.3 (34.8) | 0.2 | 岡部幸雄 | 57 | ダンスインザダーク |
| 11.3 | 京都 | 菊花賞 | GI | 芝3000m(良) | 17 | 5 | 10 | 12.4(6人) | 2着 | 3:05.2 (34.3) | 0.1 | 岡部幸雄 | 57 | ダンスインザダーク |
| 12.22 | 中山 | 有馬記念 | GI | 芝2500m(良) | 14 | 5 | 8 | 12.7(6人) | 4着 | 2:35.0 (37.5) | 1.2 | 岡部幸雄 | 55 | サクラローレル |
| 1997.2.9 | 京都 | 京都記念 | GII | 芝2200m(良) | 11 | 1 | 1 | 1.4(1人) | 2着 | 2:14.9 (36.9) | 0.3 | 岡部幸雄 | 57 | ユウトウセイ |
| 3.30 | 阪神 | 産経大阪杯 | GII | 芝2000m(良) | 9 | 4 | 4 | 3.5(2人) | 3着 | 2:02.2 (35.8) | 0.2 | 岡部幸雄 | 56 | マーベラスサンデー |
| 4.27 | 京都 | 天皇賞(春) | GI | 芝3200m(良) | 16 | 1 | 2 | 11.4(4人) | 競走中止 | 岡部幸雄 | 57 | マヤノトップガン | ||
| 10.26 | 東京 | 天皇賞(秋) | GI | 芝2000m(良) | 16 | 1 | 2 | 27.7(6人) | 4着 | 1:59.9 (35.6) | 0.9 | 蛯名正義 | 58 | エアグルーヴ |
| 11.23 | 東京 | ジャパンC | GI | 芝2400m(良) | 14 | 4 | 5 | 21.9(8人) | 11着 | 2:27.1 (35.8) | 1.3 | 蛯名正義 | 57 | ピルサドスキー |
種牡馬として
1999年から北海道日高郡新ひだか町にあるアロースタッド()で種牡馬生活を送っていた[3]。
最初の数年間は良血を買われて年間100頭以上に種付けしていた(2001年は144頭[3])が、1世代上のフジキセキ、同期のダンスインザダークが早々に種牡馬となった事や、その後も数多くのサンデーサイレンス産駒が種牡馬になり、後継種牡馬が飽和気味となる中で、これといった代表産駒を出す事ができず、種牡馬成績は低迷していた。そのため、2003年を境に種付け数が激減し、種牡馬引退も危惧されていた矢先にアサヒライジングが2006年の牝馬クラシック戦線、アメリカ合衆国のGIで活躍したため、種牡馬生活が数年伸びたといわれている。
2013年に種牡馬を引退。種牡馬引退後は新ひだか町内にあるローリングエッグスクラブステーブルで功労馬として余生を送っていた[3]。2018年12月にローリングエッグスクラブステーブルが閉鎖されたため、畠山牧場豊畑トレーニングセンターに移動して余生を送っていたが、2019年2月2日に老衰のため死亡した[2]。26歳没。