ヴォルポニ

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欧字表記 Volponi[1][2]
性別 [2]
ヴォルポニ
欧字表記 Volponi[1][2]
品種 サラブレッド[1][2]
性別 [2]
毛色 鹿毛[2]
生誕 1998年4月13日[1]
死没 2025年2月14日(27歳没)
Cryptoclearance[1][2]
Prom Knight[1][2]
母の父 Sir Harry Lewis[1][2]
生国 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国ケンタッキー州[1][2]
生産者 Amherst Stable[1]
馬主 Amherst Stable & Spruce Pond Stable[1]
調教師 Philip G. Johnson[1]
競走成績
生涯成績 30戦7勝[1][2]
獲得賞金 3,187,232ドル[1]
勝ち鞍
GIブリーダーズカップ・クラシック2002年
GIIペガサスハンデキャップ2001年
GIIIピルグリムステークス2000年
GIIIポーカーハンデキャップ2002年
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ヴォルポニ (Volponi) [2][3]とは、アメリカ合衆国生産の競走馬種牡馬。主な勝ち鞍に2002年ブリーダーズカップ・クラシックほか。

  • 特記事項なき場合、本節の出典はEQIBASE[1]

2000年7月14日、ベルモントパーク競馬場でのメイドン競走でデビューし、3着。続く3戦も2着、2着、3着としたあと、未勝利の身ながらG3競走のピルグリムステークス英語版に出走し、初勝利と初重賞制覇を同時に手にした[3]。3歳を迎えた2001年三冠路線には見向きもせず[3]芝路線の重賞に使われ、7月のサラトガ競馬場で行われたアローワンス競走では2着に13馬身半差つけて2勝目を挙げる。続くトラヴァーズステークスポイントギヴンの7着と崩れたが、アローワンス競走を2走して2着、1着ののち出走したペガサスハンデキャップで重賞2勝目。11月のシガーマイルハンデキャップも4着に入った。2002年は5月にアローワンス競走を2つ使われたのち、7月の芝のG3競走ポーカーハンデキャップ英語版で重賞3勝目を挙げた[4]。続くバーナードバルクハンデキャップ英語版で2着、8月ソードダンサーインビテーショナルハンデキャップでも勝ったウイズアンティシペイションから1馬身4分の3差の3着に入る。秋に入り、ベルモントブリーダーズカップハンデキャップとメドウランズカップハンデキャップで連続2着に入ったのち、ブリーダーズカップ・クラシックに駒を進める。ブリーダーズカップ・クラシックではメダグリアドーロや二冠馬ウォーエンブレムらが顔をそろえる中で43対1と12頭立ての12番人気であったが、レースでは半ばから着順を押し上げていき、4コーナーを過ぎて先頭に立つと後続を引き離して、最終的にはメダグリアドーロに6馬身半差をつけて勝利した[3][5]2003年は5月のアローワンス競走で始動したが、2年ぶりに出走してきたスパイツタウンの2着に敗れ、今度は大番狂わせの負ける方に立つこととなった[5]ブルックリンハンデキャップ2着ののちサバーバンハンデキャップでもマインシャフトの2着[6]ホイットニーハンデキャップもメダグリアドーロの2着に入る。G2競走を3走使われて2着、3着、3着としたのちブリーダーズカップ・クラシックではプレザントリーパーフェクトの10着に終わり、これが最後のレースとなった[3]

競走成績

以下の内容は、EQIBASE[1]の情報および記載法に基づく。

出走日競馬場競走名距離頭数枠番
(PP)
馬番
(Pgm)
着順騎手斤量(lb月/kg換算)タイム着差/タイム差勝ち馬/(2着)馬
2000年7月14日ベルモントパークメイドン芝6f12223着J. ヴェラスケス117/53(1馬身)Baptize
2000年8月19日サラトガメイドンダ7f9882着J-L. サミン118/53.5(2馬身)Hero's Tribute
2000年9月9日ベルモントパークメイドンダ8f9442着J-L. サミン120/54.5(9馬身)Dayton Flyer
2000年10月1日ベルモントパークメイドンダ6f9773着J-L. サミン118/53.5(4馬身1/4)Little Bold Sweep
2000年10月22日ベルモントパークピルグリムSG3芝9f10771着J. ヴェラスケス115/521:48.022馬身(Baptize)
2001年4月14日アケダクトアローワンスダ6.5f8672着J-L. サミン115/52(5馬身1/4)Stake Runner
2001年5月12日ホーソーンホーソーンダービーG3芝9f7445着J. ヴェラスケス113/51.5(4馬身1/2)Kalu
2001年6月16日ベルモントパークヒルプリンスSG3芝9f10224着J-L. サミン120/54.5(2馬身)Proud man
2001年7月15日ベルモントパークベルモントレキシントンSG3芝10f8224着J-L. サミン118/53.5(5馬身3/4)Sharp Performance
2001年7月30日サラトガアローワンスダ9f12331着R. ミグリオーレ116/52.51:48.4113馬身1/2(Personable Pete)
2001年8月25日サラトガトラヴァーズSG1ダ10f9227着R. ミグリオーレ126/57(16馬身1/2)Point Given
2001年9月8日ベルモントパークアローワンスダ8.5f7662着R. ミグリオーレ118/53.5(ハナ)Dayton Flyer
2001年10月6日ベルモントパークアローワンスダ8f5451着S. ブリッジモハン116/52.51:36.243馬身3/4(Pure Prize)
2001年10月19日メドウランズペガサスHG2ダ9f6231着S. ブリッジモハン114/51.51:46.552馬身3/4(Burning Roma)
2001年11月24日アケダクトシガーマイルHG1ダ8f9884着S. ブリッジモハン115/52(5馬身)Left Bank
2002年5月8日ベルモントパークアローワンスダ7f5551着S. ブリッジモハン121/551:22.401馬身(Cherokee Beau)
2002年5月30日ベルモントパークアローワンスダ8.5f7234着S. ブリッジモハン123/55.5(7馬身)Open Sesame
2002年7月5日ベルモントパークポーカーHG3芝8f7441着S. ブリッジモハン115/521:32.242馬身1/4(Saint Verre)
2002年7月26日サラトガバーナードバルクHG2芝9f7112着S. ブリッジモハン116/52.5(クビ)Del Mar Show
2002年8月10日サラトガソードダンサー招待HG1芝12f11333着J. サントス115/52(1馬身3/4)With Anticipation
2002年9月14日ベルモントパークベルモントBCHG2芝9f6222着J. サントス117/53(3/4馬身)Startac
2002年10月4日メドウランズメドウランズカップHG2ダ9f9342着S. ブリッジモハン116/52.5(3/4馬身)Burning Roma
2002年10月26日アーリントンパークブリーダーズカップ・クラシックG1ダ10f12221着J. サントス126/572:01.396馬身1/2Medaglia d'Oro
2003年5月9日ベルモントパークアローワンスダ7f6332着J. サントス122/55.5(クビ)Speightstown
2003年6月14日ベルモントパークブルックリンHG2ダ9f5332着J. サントス122/55.5(2馬身1/2)Iron Deputy
2003年7月5日ベルモントパークサバーバンHG1ダ10f8562着J. サントス121/55(2馬身1/4)Mineshaft
2003年8月2日サラトガホイットニーHG1ダ9f7672着J. サントス120/54.5(1馬身)Medaglia d'Oro
2003年8月16日サラトガサラトガBCHG2ダ10f8332着J. ベイリー122/55.5(3馬身1/4)Puzzlement
2003年9月13日ベルモントパークベルモントBCHG2芝9f7333着J. ヴェラスケス119/54(1馬身3/4)Della Francesca
2003年10月3日メドウランズメドウランズBCSG2ダ9f6223着J. ヴェラスケス123/55.5(5馬身)Bowman's Band
2003年10月25日サンタアニタブリーダーズカップ・クラシックG1ダ10f103310着J. サントス126/57(19馬身3/4)Pleasantly Perfect

引退後

引退後はケンタッキー州のホープウェルファームで種牡馬として1万ドルの種付料で繋養されていたが、2年後の2005年12月に韓国馬事会によって購入され、済州スタッド&トレーニングファームに移動した[7]。ヴォルポーニは2025年2月14日、26歳で韓国で亡くなった[8]

血統表

脚注

外部リンク

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